「味の大西」のラーメンあれこれーー湯河原行き 1

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湯河原駅近く『大西』の普通ラーメン。男達がリキを付けに通っています。ワンタン麺も有名のようです。

ほんとうは転居すべきアパートの部屋を探しに行った湯河原の最終日の正午前。どうしてもシッカリしたラーメンを食べたい気持ちが強く、胃袋にちょっとムリさせて、一杯いただきました。

思えばラーメンというものは、別々に仕上げた数種の材料を、提供する直前に初めて丼の中に合わせる料理ですが、その一つひとつが念入りに作られ、しかも調和した上に「力強さ」を現出するという、大したものでした。

煮豚やワンタンを食べきれなかった青年に、店の兄さんが優しくパックを渡してくれる。「あまりお金使っちゃダメよ。食べられる分だけね」と、ビールから焼酎に切り替え、冷やし中華を追加しようとした爺さま(わたしじゃありません)を諭す姐さん。

地元の高校出身で、出張先からの帰りに何年ぶりかで寄ったという中年サラリーマンと、まるでこの店のラーメンのように腕っぷしの強そうなご主人との「アイツは今さぁ……」といった開けっぴろげなやりとりも、じつに微笑ましくも頼もしく、生きている歓びみたいなものさえ伝わってくるのです。

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すべて豪快でやさしい。

しかし、老人の胃袋にはすこし負担がかかるのが悲しいところです。偶然入った初日は、外に漂い出る煮豚の匂いと豚骨出汁の香りに引かれてふらふらと扉を押したのですが、前座であるべき瓶ビールとマカロニサラダでお腹いっぱいになってしまいました。つきだしに一皿くれた胡瓜の和え物がたっぷりあって、もうこれで十分なほどだったこともあり。

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以下はダソクと個人の偏見です。お読み飛ばしください。

大西の近所にあるスーパーで、滞在中の酒やツマミ、カップラーメンやヤキソバ、その具にするモヤシなどを仕入れていると、なにやらとても高価な(一食入り200円くらいだったかと思って、ただ今検索したら450円だって!ドヒャー)。地元のラーメン店らしい「◯◯商店」というところの即席麺が大量に並んでいて、「なんじゃこりゃ。こんな高いの、誰が買うのかいな」と、当然のこと素通りです。売れないからワゴン売りしてるのだろうと憐れみながら。

たまたま数日後の夕刊紙にその店が載っているのを見ると、超のつく有名店で、朝早くから予約券を手に入れるのに行列ができるという…。そんな店、ゼッタイに行かんよ。即席麺の450円って、冗談じゃねえよ。ハマでは町の中華屋で立派な一杯のラーメンをを作ってくれるのさね。おれがいつもウチで「うめえうめえ」と食っているマルちゃんの醤油ラーメンなんて、三食で185円だぜ!

値段も味のうち。それをどう解釈するかは両極端あり。またいずれ考えてみよう。

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『味の大西 本店』https://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141002/14003351/


























友と京都で 1ーー初日はひとりで街なか彷徨

予定していた京都行きの一週間前、勤めはじめた頃から世話になっていた先輩が亡くなった。

春以来、父に始まり従妹そして叔母と、月ごとに身内の死が続いていた。そして先輩、ときたものだ。

お弔いの日程が気になっていたところ、はたして、京都行きの三日目が通夜との連絡が入った。

予定を中止すべきかどうか、かなり悩んだ。世の仕来りからすれば、取りやめるところだろう。

しかしよくよく思えば、先輩とは毎月の飲み会が十年以上続いており、このたび倒れられる直前にも、じつはご一緒していた。一方、京都での会合には、学校を出て以来四十年ほども会っていなかった友が幾人も参加する。死者への礼儀を尽すか、いつまた会えるかわからぬ友との交誼を重くみるべきか…。

こうして結局は予定どおり、京都に向かうのだった。

……。

指定席というのが、どうも性に合わない。飛行機や連れがいる場合など、よほどの必要がないかぎり、あらかじめ時間を定めず、その日その時の気分で列車を決め、適当な自由席に乗っている。

故郷白河に行くときは、東北新幹線「なすの」の郡山行きが空いているし、京都のときは新横浜始発の「ひかり」が気をつかわずに済む。

というわけでこの日、京都には朝八時に着いてしまった。

翌日以降の友人たちとの付き合いを控え、終日ひとりで拘束なし、予定もなしという有り難さ。フウテンの限りを尽せる。

とはいえ、足の向くままなのは結構なのだが、その「足」がすでに頼りなく、日に一万数千歩が限界というのが情けない。

で、地下鉄の四条駅で降り、まだ観光客がほとんどいない錦小路をゆっくり抜けて、天満宮に突きあたった。

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さて、どこに行こうか…。天神様の裏、居酒屋の『たつみ』は正午の開店。それまで時間をつぶさねば。

