居酒屋『てっ平』 の正体不明/函館若松町の路地裏にて、10月29日

その店先にーー
「くじも当たらず 出世もせずに 今日を生きてる 運の良さ」

「遊んでいるよな 小鳥でさえも 生きる為には 苦労する」

「二日酔い 酒が悪いか 己が馬鹿か 酒でも呑んで 考えよう」

「ポックリと死ねたら良いなあ 今日じゃなく」

ーーとは、主人の作に違いなく、店内のあちこちに同様の “ほのぼの都々逸” が幾つも張られている。

そのほかにも献立らしきものが数限りなくカレンダーの裏紙などに書き出されてはいるが、はたしてそのうちどれだけ作る材料を揃えているものか、疑わしい。

黒板にはしっかりと消さぬまま新たな献立が書き重ねられていて、判読できない。それが店と店主の歴史なのだと言わんばかりに。

函館に入って初めての晩、路地の奥にあるのが妙に気になったまま、翌日は休店していたこともあり、入りそびれていた。最終日前の二軒目として、ようやく扉を開けたもの。

一癖も二癖もありそうな主人は、料理の達人なのか人生の手練れか粋人か、はたまた単なる敗残のヒネクレ者なのか、分らない。穏やかな風貌の奥に、底知れない経験と知見を秘めているような気もするのだが。

それを見極める眼力など持ち合わせない当方だし、相手は「お飲み物は…」と尋ねたきり、ろくに口も開かないので、見当がつかない。頼んだ銘柄と違う酒を注いでしまったらしく、静かに詫びてはいたが。

肴は何も頼みようがなく、どうせ何か一鉢か一皿は出してくれるだろうと、壁面いっぱいに書かれた文字の群を愉しく辿り読みながら、ぼんやりと冷や酒を舐めていた。

むろんのこと、このような店で初手から写真を撮るのは憚られ、撮っていいかどうかも確かめにくいので、カメラはカバンから出せない。

したがって残念ながら、酒や料理の数々また川柳の類は、まったく記憶はもちろん記録がなく、翌日の昼前に通りかかった折に店先を撮った数葉にとどまる。

なお肴はテリーヌのようなものであったかと思う。後に入ってきた常連らしき女性が何かを頼んだ時にカウンターに置いてあったフランスパンをつまんだのに乗じて、一枚もらったことだけ覚えている。

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伊東便り 2ーーラーメン屋でラーメン食えず、飲むばかり

『福みつ』は伊豆の伊東、拙宅の近所。二代目の婆さまが朝から一人で守っています。地元の飲んべえ達のたまり場で、たいていは自分のパック焼酎をキープ(笑)している店。コーヒーもあり。ラーメン用のチャーシウが煮上がったときには、すこし切り分けて出してくれたりもして…。

日替りの肴でコップ酒を二杯ほどやると、ラーメンが食べられなくなってしまう、老人の胃袋の頼りなさよ。

先夜はロールキャベツがつまみに出され、締めにトーストを頼んで以来、我が朝飯はパン食が増えてしまいました。

写真のうち、笹かまぼこに添えられた味噌は、客が作ってきた青唐辛子入りのもの。その笹かまが足りなくなってしまったところ、一番若い客が買い出しを命じられ、伊東駅の方のトップヴァリュに走っていきました。

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伊豆便り 1ーーとりあえず今日一日。台所しごと始まる

ハルミ君へ

そう、自分も他人も適当にダマシだまし生きながらえてよ。

こっちは大病せずにいてもあと10年はない命と思って、日々過してる。どうしても酒を飲みすぎてるからね。寝たきりになる前に冬の北の地で凍死するよ。もう、やることやったから、いいの。呑まないとアタマ動かんしサ。

さっき缶チューハイ買いに近所のコンビニに行ったら、財布を持ってなかった。もちろん出直したさ。

途中、居酒屋や蕎麦屋の灯りに誘われ、爺ちゃん婆ちゃんたちの顔が浮かんだけど、「酒でも肴でも1単位500円」はキツイんで、酎ハイとモヤシだけコンビニで慎ましく249円の買い物。

午前中、漁港まで散歩した帰り、スーパーでうまそうな厚揚げ120があったんで、半分を焼いて一品。残りは明日、大根と煮る。このたびの滞在から冷蔵庫とガス台がそろったので、自分で思うように料理ができることが、ほんとに嬉しいよ。

ハマにいるときも同じだけど、二日酔いでも調理台の前に立つと、不思議にシャンとするんだ。「食っとかないとヤバい」というとき、それと酒の肴しか作らないけど。

スーパーから戻って日清ラ王のつけ麺ーーこれがとても美味いーーを食ったあと、きのう買ってきたデカいジャガイモ一つをミルクパンで丸のままゆっくり茹でていた。ところが誰かにメールを打ってるうちに、ちょっと茹で過ぎちまったんだな、これが。

