酒田にて 4 歩きすぎ…。

初日に購入した「3館共通入館券」で土門拳記念館と酒田市美術館を訪ね……とは一言で片付けられても、歩きが主体の行動は時間がかかります。前日は1万2000歩、この日も終わってみれば1万6000歩。

朝一番の南洲神社参拝から土門拳記念館に。

この写真家にはどこか「貪欲」な印象が強く、これまであまり好んでみることはありませんでした。視る対象の本質を無理やり抉(えぐ)り取ったような姿勢が感じられてならなくて。

しかし、この時展示されていた室生寺あたりの風景を見る目には共感を覚えました。風景を絵画としてとらえないという点において。自省とともに。

余計なことながらこのひと月ほど後、信州上田の山の中、鹿教湯温泉の蕎麦屋『辰巳屋』で昼飯代わりに湯豆腐を肴に酒を出してもらっていました。ふと見やると壁に新聞の切り抜きが張ってあり、近寄って読んでみると、なんと土門の記事で。脳出血で倒れてこの地で療養していた時、辰巳屋によく通っていたといい、ひと月ぶりにひょっくり再会して驚いたものです。

酒田市美術館では「二つの東海道五拾三次」として、広重の保永堂版と丸清版を対比させて展示していましたが、風景を主体として意匠を凝らした保永堂版の方が、見慣れているせいでしょうか、丸清版は人物の仕草が単調で、配置も平板に見えてなりませんでした。あくまで好みではありますが。

美術館のある丘から下り、幅1キロほどもありそうな橋を渡りきり、普通ならバスを待って中心街に戻るべきところ、その辺りにあるらしい山居倉庫を見物する気になっていたのは、おそらく破れかぶれだったのだと思います。日差しのある中、停留所でバスを待つ気にもならなかのかもしれません。せっかちな性分には呆れます。

それにしても最上川の幅の何と広かったこと。昭和天皇の東宮時代の御歌を県民歌にしたという表示板があっても、朦朧として歩く途中で撮った写真は、今になって確かめると、ピントがどこに合っているのか不明。それに、自転車に乗った女性が写っているではありませんか。たまたま通りかかったのでしょうが、まるで心霊写真のよう!

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酒田にて 3――南洲神社粛々参拝

いつも街なかをぶらつき、野山をうろつくだけの旅ではありますが、このたびは一応、目的らしいものはあって、酒田では先ず南洲神社を訪ねるつもりでした。いうまでもなく「南洲」は西郷隆盛の号です。

評伝や小説からその人となりを窺い知り、遺された筆跡から人柄を想像するばかりではあります。正直に言って、歴史にはほとんど興味がありません。

就職したての頃、鹿児島出身の上司から海音寺潮五郎の『西郷隆盛』を読んでおくようにと半ば命じられました。もともと読書、しかも歴史書は苦手でしたが、往復2時間以上かかる通勤電車で、朝日文庫の全14巻を長い間かけて読み通したものです。

そこから何を学び取ったかは分からないのですが、40年以上経た今となって思えば、ひとりの人の生というもの。そのとてつもない重みと深みを感得していたのかもしれません。また、西郷への敬慕の念はそこで培われていたのでしょう。

官軍に激しく抵抗した庄内藩に対して西郷が下した寛大な処分について、ここで語る知識も見識もありません。が、庄内の皆様が南洲神社を建てた気持ちには通ずるものを感じます。またその創建は、わたしが就職した昭和51年であったのも、奇縁といえば奇縁です。

この節、観光で訪れる者もなかったためか、神社を守る庄内南洲会の方から一時間ほども南洲翁の事績、鹿児島の街のことなど、話題は様々な方面に及び、丁寧な説明を頂きました。

そのなかで、以前ある同人誌の集まりで鹿児島を訪ねた時に紹介いただいた方のお名前が聞かれたのには驚きました。薩摩藩重臣の家柄で、その堂々たる体躯と重厚な面貌が強く印象に残る方でした。強烈な存在感。ところがこの神社にあって、何の話題でお名前が挙がったか覚えていないのは、まことに情けないことです。

また、宿にしていた最上屋旅館に戻って主人とその日のことを話していたところ、南洲神社でお世話になった方は勤め先が一緒だったとのことで、またいつかお参りに伺わねばと思っています。