時おり降ってくる小雨に傘をさしたりすぼめたり、厄介なことこの上ない。

河原町通と新京極の間、北に延びる裏寺町通。お寺の門の下でぼんやりと行き先に考えをめぐらせる。

この時期に花を見るなら蓮だろう。そういえば、いつか「洛陽三十三所観音」を巡った時、その名も大蓮寺という寺があって、蓮を植えた大甕が庭いっぱいに置かれていた。さほど遠くはない。

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しばらくのあいだ蓮を拝見し、広くはない境内の奥にある寺務所で変ったお守りをいただいた。明治から大正にかけて「大蓮寺の走り坊さん」と親しまれ、寺に訪れるのが困難な妊婦に安産弥陀如来の宝号を、日に十五里も走って届けたという。

蒸し暑いのには閉口した。分かってはいながらも……。


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振り返ってみればこの日、朝から麦茶を駅で買ったのみで、何も腹に入れていなかった。

ロの字型のカウンターは地元の方もまばらで、前の週に行われていた祇園祭の前祭を受け、束の間の静けさを味わっている風情だった。

椅子席の端にお店の旦那さんだろうか、たぶんいつも見かける七十代後半の先輩はあいかわらずの健啖ぶりで、鱧の天ぷらやドボ漬けなどを注文して途切れない。

こちらはといえば、しみったれて小鰯の煮付け、鱧の皮、芋茎の酢の物でヒヤの日本酒二本と、およそ朝昼兼用で口にする食べ物とは言えない。まあ、旅先の勝手として許していただこう。

いつも感嘆するのは、調理場を仕切っている禿頭で痩せたトッツァンで、この日はおそらく若い女性の助手と二人で、無数ともいえる酒の肴を供している。

この地で昔からごくふつうに食されている和食全般のほか、納豆オムレツやら明太子ご飯、また揚げ餅など、呑み助にはありがたい短冊の品書きが、季節に応じて張り出される。

今回は三日目だったか、店の脇を通りかかったら偶然にもその調理人さんと擦れ違ったのだが、自然と頭が下がってしまうのだった。

『たつみ』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26002374/


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一合瓶の酒を二本もらっただけで調子づいてしまい、近ごろは観光客ばかりになっているので足が遠のいていた京極の『スタンド』にノコノコと入ってしまったのは、普通のラーメンをもらって『たつみ』での昼呑みを締めようとしたからに違いない。しかし……。

『京極スタンド』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26000665/














蓮の花は四日の命ーー横浜三溪園盛夏

梅雨が明けたかとも思えた日曜日、横浜本牧の三溪園の様子を窺いに。青空を背景に百日紅(サルスベリ)でも見られればいいかと、ぼんやり思いながらバスに乗っていた。

本牧に着くとすでに正午すぎ。朝食が遅く、レトルトカレーを温める同じ鍋で半熟卵を煮てカレーに割り入れ、食パンをとっていたので、『玉家』のサンマーメンも『江戸清』のちらし鮨にも気持ちが動かない。

園に入ると、蓮が盛りを迎えていた。蓮のことが頭になかったのは、うかつと言うしかない。

この時間となれば、朝に開いた花もまた閉じかかっているが、まあいい。目についたものだけを撮っておいた。

ものの見方は無限にあるので、飽きるまでその花と葉の様子を眺めていたら、けっこうな枚数になってしまった。

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信州奥蓼科あちらこちら ③白駒の池・苔の森ーー陰から陽、陽から陰へ。そして風邪を引き……

旅の記録を探してみると、ここは三年前の同じ頃、一泊バス旅行の最後に立ち寄っていた。もっとも、正確にいうと、この時は白駒の池には行っていない。いや、そこまでたどり着けなかった。

陽が差しこまず、湿気にみちた森がおどろおどろしいほどに生命にあふれているのに畏れを覚えながらも引きこまれ、撮影するうちに、集合時間がきてしまったので。

倒木におびただしい種類の苔が生え、朽ちて崩れるところに新しい木の芽が鮮やかな緑を見せてくれる様に圧倒され続けた。死もなく生もない。時間の前後もない。この森ではすべて同じことだった。

それをよく覚えていたので、今回は、池へ上って行く途中の森には一切目をくれぬようにして通り抜けることにしていた。まずは池を見てみよう、と。

白駒の池は鎮まりかえっていて、対岸の樹々とそれを映す池の面がまったくの対称像をなしているのには、目眩を覚えるような気がした。見あげる青空と白雲がそのまま、池の水の中にあった。

帰り道、時間を気にしながら苔の森の木道をたどりながら立ち止まっては写真を撮っているうちに雨が降り始め、バスに戻るころには本降りとなっていた。

山の天候は天気予報ではわからない。そうは分かっていながら、前夜遅くまで飲んでいたズボラな頭で、「長野県は曇りのち晴れ」という予報を鵜呑みにした。雨合羽やジャンパーはおろか傘も持たず、ふだん街を散歩するのと同じ出で立ちだった。