夕方。冷めていたそいつの皮を刻み、芋の外側の柔らかくなったとこを崩して半分ほどにする。玉ねぎ薄切りに塩をちょっと強めにまぶして、しばらく置く。芋の下味分の塩として強くするというワケ。

知ってる? エリザベス・テーラーは、太りすぎちゃったときにジャガイモの皮ばかり食ってたっての 笑。べつにマネするつもりないけど、もったいないし、うまいと思うから、できるだけ捨てないんだ。

芋の中の方は、明日、どうするか考えていない。

芋の皮、芋、玉ねぎにマヨネーズをドボリと加えて混ぜた。色がないので生のワカメを刻んで足した。玉ねぎの辛味と香りがちょっとキツかったんで、醤油を少々足したら、ようやく全体がまとまった。フゥ……。

ーーで、ようやく晩酌晩飯のはじまり。サラダを作るあいだゆっくり焼いた厚揚げが、ほんとうにうまい。

今日は昼間呑まなかったし、金宮焼酎のボトルを入れたこのマンション1階のスナック『P’s』も昨夜に続いて休みのようなんで、飲み終わったら、昨日炊いたご飯を炒飯にして食うよ。電子レンジは無いんだ。洗濯機もないけどね 笑。

じゃ、健康じゃなくても元気第一でやってね。おれは何が第一かワカンねぇ。生活第一? 小沢党かよ!

ーーこんな調子で、昼寝しながらやってるよ。ミカンが安いので助かる。きょう行った松原湯の近くの八百屋。12個で270円。ミカンが食い放題なのは前から知ってたんで、それも伊東に住みたかった理由なんだ。

ほんじゃ、元気で!

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友と京都で 5ーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、同地に数日滞在することが決まった時に連絡すると、昼食時なら会えるという。まだ現役勤務の身なのだ。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の御膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。写真のほかに米茄子の田楽の熱いの、そして食後の水菓子としてよく熟れたメロンがあとから供され、ビールを頼んだことを後悔することとなった。食べ残し、飲み残しは嫌なので。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、口に良く馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行であることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

(『篩月』http://www.tenryuji.com/shigetsu/


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友と京都で 4ーー街なかフラフラと祇園の裏へ

宇治の競技場から途中退出し、まずは山鉾の見物に。

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山鉾ごとに御朱印のような、何か書き付けを頂けるようで、主に婦人が列をなしている。こちらも以前は神社仏閣でマメに御朱印をいただいていたが、それが流行りとなり、列ができるようになってからは、照れくさいので止めた。

不勉強で歴史も苦手な身としては、祇園祭の由来も理解できず、山鉾のしっとりした美しさや意外な色形をただ愛で、趣を味わうのみ。

試合を終えた学生たちとの酒席を楽しみ、応援歌を合唱したあと、同輩の爺さんたちとも駅前で別れた。今回の京都訪問の目的の大半は終えた。が、明日も一つ、別の友人と昼食の約束があった。

その間に区切りが欲しく、落ち着ける場所を求めて夜の祇園裏道を歩く。

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一軒、こちらのような懐具合でも、なんとか入れる店に出逢えた。次はいつになるか知れないが、また訪ねることになるのだろう。

ごく小体な店で、『よしみ』という。ご亭主は控えめで物腰柔らか。注文は献立にこだわることもない。ヨコワとイカの刺身を少量と、あとで漬け物をすこし出してもらった。

大阪からよく足を運ぶらしい常連さんとも話が弾む。

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この夏、故郷にて 3ーー須賀川で円谷幸吉さんを偲ぶ

東北本線の須賀川駅で途中下車して改札口を出ると、壁に懐かしい姿のポスターが張られていた。「第37回円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が10月20日に開かれるという。

須賀川が円谷選手の出身地であったことを半ば忘れ、といおうか、知っていたかどうかも定かではない。さっそく改めて検索してみると、彼を記念する展示室が市の体育館にあるという。行ってみよう。

前の東京オリンピック。マラソンのゴール前200メートルほどのところでイギリスのヒートリー選手に抜かれたまま、力尽きてゴールで倒れこんだ姿が忘れられないでいた。さらにその後、周囲の期待に押しつぶされるように自殺された際の遺書において、両親はじめ親族や上司一人一人に残した真率で実直な言葉も。

須賀川アリーナの にある「円谷幸吉メモリアルホール」は訪れる人もほとんどないのだろう。冷房装置もなく、猛烈な暑さの室内。

彼が陸上競技を始めたきっかけから練習の内容、競技に対する姿勢、腰の持病、婚約者への思い、そして自殺にいたる人生が、こと細かに語られる。ゆかりの品や写真が展示され、必死に陸上競技人生を生きていたひとりの人間の有りようが十二分に伝わってきた。