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後記。
たまたまながら、この庄内に旅立つ前の晩、映画『花のあと』(北川景子主演、2009年)をNHKのBSで観ました。原作はむろん藤沢周平。折目正しい武家の生活が抑えた調子で描かれています。鳥海山の四季とともに。

女剣士・糸が眺める桜の枝と背景の水面。その色合いと構図が、神奈川県立三ツ池公園でずいぶん昔にフィルムカメラで撮ったものと寸分違わないのです。奇妙な感覚でした。

それに先立って、同じ枠で『山桜』(田中麗奈主演、2008年)が流され、懐かしく観たものです。

「キメツノヤイバ」などと意味不明の題名の大当たり映画からは、いかに遠く隔たった作品であることか(苦笑。

次はどうしても「海坂藩」の鶴岡を訪ねねば……そう改めて思ったことです。




酒田にて 2――出たとこ勝負で敗退

四日間の旅程のあいだ、宿泊は酒田にある昔ながらの旅館に居続けることにして、二日目はお隣、鶴岡の市内を見物しようという漠然とした計画でいました。細かいことは現地で調べようとして。

あらかじめ調べ、計画を立てて出向いても、現地の天候やその日の体調によって計画どおりに運ばないことが多くなっています。以前からの「行き当たりばったり主義」が歳とともに甚だしくなっている。要するに、無理の利かない老体なのです。

ところが、肝心のインターネットが通じない。新幹線の中でも、なんと Wi‐Fi が効いている――という言い方でよいのかどうか――はずの旅館でも。

手も足も出ない。土地の内情がよく分からないまま、観光案内所などでもらえる地図や冊子を頼りに街なかを歩くことになります。

ところが、この日は鶴岡に行くことをあきらめ、宿の周りの港近辺を周ることになったのですが、その経緯が思い出せない。日誌にも記されていません。

インターネットが使えなくても、やみくもに鶴岡に行けば、酒田と同じく地図やチラシを頼りに歩けばよいのに、なぜ行かなかったのか、それが分からない。情けなや。もしや前夜に飲みすぎたか…。

悔やまれるのは、港を見おろす日和山公園に数多く点々とある文学碑の中で、吉田松陰のものだけを見落としてしまったことで、それに気がついたのは、ふたたび港の方に下って行った時。引き返す気力はもうないのでした。

日が陰れば肌寒く、照れば暑い。北国における季節の変わり目の厳しさを感じながら、薄手のジャンパーを着たり脱いだりの一日でした。「曇晴れ定まらず、時雨あり」と手帳にはあります。

宿の裏の『久村の酒場』は、前日に続いて休み。往年は繁盛していたであろう百貨店、一階の奥半分にある食料品売り場で見つけた「つや姫弁当(カレイ醤油漬け)」461円は、御飯、カレイの焼き物が殊のほか美味しく、充実した晩酌ではあったものの、寝る前になって腹が減り、毎度ながらカップ麺の世話になるのでした。この時以来、FamilyMart の海鮮ちゃんぽんにゾッコン(笑。

――と、何とも締まりのない一日。

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酒田にて 1――まずは宿へ。その前にラーメンを

毎度ながらずいぶん前のお話……。

関東から東北にかけて、稲刈りの状況は、土地にもよりますが、半分くらい済んでいたというところ。

伊豆の伊東から熱海の沿線、また関東平野は彼岸花が盛りでしたが、『雪国』にある「国境のトンネル」を抜けたあたりからは、ほどんど見かけられないのはどういうわけか。

日本列島の背骨を越えるあたりで天気が全く変わるのを実見しながら、田中角栄さんのこと、トンネル工事の労苦、天候と土地の関係、そこに住む人間等々、思いは尽きないのでした。

「大人の休日倶楽部パス」はJR東日本の管内を15,270円で4日間乗り放題。新幹線の指定も6回までできるので、いつもはどん詰まりの青森まで欲張って出かけるところ、このたびは初めての山形県へ向かいました。東北ではこの県にだけお世話になったことがないのです。