朝から次第に晴れ上がり、かえって暑いほどになっていたところ、最後の最後で山の恐ろしさを味わい、翌日からしばらくは、風邪で苦しむことになる。

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本格の精進料理、ご馳走になるーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、所用で同地に数日滞在することになったので連絡すると、数時間なら会えるという。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行の一つであることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

………

天龍寺『篩月』
http://www.tenryuji.com/shigetsu/

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円谷幸吉さんが食べたもののことーー福島県あちらこちら

Hさん 故郷での寂しい法事を済ませ、翌日は例によって県内の温泉に行ってきました。県南に位置する我が白河から、県北福島の手前、安達太良山の入り口に岳温泉というところがあるのです。

まだ時間が早かったので、どこかに寄り道しようと、東北本線を北上しながら路線図を見ると、郡山以外には須賀川くらいしか、何かありそうな街は見当たりません。どこかで適当に下車し、木や花を求めて当てもなく歩き回る気は、とうてい起きず、梅雨明けと思える酷い暑さでもあり。

列車に揺られながら検索してみたところ、須賀川ゆかりの人物として、特撮の円谷英二、陸上競技の円谷幸吉が浮かんできました。

ウルトラQにはお世話になったけれど、ウルトラマンはどうもなぁという世代であり、たまたま先週あたりに新聞の連載でマラソンの君原健二さんが取り上げられていて、円谷選手との関わりを読んだばかりなので、迷わず「円谷幸吉メモリアルホール」を目指しました。

先の東京オリンピックのマラソンで、国立競技場にアベベに続いて2位で入ってきたものの、あと200メートル程のところでイギリスのヒートリーに抜き去られた場面は忘れられないのです。その後の自殺のことも。わたしが小学6年の時でした。
https://m.youtube.com/watch?v=3iYvrxH4bMw

Hさん、岡山の方のご丹精の結晶である白桃、そして亡き恋人との桃にまつわる甘美きわまりない思い出をフェイスブックに綴っておいででしたね。

それとは全然かけ離れ、色気のない桃の思い出です。小学生の頃、夏休みに帰省すると、舗装などしていない駅前のバス乗り場近くに農家の方々がたくさん来ていて、竹籠に入れた桃を並べて売っていたような気がするのです。休みのはじめには桃、ひと月経って、嫌々ながらに横浜に戻る頃には、青リンゴにかわっていたかもしれません。こちらより一回り歳上の同県人、円谷選手の桃体験は如何だったのでしょうか。

彼がふるさとを最後に訪れたのは、その中にある「三日」という一語と自殺した日、ご馳走になった品目からして、正月だったかと推察します。

遺書で父母兄弟宛に繰り返す「美味しうございました」には、とろろ、干し柿、ブドウ酒、リンゴ、しそめし等が挙げられていて、周りに誰もいないのをよいことに、読みながら涙滂沱でした。

この遺書に関して川端康成、三島由紀夫が絶賛する辞も掲げられていました。ふたりの感想はまた、円谷幸吉という人、あるいは人間という存在の根底を指し示してくれる、これまた深い言葉なのでした。

老生にとっての「命の源」は、祖母や母に作ってもらった、円谷さんが有難がっていたような、質素な食べ物です。いつも申しているように、子供の頃は苦手だった芋柄を干し上げたものなど、今はその材料を探し求め、手探りで調理法を試しているほどです。(もっとも、今回の小旅行最後の昼メシは、酷暑の郡山でみつけた食堂『三松会館』でのトンカツとラーメンでしたけれど!)
https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7005266/

暑さは当分続くのでしょう。ご自愛ください。

/T. K.生 拝


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信州奥蓼科あちらこちら ②横谷渓谷ーーガラリ一転、晴れて暑く

どうも滝というものに興味が持てず、写真の撮り方もぞんざいになってしまう。

乙女滝というが、おそよ乙女らしくもない。豪快に飛沫を散らしながらドウドウと流れ落ちる。そんな様子を写真に仕立てる気が起きなかった。同行している隣国の女性連れは、しきりに感激してスマホ動画を撮っていた。その手もあろうが、どこか安直な気がして…。

早々に立ち去って上流に向かうと、霧降の滝というのがあったが、手洗いの場所が気になりはじめ、仕方なくアリバイ証明がわりに、「写っていればいいや」と一、二枚撮ってバスに戻るのだった。

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あれはどなたの筆によるものかーー今と昔、書道塾は変わらず

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いつも訪ねる馬場花木園(横浜市鶴見区)の近所には六十年以上も前から書道塾が続いています。若かった頃の老母も、付き合いが今に続く小学の同級生たちも、昔はここで手習いをしていたのです。