ヒートリーに追い越されたあの時、彼は抜かれた意識がなかったと聞いていた。ゴールを目前に、すでに意識が薄れていたことはあるだろう。

しかしその実態はこのたびの展示を観て、わたしの裡で明らかなものとなった。

それに先立つ数年前のある試合のあと、厳しい父親が彼に「後ろを振り返るものではない。それは自信のなさの表れだ」との戒めを与えていたとのことだった。彼はその教えのままに己の力を振り絞ることのみ思って走った。ヒートリーが背後に迫っていることなど、何ら意味のないことだったのだろう。

もともとトラック競技の選手で、5000m、10,000m
が専門。マラソンはこの時が3度目であったという。

100mや200mの短距離走者と同じく、自分の力を出し切る。いつも自己新を目指す。勝負の駆け引きなど問題にしない。ーー円谷選手のその姿勢にあらためて深く共感した。このオリンピックで彼は10,000mにも出場し、6位に入賞している。オリンピック陸上の長距離界において、これは驚異といえないか。

そもそも勝者は一人だけという勝負の世界で、それ以外の選手が求めるのは、常に記録なのだ。ことに二流三流の選手は自分を高めることだけしか眼中になく、勝ち負けなど問題にしていない。そもそも、優勝することなど、まずありはしないのだから。

さて、遺書の文言については、かねて読んでおり、または歌で聞いてはいたが、実際にそのペン書きの便箋を目の前にすると、あらためて涙がこみ上げてくる。

人の誠、真情の粋を至極単純な言葉で直截に語って、心に迫る。

彼の責任感の強さ、実直さを貶す人は少なからずいることだろう。もっと賢く生きていけよと。それはそれで結構だ。

しかしその純粋さに強く打たれ、自らの生き方と比べようとする者も、少なくとも一人、ここにいる。

なお、須賀川アリーナは歩いて行ける距離ではなかったので、電話でバス便を尋ねた。しばらくすると、あちらから掛かってきて、◯◯廻りはアリーナの前を通らないとの訂正と詫びであった。勤め人として当たり前ではあろうが、その語り口の丁寧さに頭が下がる思いがした。先頃、東北本線の列車に置き忘れたカメラを黒磯駅で保管していただいたので、お礼の菓子を送ったところ、駅長さんから丁重な電話を頂戴した時と同様に。

円谷選手に通ずる東北人の実直さをここに見るというと、言い過ぎだろうか。

(この稿、一部は先日の拙ブログと重複しますことをご容赦ください)
https://kogatak.at.webry.info/201908/article_1.html


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この夏、故郷にて 2ーー寄り道先は須賀川に

行程は考えていないものの、翌日の宿泊先は前もって予約を入れておいた。かねて聞き覚え、また見覚えのあった岳温泉に。

ボンネットバスが走っていた時代、生家の近所にあったバス一台用の木造車庫に、温泉の宣伝が、板か金属だったか、目立つものが掲げられていた。土湯、母畑、板室、川俣などとともに岳温泉という微かな記憶があった。それぞれが何処にあるのかも分からぬまま。

もうひとつの要因は、岳温泉をひかえた二本松の街に『玉嶋屋』という菓子の老舗があり、昔ながらの手間のかかる製法で周囲がガリガリの羊羹が作られていると、いつかテレビで知ったことだった。幼児の記憶にある羊羹の歯ざわりが蘇って、機会があれば店を訪ねたいと思っていた。

ところが恥ずかしいことに、二本松の位置関係が頭になく、県の北部福島市のすぐ手前であることをこのたび初めて知った。県の南端、白河生まれの者にとっては、会津への分かれ道である郡山あたりまでしか地理の感覚がない。

この日、二本松の最高気温は、たしか37度で、とりたてて報道はされなかったが、県一番の暑さだった。

ーーそうとも知らず、「あいかわらず暑いなぁ。途中、どこに寄ろうか。郡山の今風市街なんて見たくもない。乗り換えて三春に行っても、城址までの道を歩く気はしないし…」。

思いあぐねた末、「須賀川くらいしかないか。どこか小さな駅で降りて、日盛りに田んぼばかりも見ていられないよなぁ」と、福島行きの普通電車に乗りながら決める、行き当たりばったり。

むろん、須賀川の街の様子も何も分からない。「まあ、コンビニくらいあるだろう」という程度で、車内で検索してみると、こちらの出身者として特撮映画の円谷英二監督、陸上の長距離選手円谷幸吉という名が挙がっている。


〈白河の小峰城を駅のホームから見わたす。8年前の震災で崩壊した石垣はこの3月の末、完全復元された。無数の崩れた石を、写真資料を基に元どおり積み上げる、気が遠くなる作業。大したものだ〉
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〈須賀川に降り立つ〉
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〈乗ってきた列車を見送る。いつもながらのへたくそ撮り鉄〉
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〈ここはウルトラマンの町?〉
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〈暑し。この日、宿に着いて地元テレビのニュースを視る〉
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友と京都で 3ーー宇治は茶の街、蓮花のころ。そういえば、試合応援に来たのだった!