東伊豆から東京。東京から新潟へ新幹線。乗り継いで日本海沿いに酒田に向かった初日。朝から水っ腹で酒田駅到着が13時4分。駅の周りにはめぼしい食堂が見つからず、まずは近所の本間美術館とその裏手の庭園を拝見してから、宿のある港の方を目指して引きずるキャリーケースの重いこと。

中心街に入っても人通りはほとんどなく、それでもようやく見つかったラーメン屋『三日月軒』には先客が三人ほど。

あっさりとしながら深みがあって食べ応えのある一杯を頂いたころには、宿に入れる時刻になっていました。

酒田駅の観光案内所でもらった地図によれば、店名から察して趣がありそうな居酒屋が宿の裏にあったのですが、訪ねてみると定休日。

旅館は古くても Wi-Fi 環境があるはずのところ、パスワードを入れても全然インターネットが通じず、上越新幹線内でも何故かつながらなかったので、現地情報は案内チラシだけという心細さ。

たまたまその近所にあった『鶴岡屋』は、外見からして地元の方々専用のように見えたので、迷わず戸を開けます。

豚バラ串焼きのあとに頼んだ厚揚げの作り方を見て一驚。「目からうろこ」でした。

てっきりヤキトリと同じように焼くのだと思っていたら、フライパンに湯を張って厚揚げをそのまま浸け、しばらく温める。その湯を切って、炒りつけるようにするので。

なるほど、こうすれば効率よく温められ、余分な油は抜け、しかも香ばしいわけだ。感心して女将さんに「そういう作り方は初めて見るワ」と話しかけると、この土地では皆そうするとのこと。

戻ってから真似して自分でやってみると、当然ながら同じようにできる。失敗しようもない方法だもの。

ヤキトリとラーメンが柱の献立なのだが、この晩はもう胃袋の余裕なくてラーメンは食えず、再来を約して店を出た次第です。

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晩酌晩飯 8月26日

「とりあえず」の一皿の佃煮や漬物のうち、デンブ状のものは鯖のそぼろ。前々日に焙って肴にした鰯の味醂干しとともに伊東漁港近くの「坂藤丸」で手に入れたもの。オヤジさんがこしらえたか、奥さんの手になるものか、200円。定価は300円と札に書いてあった気もするが、値を引いてくれたのか、こちらが酔っていて勘違いしたのか、定かではない。

ひきわり納豆がだいぶ日が経っており、ツンと匂いがしかけていたので、よく覚えていないがたぶん塩昆布などと混ぜて、油揚げに詰めて魚焼きレンジで焼いたのが、簡単で旨かった。なおその後、腹に異常はなかった。

なお、連夜の登場ながら、蕎麦猪口にはモズクの酢の物。月初めに沼津に行った折、魚市場の売店で塩漬けの状態のものが安く売っていたのを、はじめは沖縄のように天婦羅にしようとしたものの、結局はみな酢の物として消化してしまった。台所が暑いので、揚げ物を作るのは辛い。

ここまででもう満ち足りて片付けたが、寝床に入るころ何か物足りず、蝦子麺を干し桜海老(これも沼津で購入)と一緒に煮て、汁ソバとした。

(蝦子麺は香港産の乾麺で、エビの卵を練りこんである。油で揚げておらず、湯がいたまま最後に茹で汁に調味すれば済み、量も多すぎないので、昔から重宝している。横浜中華街では10玉500円くらいで売られていて、塩蔵の支那竹とともに、蓄えがなくなると中華街に行って調達しているもの)

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駿河の三島は湧水の町 1――柿田川公園 8月4日

すでにひと月も経っていて、何故そこに行こうとしたか覚えてもいないが、日誌によると前日に思い立って宿の予約をしたらしい。

東海道本線沼津駅近くの小さなホテルに2泊で1万円、このたびのお国からの補助が付いて、支払ったのは6,500円というウソのようなお話。

朝早くに伊東を発って、手前の三島を巡ることにしていた。三嶋大社にはお花見の観光バスほかで何度も参拝しているし、街中を流れる清らかな小川が好きで、皇族別邸跡の公園「楽寿園」は、深い緑の下の水が美しい。