当時の師範は母と同年輩。跡を継いだ娘さんは、わたしと同級でした。

園への往き還りには必ず、塾の塀に月替わりで掲げられるお弟子さんたちの作品展示を眺めることになります。

達者な筆遣いからすると、相当に心の据わったご年配の方か、もしや三代目か四代目のお若い師範の手になるものかと想像するのですが、今回はこのような書が張られていました。

告白を見守っている桐の花

句の巧拙は分かりません。好みからすれば、そもそも恋心を伝えるのに「告白」という言葉を使うのは適切を欠くと思え、そもそも俳句としてはどうなのか、疑問です。

近ごろは告白すなわち求愛のように使われているようで、いつも苦々しい思いをしていますので。「神対応」なんぞと同様に。

それはそれとして、梅雨に入る頃、重苦しくて動かない空気の中、枝の先に地味な薄紫の花をつける桐の樹のもと、若い男女が真剣な思いで対しているという景色には同情できます。

その句は書かれた方の作なのか、お若い頃の自らの情況を思い出して詠まれたのかなどと、様々にまた想いは広がるのです。

どれほど前のことだったか、ここにやはり思い詰めた恋心と、たしか夕陽を絡ませて謳った句があったのですが、当然のことながら思い出せない。写真に撮り、フェイスブックかブログにまとめたはずなのが、見つかりません。

何よりも、それを目にして驚いたのは、その書は遠い昔にわたしが深く思っていた方の名によるものだったのです。その方は中学の時、塾の師匠と同じ組でした。

相手に募る気持ちを打ち明けたいが、どうしても言えない。そうしたもどかしい思いを詠んだものでした。その思いがこちらのものともなく、あの方のものともなく、遥か時を経て共に持てたようで、哀しくはあれ、ある種の安心も得られた気がしたものです。

以来、花木園に通うごとに展示板には前に増して気をつけていますが、当人かどうかは知れずとも「あの方」の名前には出会えません。




長梅雨のなか、鎌倉散策 3ーー遅い朝メシ昼メシは裏路地のハシゴ呑みにて…

空っぽの胃袋はすっかり “ラーメン待ち受け態勢” になっていた。

三月ほど前、季節はずれの寒さに耐えかねてとびこんだラーメン店では、気の良さそうな中年女性店員さんに「寒い寒いって言いながらバカだよねー」と自嘲しながら、ビールを頼んだものだった。

しかしこの日は何故かそのラーメン店の前を通り過ぎてしまった。前回同様に席はガラガラだったのに。自分で自分が解せない。ラーメン喰いたかったのに…。

若宮通りから小町通りに抜ける路地の中ほど、吉兆美術館の斜向かいに軽く酒が飲めそうな小料理屋が夕方近いのにご飯ものを出すようで、ならばチョイとつまむものも出してくれるだろうと、迷わず引き戸を開けた。

これがまた、近ごろの自分にピタリの店で、月々の墓参の帰りには必ず立ち寄ることになるだろう。

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次回、ご店主との話の種はもう決まっている。ひとつ、干物はどういう火を使い、どういう加減で焼いているのか。ひとつ、ご亭主は二代目に当たられるのか、と。

調理場で「いい鰺だ」と呟きながら焼いていた干物は、それ程によく焼けていて、小さめの頭部の骨はシャリシャリとしながらけっして焦げてはおらずに味わいがあり、残すのは背骨の部分だけだった。分厚い皿も充分に温められており、最後まで冷めない干物がいただけるのだった。

カウンターだけの店、七十年配で小太りのご夫婦の白黒写真が品書きの木札の下にひっそりと置かれていた。数日後、お寺の元住職に父の新盆をお願いし、終えたあとこの店を訪ねたことを話すと。若い頃に店の二階でよく飲んでいたとのことで、愛想よくて働きものの女将さん、職人肌の親父さんはいつも長靴で調理場にいたことなど、懐かしそうに話してくれた。

夜の営業はないとのことで、ご店主が市役所に用がある様子だったので、早めに切り上げて、二軒目を探し始めた。

駅からほど近い路地の奥、さらに不規則なコの字形に曲がった市場のような一角があり、精肉屋や惣菜屋また特徴ある飲み屋が寄り集まった一角があるのは前から気になっていた。飲み屋は概して洒落た造りや賑やかな客が集まっているので、気が進まないが、たった一軒だけ、中の様子はうかがえないながら、ここは純正の居酒屋と踏んで、迷わず引き戸を開けた。これが大当たり。

地元のご常連ばかり集まっているが、初見のこちらを白い目でみることもなく、ごく自然に溶け込むことができる。

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帰りの電車に乗りながら、思えば腹にたまるものを朝から食べていなかったので、横浜駅で途中下車し、『龍王』でサンマーメンを食べてゆくことにした。