三日目はこの度の京都行きの本番。昼過ぎから後輩たちの定期対抗戦が宇治の陸上競技場で行われる。

その前に宇治の街を皆で練り歩く。

平等院への参道には多くの茶商が軒を連ねる。庇の下の看板がいずれも凝った意匠で、ついつい見惚れて撮影しては皆に遅れてしまう。

相手の同志社大学には近年、体育系の学部が創設されたということもあり、おととしから連敗中とのこと。

あまりに暑いので、少しの仲間を残して途中で引き上げ、京都の街に戻ることになった。

選手は炎天下で戦っているのにという批判の声はあろうが、連中はそのために日々鍛えているのだ。今は老いた自分たちだって、学生の頃はそのつもりで練習していた。(わたしは対抗戦に出ることは、できなかったけれど)

夕方行われる現役学生との反省会(という飲み会。なお学生はみな酒の飲める年齢…)を前に、祇園祭の山鉾に搭乗させてもらったりするうち、跳躍陣が踏ん張って、僅差で勝利との知らせが、競技場に残っていた元キャプテンから入った。

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ーー幸運にも昼メシは、選手・審判用に用意された鳥唐揚げ弁当(大)が余っているとのことで、お裾分けに与った。












友と京都で 2ーー鞍馬山を登りきれぬ元競走部員が二人ほど。なさけねぇ……

大学出て永らく関西系大手ホテルに勤めていた競走部の同輩が定年後に嘱託として勤めていたところ、某大学の観光学部に招かれ教職にあったが、これがトンデモ大学。学生は大半が東南アジア人。入国管理局の手こそ入っていないようだが、怪しいらしい。また日本人学生はとにかく程度が低く、質も悪いという。嫌気がさして、二年を経ずして職を辞した。

この程の同期会の幹事は、面倒見の良い彼だった。

京都行き二日目の午後、全員そろった同期会集合となった。卒業以来会っていなかったものが二人いた。しかし、話し振りも性質も全然変わっている様子がない。

夕方の宴会を控え、計画では鞍馬の奥の院へに山道を辿り、叡山電鉄鞍馬線で一つ手前の「貴船口」駅まで下る予定であったが、登り始めてから、とても無理な行程であることがわかった。

それどころか、当方ともう一人は奥の院にさえ行きつけぬという体たらく。

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「味の大西」のラーメンあれこれーー湯河原行き 1

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湯河原駅近く『大西』の普通ラーメン。男達がリキを付けに通っています。ワンタン麺も有名のようです。

ほんとうは転居すべきアパートの部屋を探しに行った湯河原の最終日の正午前。どうしてもシッカリしたラーメンを食べたい気持ちが強く、胃袋にちょっとムリさせて、一杯いただきました。

思えばラーメンというものは、別々に仕上げた数種の材料を、提供する直前に初めて丼の中に合わせる料理ですが、その一つひとつが念入りに作られ、しかも調和した上に「力強さ」を現出するという、大したものでした。

煮豚やワンタンを食べきれなかった青年に、店の兄さんが優しくパックを渡してくれる。「あまりお金使っちゃダメよ。食べられる分だけね」と、ビールから焼酎に切り替え、冷やし中華を追加しようとした爺さま(わたしじゃありません)を諭す姐さん。

地元の高校出身で、出張先からの帰りに何年ぶりかで寄ったという中年サラリーマンと、まるでこの店のラーメンのように腕っぷしの強そうなご主人との「アイツは今さぁ……」といった開けっぴろげなやりとりも、じつに微笑ましくも頼もしく、生きている歓びみたいなものさえ伝わってくるのです。

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すべて豪快でやさしい。

しかし、老人の胃袋にはすこし負担がかかるのが悲しいところです。偶然入った初日は、外に漂い出る煮豚の匂いと豚骨出汁の香りに引かれてふらふらと扉を押したのですが、前座であるべき瓶ビールとマカロニサラダでお腹いっぱいになってしまいました。つきだしに一皿くれた胡瓜の和え物がたっぷりあって、もうこれで十分なほどだったこともあり。