あまりに暑いので清々しい水の流れを見たかったのか、沼津の魚が食べたかったから、発作的に宿を取ったのだろうか。

***

湧水地として有名な柿田川公園を訪ねるのは、三度目になる。

これまでと違って人出がほとんどなく、おそらく地元の方だろう、こちらと同年くらいの爺さんが木陰のベンチで眠りこけていた。

公園内の貴船神社鳥居手前にあった碑文には感じ入り、刻まれたその筆力と流れに魅かれた。どこかで目にしたような気もするが、はて…。
「水五訓」
一 自ら活動して他を動かしむるは水なり
一 障害に遭いて激しくその勢力を倍加するは水なり
一 常に己の進路を求めてやまざるは水なり
一 自ら潔くして他の汚濁を洗い而して清濁併せ容るるは水なり
一 洋々として大海を充たし発して雲となり雨と変じ凍りては玲瓏たる氷雪と化してその性を失はざるは水なり

たまたま6月に訪ねていた京都の貴船神社とつながりがあるに違いなく、揮毫者は「貴布爾総本宮 貴船神社宮司 髙井和大 書」とあった。
(いま「水五訓」を引いたら、黒田官兵衛の言葉でした)

……いやはや、それにしても、極ごく暑かった一日。

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愚かなる近況(9月1日)

ここ三日ほど、呑み疲れをきっかけに暑さ負け、また冷房当りが重なり、体温調整ができなくなってしまい、終日寝たきりでした。

暑いのか寒いのかわからない。クーラーの設定温度と風向き、扇風機の向きを始終調整し、枕もとの温度計の数値を確かめ続ける日々。かろうじて御飯だけは作って、そのほか何もできませんでした。

「そうか!」と思いついて今朝、浴槽に湯をためてゆっくり浸かったところ、ようやく生き返った心地です。シャワーだけではいけません。ことにこの歳になると。

青年は荒野をめざせばよいけれど、老人は風呂に入らねば…。

写真は伊東オレンジビーチの日没後。「日暮れてなお道遠し」って、どこで聞いたっけ? なんか、藤沢周平っぽいけど。

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後記:
勉強が足りずにすみません。「日暮れて道(途)遠し」というのは、史記を出典とする慣用句のようです。調べもせずにいい加減なことを書いてしまいました。

もし藤沢周平の作品に出てくるとしたら『三屋清左衛門残日録』かと見当をつけて検索してみたら、「日残リテ昏ルルニ未タ遠シ」という言葉があがってきました。そういえば、北大路欣也主演のこのテレビドラマ、最後の締めの言葉だったような気もしてきますが、その録画が手元になく、確認できません。




晩酌晩飯 8月25日

はじめから「きょうの晩酌はこの流れで行こう」などという計画なしに、行きあたりばったりの腹加減、頭の具合でおかずを作るのが普通なのは、前に申したとおり。

とはいえ、栄養は偏らないようにしている…つもり。一食で完結とは考えず、昼食が魚だったら、晩は肉を摂るように。野菜は多く。塩気は余分に摂らぬよう。しかし、味気ないほどに控えることもなく。一日単位、一週間単位で諸々の栄養の釣り合いが取れていればいいだろうと、大雑把にみている。

加えて、皿は使いまわして洗い物が少ないように考えながら。手間も水も洗剤も、節約、節約また節約! 

この晩は小鉢ひとつ、皿一枚、タンブラーひとつで完了。酒は、①宝焼酎25度の梅酢割り、②同水割り、③④不明(記録なし 笑)。


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まずは旬の胡瓜で、地元静岡伊東産のもの。露地ものだろう、大ぶりで水気おおく、いかにもキュウリの香り。アミの佃煮はそれだけつまんだり、刻んだ茗荷の醤油代わりに使ったり。

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これも醤油と薬味を兼ねて、台湾の紅葱醤を使っている。皿は前菜に使ったものをそのまま。

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安売りの豚コマ肉を小分けにして冷凍しておいたものが残っていたので、飲み始めの頃に冷凍袋ごと水に浸けて解凍しておき、しなびてしまった茄子と大量のニンニクと炒め合わせたもの。味付けは、昔ながらの「ナス味噌」にするか迷った末、冷奴は中華風だった流れで、甜面醤を使って仕上げた。それならばピーマンや玉葱も加えて彩りと栄養を添えればよいものの、すでに酔いが回っていたらしい。この皿も、冷奴で使ったものを紙で拭った程度と思われる。