…かと言って麺だけというのも野暮なお話。ところが餃子ビールが思いのほか効いてしまい、肝心のサンマーメンは、麺の一部を残すはめとなってしまったのは、痛恨の至りであった。「おれとしたことが……」。

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信州奥蓼科あちらこちら ①御射鹿池ーー梅雨の晴れ間に陰晴定まらず

大げさにも「秘境」と紹介される森や池をめぐる団体バス旅行。お目当てにしていた御射鹿池というところは、八ヶ岳の冷たい水をここに貯めて水温を上げ、農業用水とするための人造池ということだった。

団体旅行の常で、滞在時間がわずか20分というのには参ってしまった。

じっさいに写真をとっていた10分ほどの間にも雲の動きは激しく、なおのこと慌しいカメラ操作を強いられることとなり、散々…。

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長梅雨のなか、鎌倉散策 2ーー報国寺、竹林は初見にて


この春、石材店で墓石の相談をしたあとまっすぐ帰るのももったいなく思えて、その近くの報国寺を訪ねたことがあった。


しかし四月も半ばというのに、あまりにも冷えこみが強く、朝から何も腹に入れていなかったので、本堂にお参りして前庭を拝見し、早々に鎌倉駅行きのバスに乗っていた。


捲土重来。

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信州の奥蓼科、緑巡り/iPad 速報版

旅行会社主催の旅に加わるのは、真冬の北海道美瑛白金温泉以来のようです。

日帰りのバス旅はくたびれます。同行の奥様方が皆お元気なのは、なぜ? パーキンエリアで買いこむお菓子や飴チャン、そしておしゃべりがその元なのでしょうか?

かといって、クルマを使えぬ身には、これら “秘境” をこの値段(6,990円)で見て回るのは絶対に無理。

とはいえこの行程、紅葉の時期にも訪ねてみたいなぁ…。それまでに FUJIFILM の望遠レンズが付けられるカメラが欲しいけれど、とうてい余裕なし。


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御射鹿池。農業用の貯水池。八ヶ岳を源とする水があまりに冷たすぎるので、ここに貯めているそうな。



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横谷観音展望台付近。「展望」ということには興味なし。遠くの村や山が見えて何が面白いか、わからない。



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白駒の池。

このあとすぐ、駐車場に戻る途中で急に雨が降り出す。ほんの数分だけの青空。

雨に濡れたせいか、風邪をひいた気配あり。前夜ちょっと遊びすぎ、山に入るというのに雨具の用意せず、「曇りのち晴れ」という天気予報だけ信じて、町内散歩と同じ服装。カメラを X20に替えただけだったから。



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白駒の池に至る途中の「苔の森」。

何年か前にこのツアーで訪ねた時は、苔ばかり撮っていて、池まで行き着けなかったので、今回は “競走馬状態” で脇目も振らず池を目指し、大正解。



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苔の森の木の間から池が見えたところ。白く輝いていたのは白雲の反映。





主役は蓮かと思ったらーー馬場花木園は七夕

用足しのあとは行き場もなく、いつもの馬場花木園(横浜市鶴見区)に。

昼過ぎだったので蓮の花は期待しておらず、今年の蓮池の勢いを確かめられればという軽い気持ちで訪ねた。たしか二、三年前、あまりにも葉がまばらで寂しく、この池ももう手入れを受けられなくなったかと嘆いたものだった。

園内にある茅葺き屋根の屋敷を大規模に立て直しているということは、それだけの予算も付き、花木にも力が注がれているのだろう。池の盛んな様子に加えて、カンゾウ(ノカンゾウかヤブカンゾウか知らないが)またキスゲが立派な花を咲かせていた。

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一時間ほど巡って、足はいつもの蕎麦屋『豊年屋』へ。

冷酒一本を白菜漬けでやるうちに、献立に重大な誤植を発見してしまった。使っていたものが古くなったといって、ご常連がワープロでこしらえてくれたと、オヤジがいつか話していた。いい出来映えに感心していた。

あまりに食欲がなかったので、ふだんは読みとばす部分もつぶさに味読し、丼のアタマだけを作ってもらおうかとしていると、なんと「開花丼」とあるではないか。まだ食したことはないが、肉の玉子とじだろう。文明開化からくる「開化丼」だろうに…。

オヤジに指摘しようかどうかしばし迷った末、やめておくことにした。つくってくれたご常連の顔をつぶすことになろうし、オヤジの気づかいを増やすこともあろう。

けっきょくは天丼の並(900円)をご飯少な目で頼むこととなった。いつもは玉子丼の並(550円)のご飯少な目なのだが。

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二本目のヒヤが終わるころ、休日で訪ねてきていた娘さん夫婦と子供たちが二階から降りてきた。初対面だが物怖じする様子もない。まだ誕生日前であろう息子を抱いた母親とオカミに並んでもらって、撮っておいた。印刷して次回に持っていってやろう。来月、花木園はサルスベリの頃か。梅雨はすでに明け、暑くなっていることだろう。お盆でまた皆集まってくるにちがいない。

