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以下はダソクと個人の偏見です。お読み飛ばしください。

大西の近所にあるスーパーで、滞在中の酒やツマミ、カップラーメンやヤキソバ、その具にするモヤシなどを仕入れていると、なにやらとても高価な(一食入り200円くらいだったかと思って、ただ今検索したら450円だって!ドヒャー)。地元のラーメン店らしい「◯◯商店」というところの即席麺が大量に並んでいて、「なんじゃこりゃ。こんな高いの、誰が買うのかいな」と、当然のこと素通りです。売れないからワゴン売りしてるのだろうと憐れみながら。

たまたま数日後の夕刊紙にその店が載っているのを見ると、超のつく有名店で、朝早くから予約券を手に入れるのに行列ができるという…。そんな店、ゼッタイに行かんよ。即席麺の450円って、冗談じゃねえよ。ハマでは町の中華屋で立派な一杯のラーメンをを作ってくれるのさね。おれがいつもウチで「うめえうめえ」と食っているマルちゃんの醤油ラーメンなんて、三食で185円だぜ!

値段も味のうち。それをどう解釈するかは両極端あり。またいずれ考えてみよう。

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『味の大西 本店』https://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141002/14003351/


























友と京都で 1ーー初日はひとりで街なか彷徨

予定していた京都行きの一週間前、勤めはじめた頃から世話になっていた先輩が亡くなった。

春以来、父に始まり従妹そして叔母と、月ごとに身内の死が続いていた。そして先輩、ときたものだ。

お弔いの日程が気になっていたところ、はたして、京都行きの三日目が通夜との連絡が入った。

予定を中止すべきかどうか、かなり悩んだ。世の仕来りからすれば、取りやめるところだろう。

しかしよくよく思えば、先輩とは毎月の飲み会が十年以上続いており、このたび倒れられる直前にも、じつはご一緒していた。一方、京都での会合には、学校を出て以来四十年ほども会っていなかった友が幾人も参加する。死者への礼儀を尽すか、いつまた会えるかわからぬ友との交誼を重くみるべきか…。

こうして結局は予定どおり、京都に向かうのだった。

……。

指定席というのが、どうも性に合わない。飛行機や連れがいる場合など、よほどの必要がないかぎり、あらかじめ時間を定めず、その日その時の気分で列車を決め、適当な自由席に乗っている。

故郷白河に行くときは、東北新幹線「なすの」の郡山行きが空いているし、京都のときは新横浜始発の「ひかり」が気をつかわずに済む。

というわけでこの日、京都には朝八時に着いてしまった。

翌日以降の友人たちとの付き合いを控え、終日ひとりで拘束なし、予定もなしという有り難さ。フウテンの限りを尽せる。

とはいえ、足の向くままなのは結構なのだが、その「足」がすでに頼りなく、日に一万数千歩が限界というのが情けない。

で、地下鉄の四条駅で降り、まだ観光客がほとんどいない錦小路をゆっくり抜けて、天満宮に突きあたった。

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さて、どこに行こうか…。天神様の裏、居酒屋の『たつみ』は正午の開店。それまで時間をつぶさねば。

時おり降ってくる小雨に傘をさしたりすぼめたり、厄介なことこの上ない。

河原町通と新京極の間、北に延びる裏寺町通。お寺の門の下でぼんやりと行き先に考えをめぐらせる。

この時期に花を見るなら蓮だろう。そういえば、いつか「洛陽三十三所観音」を巡った時、その名も大蓮寺という寺があって、蓮を植えた大甕が庭いっぱいに置かれていた。さほど遠くはない。

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しばらくのあいだ蓮を拝見し、広くはない境内の奥にある寺務所で変ったお守りをいただいた。明治から大正にかけて「大蓮寺の走り坊さん」と親しまれ、寺に訪れるのが困難な妊婦に安産弥陀如来の宝号を、日に十五里も走って届けたという。

蒸し暑いのには閉口した。分かってはいながらも……。


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振り返ってみればこの日、朝から麦茶を駅で買ったのみで、何も腹に入れていなかった。

ロの字型のカウンターは地元の方もまばらで、前の週に行われていた祇園祭の前祭を受け、束の間の静けさを味わっている風情だった。

椅子席の端にお店の旦那さんだろうか、たぶんいつも見かける七十代後半の先輩はあいかわらずの健啖ぶりで、鱧の天ぷらやドボ漬けなどを注文して途切れない。

こちらはといえば、しみったれて小鰯の煮付け、鱧の皮、芋茎の酢の物でヒヤの日本酒二本と、およそ朝昼兼用で口にする食べ物とは言えない。まあ、旅先の勝手として許していただこう。

