信州奥蓼科あちらこちら ③白駒の池・苔の森ーー陰から陽、陽から陰へ。そして風邪を引き……

旅の記録を探してみると、ここは三年前の同じ頃、一泊バス旅行の最後に立ち寄っていた。もっとも、正確にいうと、この時は白駒の池には行っていない。いや、そこまでたどり着けなかった。

陽が差しこまず、湿気にみちた森がおどろおどろしいほどに生命にあふれているのに畏れを覚えながらも引きこまれ、撮影するうちに、集合時間がきてしまったので。

倒木におびただしい種類の苔が生え、朽ちて崩れるところに新しい木の芽が鮮やかな緑を見せてくれる様に圧倒され続けた。死もなく生もない。時間の前後もない。この森ではすべて同じことだった。

それをよく覚えていたので、今回は、池へ上って行く途中の森には一切目をくれぬようにして通り抜けることにしていた。まずは池を見てみよう、と。

白駒の池は鎮まりかえっていて、対岸の樹々とそれを映す池の面がまったくの対称像をなしているのには、目眩を覚えるような気がした。見あげる青空と白雲がそのまま、池の水の中にあった。

帰り道、時間を気にしながら苔の森の木道をたどりながら立ち止まっては写真を撮っているうちに雨が降り始め、バスに戻るころには本降りとなっていた。

山の天候は天気予報ではわからない。そうは分かっていながら、前夜遅くまで飲んでいたズボラな頭で、「長野県は曇りのち晴れ」という予報を鵜呑みにした。雨合羽やジャンパーはおろか傘も持たず、ふだん街を散歩するのと同じ出で立ちだった。

朝から次第に晴れ上がり、かえって暑いほどになっていたところ、最後の最後で山の恐ろしさを味わい、翌日からしばらくは、風邪で苦しむことになる。

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本格の精進料理、ご馳走になるーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、所用で同地に数日滞在することになったので連絡すると、数時間なら会えるという。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行の一つであることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

………

天龍寺『篩月』
http://www.tenryuji.com/shigetsu/

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円谷幸吉さんが食べたもののことーー福島県あちらこちら

Hさん 故郷での寂しい法事を済ませ、翌日は例によって県内の温泉に行ってきました。県南に位置する我が白河から、県北福島の手前、安達太良山の入り口に岳温泉というところがあるのです。

まだ時間が早かったので、どこかに寄り道しようと、東北本線を北上しながら路線図を見ると、郡山以外には須賀川くらいしか、何かありそうな街は見当たりません。どこかで適当に下車し、木や花を求めて当てもなく歩き回る気は、とうてい起きず、梅雨明けと思える酷い暑さでもあり。

列車に揺られながら検索してみたところ、須賀川ゆかりの人物として、特撮の円谷英二、陸上競技の円谷幸吉が浮かんできました。

ウルトラQにはお世話になったけれど、ウルトラマンはどうもなぁという世代であり、たまたま先週あたりに新聞の連載でマラソンの君原健二さんが取り上げられていて、円谷選手との関わりを読んだばかりなので、迷わず「円谷幸吉メモリアルホール」を目指しました。

先の東京オリンピックのマラソンで、国立競技場にアベベに続いて2位で入ってきたものの、あと200メートル程のところでイギリスのヒートリーに抜き去られた場面は忘れられないのです。その後の自殺のことも。わたしが小学6年の時でした。
https://m.youtube.com/watch?v=3iYvrxH4bMw

Hさん、岡山の方のご丹精の結晶である白桃、そして亡き恋人との桃にまつわる甘美きわまりない思い出をフェイスブックに綴っておいででしたね。

それとは全然かけ離れ、色気のない桃の思い出です。小学生の頃、夏休みに帰省すると、舗装などしていない駅前のバス乗り場近くに農家の方々がたくさん来ていて、竹籠に入れた桃を並べて売っていたような気がするのです。休みのはじめには桃、ひと月経って、嫌々ながらに横浜に戻る頃には、青リンゴにかわっていたかもしれません。こちらより一回り歳上の同県人、円谷選手の桃体験は如何だったのでしょうか。

彼がふるさとを最後に訪れたのは、その中にある「三日」という一語と自殺した日、ご馳走になった品目からして、正月だったかと推察します。

遺書で父母兄弟宛に繰り返す「美味しうございました」には、とろろ、干し柿、ブドウ酒、リンゴ、しそめし等が挙げられていて、周りに誰もいないのをよいことに、読みながら涙滂沱でした。

この遺書に関して川端康成、三島由紀夫が絶賛する辞も掲げられていました。ふたりの感想はまた、円谷幸吉という人、あるいは人間という存在の根底を指し示してくれる、これまた深い言葉なのでした。

老生にとっての「命の源」は、祖母や母に作ってもらった、円谷さんが有難がっていたような、質素な食べ物です。いつも申しているように、子供の頃は苦手だった芋柄を干し上げたものなど、今はその材料を探し求め、手探りで調理法を試しているほどです。(もっとも、今回の小旅行最後の昼メシは、酷暑の郡山でみつけた食堂『三松会館』でのトンカツとラーメンでしたけれど!)
https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7005266/

暑さは当分続くのでしょう。ご自愛ください。

/T. K.生 拝


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