梅雨のさ中、日光植物園ーー未明の徒然に;まずは写真の整理から…

「ラジオ深夜便」で流れてくるルイ・アームストロングを聞き流しながら何のあてもなく iPad を眺めていると、先に日光から帰るときに立ち寄った東京大学の植物園でみた草木の写真に行きあたった。

……。

昨日のこと、身体が辛くて起きていられず、さりとてただ寝てもいられない。ひと月前から撮り溜まった写真が気にかかっていた。仕方もなく、例によって寝床で整理を始めた。これが難航を極めた。

まず、写真の前後関係がよくわからない。旅に出るときは用途により二台のカメラを使い分けているが、日常記録用にしている片方を電車に置き忘れたために、丸々二日の間に立ち寄った食堂での飲み食いや買い物の内容は、草木撮影用カメラで記録していた。

情けないことに記憶する力が衰え、カメラの記録に頼っている。それが記憶力低下に拍車をかけているのだろうが。

見たもの、記録したものの順がはっきりしないと、それらの持つ意味が自分の中で定まらず、実像がつかめない。カメラでは「記録」しきれない自分の裡の「記憶」はどうしてもある。しかし哀しいかな、それは冷静な「記録」がないと蘇ってこないのだ。

苦心の末にアルバムを整理して、時系列上に並べおわると、ダメ写真をふるい落とし、条件を変えて撮った一枚一枚の確認と、さらなるふるい落とし、同時に構図の調整や色合いを補正する作業が続く。これが我がシゴトの本体なのだが、くたびれている身には、辛い。

集中する力がなく、五枚ほども仕上げると眠気が襲ってくる。数分眠っては起き、また写真に取りかかる。それを幾度繰り返すことか。

すべてに目を通したかどうか、わからない。晩飯を支度する時間になったのをいいことに、放り出した。

……。

夜中に目をさまし、もう眠れそうもないので iPad を開くと、編集しかけの写真が出てきた。その作業を続けられる状態ではない。

たまたまそれが植物園で撮ったものだったので、戯れに組み写真を試作しながら遊んでいた。それらについて言葉を綴る気力はない。代わりに、それに至る経緯を記し、ここまでとする。

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test/ ここは何処でしょう?

ブログのソフトがガラリと切り換わり、面喰らっております。変化に適応するのが、かったるくて…。カンベンしてくれ〜というところ。

隠棲先を求めて伊豆方面を目指しましたが、電車代がかさむのが嫌になり、湯河原で降りてしまいました。ところが夜来の大雨で貸室探しの出鼻をくじかれ、近所の散歩しかできず、しかし収穫は少なからずありました。

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三溪園、花菖蒲の池を巡るーー横浜本牧・6月18日

いちおうは左回りの順路となっている園内ではあるが、ヘソ曲がり爺ィは逆をたどることが多い。

門をくぐると、晴れわたる日差しの下、花菖蒲が盛りを迎えていると見え、しばらくの間は見物客の少ない方にまわっていた。

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八つ橋ならぬ渡り板をはさんで生える半夏生の葉も白みが増し、「ああ、梅雨だな」と落ちつく思いがする。

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池の東岸から小川にかけての暗がりに咲く紫陽花は、そろそろ勢いがなくなる時期と見えた。

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園に入ってすでに二時間ほど経っており、ひと休みしようと、おでんの皿と缶ビールを茶店でもらったあとは、明るい光のさす木立のなかにひっそりと佇む「春草廬」に向かう。苔の色はいよいよ濃く、趣きを増していた。

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ときに、某薔薇園の主任園芸師氏は、紫陽花は嫌いだが園の方針なので植えていると言い、こちらは以前は山紫陽花などの植えこみが気に入っていたのだが、今年は外来の園芸種ばかり目立って、感心しなかった。彼にとっては湿り気の多い庭園に苔が生えるなど、考えられないのだろう。趣味の違いといえばそれまでのことだが。

さて、春草廬のほか「林洞庵」「横笛庵」以外の、あまりに堂々とした古建築には興味がなく、いつも素通りしてしてもったいなくも思うが、致しかたない。そのうち好みも変わるかもしれないし。

偶々さっき旧友から来たメールに、犬の散歩の途中だろう、東京世田谷の砧公園からネムノキの大木が、柔らかな薄緑の枝葉の上に、ふわふわと軽やかな淡い桃色の花を見事にたくさん咲かせている写真が添えられていた。

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三溪園にも睡蓮の池のほとりにこの大木があるのだが、先週のこの日には気づかなかった。まだ咲いていなかったのか、花菖蒲に目を奪われたせいか、わからない。

以前住んでいた家の庭にこの苗を植えたところ、生育が早く、よく花をつけてくれた。もっとも、そこから離れて暮らすようになってから、蟻が寄ってくるからといって、根元から伐られてしまったのだが……。