いつも感嘆するのは、調理場を仕切っている禿頭で痩せたトッツァンで、この日はおそらく若い女性の助手と二人で、無数ともいえる酒の肴を供している。

この地で昔からごくふつうに食されている和食全般のほか、納豆オムレツやら明太子ご飯、また揚げ餅など、呑み助にはありがたい短冊の品書きが、季節に応じて張り出される。

今回は三日目だったか、店の脇を通りかかったら偶然にもその調理人さんと擦れ違ったのだが、自然と頭が下がってしまうのだった。

『たつみ』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26002374/


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一合瓶の酒を二本もらっただけで調子づいてしまい、近ごろは観光客ばかりになっているので足が遠のいていた京極の『スタンド』にノコノコと入ってしまったのは、普通のラーメンをもらって『たつみ』での昼呑みを締めようとしたからに違いない。しかし……。

『京極スタンド』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26000665/














蓮の花は四日の命ーー横浜三溪園盛夏

梅雨が明けたかとも思えた日曜日、横浜本牧の三溪園の様子を窺いに。青空を背景に百日紅(サルスベリ)でも見られればいいかと、ぼんやり思いながらバスに乗っていた。

本牧に着くとすでに正午すぎ。朝食が遅く、レトルトカレーを温める同じ鍋で半熟卵を煮てカレーに割り入れ、食パンをとっていたので、『玉家』のサンマーメンも『江戸清』のちらし鮨にも気持ちが動かない。

園に入ると、蓮が盛りを迎えていた。蓮のことが頭になかったのは、うかつと言うしかない。

この時間となれば、朝に開いた花もまた閉じかかっているが、まあいい。目についたものだけを撮っておいた。

ものの見方は無限にあるので、飽きるまでその花と葉の様子を眺めていたら、けっこうな枚数になってしまった。

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信州奥蓼科あちらこちら ③白駒の池・苔の森ーー陰から陽、陽から陰へ。そして風邪を引き……

旅の記録を探してみると、ここは三年前の同じ頃、一泊バス旅行の最後に立ち寄っていた。もっとも、正確にいうと、この時は白駒の池には行っていない。いや、そこまでたどり着けなかった。

陽が差しこまず、湿気にみちた森がおどろおどろしいほどに生命にあふれているのに畏れを覚えながらも引きこまれ、撮影するうちに、集合時間がきてしまったので。

倒木におびただしい種類の苔が生え、朽ちて崩れるところに新しい木の芽が鮮やかな緑を見せてくれる様に圧倒され続けた。死もなく生もない。時間の前後もない。この森ではすべて同じことだった。

それをよく覚えていたので、今回は、池へ上って行く途中の森には一切目をくれぬようにして通り抜けることにしていた。まずは池を見てみよう、と。

白駒の池は鎮まりかえっていて、対岸の樹々とそれを映す池の面がまったくの対称像をなしているのには、目眩を覚えるような気がした。見あげる青空と白雲がそのまま、池の水の中にあった。

帰り道、時間を気にしながら苔の森の木道をたどりながら立ち止まっては写真を撮っているうちに雨が降り始め、バスに戻るころには本降りとなっていた。

山の天候は天気予報ではわからない。そうは分かっていながら、前夜遅くまで飲んでいたズボラな頭で、「長野県は曇りのち晴れ」という予報を鵜呑みにした。雨合羽やジャンパーはおろか傘も持たず、ふだん街を散歩するのと同じ出で立ちだった。

朝から次第に晴れ上がり、かえって暑いほどになっていたところ、最後の最後で山の恐ろしさを味わい、翌日からしばらくは、風邪で苦しむことになる。

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本格の精進料理、ご馳走になるーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、所用で同地に数日滞在することになったので連絡すると、数時間なら会えるという。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行の一つであることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

………

天龍寺『篩月』
http://www.tenryuji.com/shigetsu/

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円谷幸吉さんが食べたもののことーー福島県あちらこちら

Hさん 故郷での寂しい法事を済ませ、翌日は例によって県内の温泉に行ってきました。県南に位置する我が白河から、県北福島の手前、安達太良山の入り口に岳温泉というところがあるのです。

まだ時間が早かったので、どこかに寄り道しようと、東北本線を北上しながら路線図を見ると、郡山以外には須賀川くらいしか、何かありそうな街は見当たりません。どこかで適当に下車し、木や花を求めて当てもなく歩き回る気は、とうてい起きず、梅雨明けと思える酷い暑さでもあり。

列車に揺られながら検索してみたところ、須賀川ゆかりの人物として、特撮の円谷英二、陸上競技の円谷幸吉が浮かんできました。

ウルトラQにはお世話になったけれど、ウルトラマンはどうもなぁという世代であり、たまたま先週あたりに新聞の連載でマラソンの君原健二さんが取り上げられていて、円谷選手との関わりを読んだばかりなので、迷わず「円谷幸吉メモリアルホール」を目指しました。