池を前にするベンチで、常連と思われる七十半ばとお見受けする方と、花の見頃のこと、風の強かった二日前に横浜港から望まれたというスカイツリーやその日の富士山のことを和やかに語り合い、別れを告げるともなく、ふたりとも花菖蒲を写しながら自然に離れていた。水の如き交わり、といえるかどうかは知らない。

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ーー入園して三時間半ほど経て光線の加減が変わり、場所が異なれば、花菖蒲の見え方もまた違う。

いつもなら帰りに寿司と蕎麦の『江戸清』で少酌するところ、すでに昼の中休みの時間となっている。

そこで、以前から気になっていたのだが、稲荷寿司が幾種類かある甘味処風の店に立ち寄ってみた。

物腰の柔らかい女性のご店主に伺えば、客の要望が強く、ビールを提供することを検討している由。店の雰囲気と方針もあることだろうから、こちらも欲しくは思うが、是非にと頼むことはできない。稲荷寿司二つと味噌汁、そしてところてんを黒蜜少しでいただいた。

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八戸の六日町『南部屋食堂』のことーー弟への便りから

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ノブさんへ きのうの十和田湖の朝は曇って寒かったけれど、奥入瀬の川を下り始めたら日がさしてきて、八戸までバスが2時間走るうちにすっかり夏空に変わっていた。

街の写真のうち水色の洗濯屋の隣りはこれでも食堂で、うまい支那そば(煮干し)、ざる中華や炒飯、そして日替わり定食(きのうはハンバーグに揚げ物のスパゲチ添え、焼き魚、ホタテ味噌汁と飯)が400円。冷やし中華500円。あとは稲荷寿しくらいしかない食堂なんだ。

こっちと同年くらいの婆さまが一人でやっていて、ゆっくりだけど丁寧にこしらえてくれるんで、いつも寄ってる。北方系美人(ーー北東北に多いといわれる)だけど至極控えめな婦人で、地元言葉丸出しの不釣り合いがイイんだ。

ラジオもテレビもなく、近所の年寄りたちがおとなしく待って、静かに食って、空いた食器を下げ、入り口の代金皿に銭を置いて帰っていく。

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ーーこんな八戸が好きで、安い切符が使えるときは、いつも立ち寄ってるんだ。

検索してたら、こんなブログがあった。この土地の食堂が3軒紹介されているのだけど、南部屋食堂の他の2軒も行ったことがあるのには、我ながら呆れているよ。
http://www.sairosha.com/mesi/taishu/aomori.htm#nanbuya

***

追伸
北方系というのは、遠い遠い昔の「血筋」のことだからね。樺太をつたって渡って来たんじゃないかな。いつか「ケンミンショー」か何かで聞いた気がする。

おれが学生の頃、阿部なをという料理の先生がNHK「きょうの料理」に出ていて、よくみていた。著書もたまに開いて、ふだんの料理の参考にしている。添付写真左下の婆さまなのだけど、八戸の食堂の姐ちゃんがよく似ていてね。

こういうはっきりした顔立ちの女性を青森ではよく見かける。男はどうか、興味ナシ(笑。秋田美人新潟美人もこの流れなんだろうか。いずれにもほとんど行ったことがないので、よくわからない。

上野にあるこの写真の飲み屋は、なをさんが開いた。去年の夏だったか初めて行ってみた。いい店だよ、下戸のあんたにご縁はないだろうけど。

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いま気がついたのだけれど、ここに写っている徳利の「桃川」酒造?の超高級な大吟醸だかを、このたび民宿で飲んだーーというか、それまでに安いけど滑らかで旨い「十和田おろし」とかいうのを飲んでいて、最後の晩にまた酒をと頼んだら、「もうなくなっちゃって、ちょっとお高いんだけど、これでよければ…」と、オヤジがおずおず持って来るんじゃ、断りもできないワ。

帰りにもらった勘定書に何と「2,000(300ml)」とあった。一泊二食5,200で過ごしたちうのに(泣笑。おれは酒の味なんて、ある程度以上なら区別はつかんのにサ。3泊で散々飲んで食って温泉を独り占めして20,500だからマアいいや、と思うことにする。

八戸で締め鯖を買ってきたけれど、もし食べたかったら、どうぞ取りにきてください。おれはきのう午後に現地でタラフク食ったから、いい。愛媛のミカン業者直売の何とかオレンジという甘いのもまだあるんで、どうぞ。明日午後は飲み会のため不在。

ホンジャ!

旧東海道神奈川宿散歩ーー埋立地の貨物駅、消えた市民酒場から街の中華屋までまで

風呂釜の調子が悪くて二晩ほど湯に浸かれず、全身がだるいので、横浜港東神奈川の岸辺にある日帰り湯を久しぶりに訪ねてみた。

屋内ではあるが外壁が半ばなく、露天風呂ともいえる温泉は、東京から神奈川にかけての海浜部に特有の緑褐色の湯は滑らかで心地よい。

スポーツジムを併設するこの施設は客も少なく、この近隣のベイエリア(イヤな言葉だ)の住民が多いとみえ、一様に常識をわきまえた人間ばかりで、ふだんピリピリしながら街を歩いている当方にとっては、貴重な居場所といえる。

……。

温泉に浸かっては屋上で風に吹かれ、平日の昼間は営業していない食堂で、だれにも邪魔されずに時を過ごしたあと、施設を出れば、入口前のデイゴが元気なこと。
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送迎バスに乗るのもシャクなので、昼食場所を探しがてら東神奈川駅に向かって歩き出せば、すぐに貨物線の駅。「ハマの場末感」が強い。
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外来の草花ではあろうけれど、こんな場所にはふさわしく。
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埋立地が続くこの一帯。情趣もへったくれもないものの、年月が経てばそれなりの味は出てくるもので。
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三階建ての工場の向こうにチラと頭が見えるのは、ランドマークタワー。
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歩くうちに、「そういえば、昼過ぎから開いているあの居酒屋はどうなっているだろう」と、まだ一度しか入ったことがない店を思い出し、向かってみることに。
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ーーと、行き着いてみれば、組み写真右上の状態。影も形もなく、駐車場と化している。二年ほど前に撮った写真を探し、往時を偲ぶ。この時はちょうどお盆で休店中だった。

ごく簡単なツマミで爺さまと婆さまが安く飲ませてくれたと記憶する。

こういう店があると教えてくれたのは、いつも世話になる関内のバー『道』のお客だった。ママさんと中学が同級という彼とは、その後は出会っていないと思う。互いにそれほど常連とはいえないから。

人を待っている風でもなく、ただ道端にしゃがみこんでタバコをふかしているオッサンがいたので、いつ取り払われたか尋ねたところ、二、三か月前かなぁと、ぼんやりした応えだった。
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車道と歩道を隔てる植え込みが一部崩れたのか、土留めとみえる板に、掲示意図が不明な張り紙があった。

よく見ると、細い字で下書きしてマジックインキで清書している、入念な作りなのだ。

水と心を比べて、妙に納得させられる文言。また「正 = 『一』 + 『止』」という字解にも感服してしまった。

加えて興味深いのは、張り紙の破れを止めるために貼り付けられたとみえるパック容器の表示シール紙。拡大して解読すれば、道明寺桜餅四個入りのパックなのだった。

筆跡や内容などから推察して、高齢のおばあさんの作ではないかと。
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梅の実が熟し、根元にいくつも転がっているが、いずれも傷ついており、拾って持ち帰る気がしない。
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『みのかん』跡の近所、橋のたもとにある『土橋寿司』は定休日。仕方なく京浜急行の神奈川駅方面に向かう。駅近くに中華屋があったはず。また、夜は安居酒屋だが昼飯も出す店があったような気もして。

しかし、すでに時間が遅く、どこも開いていない。

歩き回るうちに、これもすでに昼の営業時間は過ぎているが、格好の献立と価格の寿司屋があったので、記録しておいた。勤め人の皆さんが一段落した一時過ぎに行けば、トンカツ定食でビールをゆっくり飲めるだろう。

昨年秋、ある銀行の融資関係で世話になった女性が、この近くの法律事務所で働いていることを思い出した。

銀行での手続きの合間に雑談をしていると、駅前の安居酒屋があることも知っていて、彼女はもちろんまだ入ったことはないが、興味ありげな口ぶりだった。

かなりイケル口のようで、話がはずむうち、驚くべし、この方の実家は以前こちらが住まっていた家のすぐ隣であることが分かるのだった。何たる奇遇。当時、彼女は中学生。今や立派な司法書士さんになっている。
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神奈川駅付近はすべて空振りで、仕方なく東急東横線の反町駅方面に足を延ばす。食事が目的なら、すぐそこの横浜駅付近にいくらでも店はあるものの、人に会いたくないこの日なのだった。

いつもの『菊家』はすでに時間外。さんざん歩いても、適当なところがない。反町駅近くにラーメン専門店は何軒か並んでいても、カウンターで他の客と一緒に同じラーメンをすするのには耐えられない。

厄介なジジイになってしまった。

あきらめて、バスに乗って帰り、自宅で何か作ろうと、とぼとぼ歩いていると、国道から細い道に入ったところに、赤地に白抜きで「ラーメン」という、よく見る旗が立ててある。

マンションの一階に頃合いの中華屋があって、オヤジさんに「いい?」と目顔で尋ねると、「どうぞ」と言う。

ようやく落ち着ける店にたどり着き、躍る気持を抑えて瓶ビールを頼むのだった。
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