先の東京オリンピックのマラソンで、国立競技場にアベベに続いて2位で入ってきたものの、あと200メートル程のところでイギリスのヒートリーに抜き去られた場面は忘れられないのです。その後の自殺のことも。わたしが小学6年の時でした。
https://m.youtube.com/watch?v=3iYvrxH4bMw

Hさん、岡山の方のご丹精の結晶である白桃、そして亡き恋人との桃にまつわる甘美きわまりない思い出をフェイスブックに綴っておいででしたね。

それとは全然かけ離れ、色気のない桃の思い出です。小学生の頃、夏休みに帰省すると、舗装などしていない駅前のバス乗り場近くに農家の方々がたくさん来ていて、竹籠に入れた桃を並べて売っていたような気がするのです。休みのはじめには桃、ひと月経って、嫌々ながらに横浜に戻る頃には、青リンゴにかわっていたかもしれません。こちらより一回り歳上の同県人、円谷選手の桃体験は如何だったのでしょうか。

彼がふるさとを最後に訪れたのは、その中にある「三日」という一語と自殺した日、ご馳走になった品目からして、正月だったかと推察します。

遺書で父母兄弟宛に繰り返す「美味しうございました」には、とろろ、干し柿、ブドウ酒、リンゴ、しそめし等が挙げられていて、周りに誰もいないのをよいことに、読みながら涙滂沱でした。

この遺書に関して川端康成、三島由紀夫が絶賛する辞も掲げられていました。ふたりの感想はまた、円谷幸吉という人、あるいは人間という存在の根底を指し示してくれる、これまた深い言葉なのでした。

老生にとっての「命の源」は、祖母や母に作ってもらった、円谷さんが有難がっていたような、質素な食べ物です。いつも申しているように、子供の頃は苦手だった芋柄を干し上げたものなど、今はその材料を探し求め、手探りで調理法を試しているほどです。(もっとも、今回の小旅行最後の昼メシは、酷暑の郡山でみつけた食堂『三松会館』でのトンカツとラーメンでしたけれど!)
https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7005266/

暑さは当分続くのでしょう。ご自愛ください。

/T. K.生 拝


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信州奥蓼科あちらこちら ②横谷渓谷ーーガラリ一転、晴れて暑く

どうも滝というものに興味が持てず、写真の撮り方もぞんざいになってしまう。

乙女滝というが、おそよ乙女らしくもない。豪快に飛沫を散らしながらドウドウと流れ落ちる。そんな様子を写真に仕立てる気が起きなかった。同行している隣国の女性連れは、しきりに感激してスマホ動画を撮っていた。その手もあろうが、どこか安直な気がして…。

早々に立ち去って上流に向かうと、霧降の滝というのがあったが、手洗いの場所が気になりはじめ、仕方なくアリバイ証明がわりに、「写っていればいいや」と一、二枚撮ってバスに戻るのだった。

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あれはどなたの筆によるものかーー今と昔、書道塾は変わらず

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いつも訪ねる馬場花木園(横浜市鶴見区)の近所には六十年以上も前から書道塾が続いています。若かった頃の老母も、付き合いが今に続く小学の同級生たちも、昔はここで手習いをしていたのです。

当時の師範は母と同年輩。跡を継いだ娘さんは、わたしと同級でした。

園への往き還りには必ず、塾の塀に月替わりで掲げられるお弟子さんたちの作品展示を眺めることになります。

達者な筆遣いからすると、相当に心の据わったご年配の方か、もしや三代目か四代目のお若い師範の手になるものかと想像するのですが、今回はこのような書が張られていました。

告白を見守っている桐の花

句の巧拙は分かりません。好みからすれば、そもそも恋心を伝えるのに「告白」という言葉を使うのは適切を欠くと思え、そもそも俳句としてはどうなのか、疑問です。

近ごろは告白すなわち求愛のように使われているようで、いつも苦々しい思いをしていますので。「神対応」なんぞと同様に。

それはそれとして、梅雨に入る頃、重苦しくて動かない空気の中、枝の先に地味な薄紫の花をつける桐の樹のもと、若い男女が真剣な思いで対しているという景色には同情できます。

その句は書かれた方の作なのか、お若い頃の自らの情況を思い出して詠まれたのかなどと、様々にまた想いは広がるのです。

どれほど前のことだったか、ここにやはり思い詰めた恋心と、たしか夕陽を絡ませて謳った句があったのですが、当然のことながら思い出せない。写真に撮り、フェイスブックかブログにまとめたはずなのが、見つかりません。

何よりも、それを目にして驚いたのは、その書は遠い昔にわたしが深く思っていた方の名によるものだったのです。その方は中学の時、塾の師匠と同じ組でした。

相手に募る気持ちを打ち明けたいが、どうしても言えない。そうしたもどかしい思いを詠んだものでした。その思いがこちらのものともなく、あの方のものともなく、遥か時を経て共に持てたようで、哀しくはあれ、ある種の安心も得られた気がしたものです。

以来、花木園に通うごとに展示板には前に増して気をつけていますが、当人かどうかは知れずとも「あの方」の名前には出会えません。




長梅雨のなか、鎌倉散策 3ーー遅い朝メシ昼メシは裏路地のハシゴ呑みにて…

空っぽの胃袋はすっかり “ラーメン待ち受け態勢” になっていた。

三月ほど前、季節はずれの寒さに耐えかねてとびこんだラーメン店では、気の良さそうな中年女性店員さんに「寒い寒いって言いながらバカだよねー」と自嘲しながら、ビールを頼んだものだった。

しかしこの日は何故かそのラーメン店の前を通り過ぎてしまった。前回同様に席はガラガラだったのに。自分で自分が解せない。ラーメン喰いたかったのに…。

若宮通りから小町通りに抜ける路地の中ほど、吉兆美術館の斜向かいに軽く酒が飲めそうな小料理屋が夕方近いのにご飯ものを出すようで、ならばチョイとつまむものも出してくれるだろうと、迷わず引き戸を開けた。

これがまた、近ごろの自分にピタリの店で、月々の墓参の帰りには必ず立ち寄ることになるだろう。

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次回、ご店主との話の種はもう決まっている。ひとつ、干物はどういう火を使い、どういう加減で焼いているのか。ひとつ、ご亭主は二代目に当たられるのか、と。

調理場で「いい鰺だ」と呟きながら焼いていた干物は、それ程によく焼けていて、小さめの頭部の骨はシャリシャリとしながらけっして焦げてはおらずに味わいがあり、残すのは背骨の部分だけだった。分厚い皿も充分に温められており、最後まで冷めない干物がいただけるのだった。

カウンターだけの店、七十年配で小太りのご夫婦の白黒写真が品書きの木札の下にひっそりと置かれていた。数日後、お寺の元住職に父の新盆をお願いし、終えたあとこの店を訪ねたことを話すと。若い頃に店の二階でよく飲んでいたとのことで、愛想よくて働きものの女将さん、職人肌の親父さんはいつも長靴で調理場にいたことなど、懐かしそうに話してくれた。

夜の営業はないとのことで、ご店主が市役所に用がある様子だったので、早めに切り上げて、二軒目を探し始めた。

駅からほど近い路地の奥、さらに不規則なコの字形に曲がった市場のような一角があり、精肉屋や惣菜屋また特徴ある飲み屋が寄り集まった一角があるのは前から気になっていた。飲み屋は概して洒落た造りや賑やかな客が集まっているので、気が進まないが、たった一軒だけ、中の様子はうかがえないながら、ここは純正の居酒屋と踏んで、迷わず引き戸を開けた。これが大当たり。

地元のご常連ばかり集まっているが、初見のこちらを白い目でみることもなく、ごく自然に溶け込むことができる。

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帰りの電車に乗りながら、思えば腹にたまるものを朝から食べていなかったので、横浜駅で途中下車し、『龍王』でサンマーメンを食べてゆくことにした。

…かと言って麺だけというのも野暮なお話。ところが餃子ビールが思いのほか効いてしまい、肝心のサンマーメンは、麺の一部を残すはめとなってしまったのは、痛恨の至りであった。「おれとしたことが……」。

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信州奥蓼科あちらこちら ①御射鹿池ーー梅雨の晴れ間に陰晴定まらず

大げさにも「秘境」と紹介される森や池をめぐる団体バス旅行。お目当てにしていた御射鹿池というところは、八ヶ岳の冷たい水をここに貯めて水温を上げ、農業用水とするための人造池ということだった。

団体旅行の常で、滞在時間がわずか20分というのには参ってしまった。

じっさいに写真をとっていた10分ほどの間にも雲の動きは激しく、なおのこと慌しいカメラ操作を強いられることとなり、散々…。

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長梅雨のなか、鎌倉散策 2ーー報国寺、竹林は初見にて


この春、石材店で墓石の相談をしたあとまっすぐ帰るのももったいなく思えて、その近くの報国寺を訪ねたことがあった。


しかし四月も半ばというのに、あまりにも冷えこみが強く、朝から何も腹に入れていなかったので、本堂にお参りして前庭を拝見し、早々に鎌倉駅行きのバスに乗っていた。


捲土重来。

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