この晩の食事はこれまで。締めの炭水化物はなかった。酒の追加はともかく、料理を撮影し忘れることはまず有りえないので。









晩酌晩飯 8月24日

(安倍首相辞任という我が国ガケップチの時期にあって、このような太平楽を並べるのは憚られるところですが、涙を呑みつつ……)

朝方に Facebook で自分の誕生日と知ったこの日、自ら祝う気など起こるはずもなく、いつもの晩飯。

焼酎パック1800ml は重たいので買いにゆく気がせず、缶酎ハイでカンパイ。完敗?

***

干物をいつも買いにゆく伊東漁港波止場入り口の『坂藤丸』には久しぶり。暑くてそこまで歩いて行けなかったところ、前週の半ば、炎天下をヤケになって歩いていたら、難なく着いてしまった。

その日、たまたま玄関から出てきた坊やの細面は、いつもやり取りするオヤジさんにそっくり。お孫さんに違いない。
少し先にある居酒屋『要』にはご常連の面々がそろっていて、ご無沙汰を詫びる。アカさん、ヤッさん、それから酔いどれユミとその友人のベッピンさん。

アカさんたち三人が魚市場に買い物に行っている間、ひとり残ったユミのやつ、友人の息子さんはまだ七か月ほどでぐっすり寝ているあいだ、その柔らかな向こうずねに、あろうことかマジックペンでいたずら書きを始めた。それが達者なのに驚く。入れ墨にするような洒落た模様で、思わず「お前さん、本職は何なんだよ!」と叫んでしまったほど。

描き上げたところでユミは我に返った様子でうろたえている。「ママさん、どうやって消せばいいんだろう…」。店の主人マツコさんと一緒にクレンジングクリームで拭き取っていた。その前に抜け目なくスマホで撮ってはいたが。


――といった次第で、帰りに坂藤丸で買い求め、冷凍しておいたのが、この日の晩酌の主菜、といえば大げさながら、イワシの味醂干しなのだった。ここの味醂干しは、ふつうより醤油の気が強くてさっぱりしていて、酒の肴にはちょうど良いと思っている。締めは油揚げのワカメ入り卵とじ丼(ごはん少な目)。


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雨に咲く花 1――葛見神社 6月19日

雨が続きます。

頭も体も動かぬままに、寝床でボンヤリと次のシリーズのことを思っていたら、「べつに構えることもない。植物たちの写真しかないのだから、それを並べるしかないや」と、当たり前の結論に至るのでした。

写真そのままと思ってひねり出した「雨に咲く花」という題は、どこかで聞いたことがあると思って検索したら、歌の題でした。♫およばぬことと 諦めました…という哀切極まりない詞で、聴いてみれば何と、よく知っている曲ではありませんか。

原曲は昭和10年、リバイバルが35年で大ヒットとあるので、こちらが小学校の頃にでも聞き覚えたのでしょう。こんど『酒処 開』でカラオケを探して、同輩の爺様婆さま方に受けてみようか…。
https://www.youtube.com/watch?v=GSnGe9s5giU

葛見神社の社殿左には楠の大木がありますが、海に近い方にある「玖須美通り」と「クス」で関連するのかどうかは分りません。

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再度言う、幾度も言う

KKさん

今宵のネット飲みで下記のように書いたメールの言を繰り返したけれど、それでもこういう「数値の意味と軽重」をアンタにまともに理解していただけなかったのは、とても意外だったよ。

このたびの武漢ウイルス騒動、みんな騒ぎすぎ。くだらない「ニュースショー」感覚に酔っているんじゃないの? テレ朝の玉川坊やとか、一見真剣そうな岡田オバはんに洗脳されているだけだろう。

PCR検査を行うことの意味、そして危険な検査が医療機関に与える影響、そもそも医師が指示すべき検査を患者自ら望むことの妥当性、そしてその確度が何と7割ということ、さらに根底にあるこのたびの得体がわからないウイルスの性質やらの全体を掴もうともせずに、テレビの糞コメンテイターの妄言を鵜呑みにして一喜一憂するテレビべったり人間の何と哀れなこと。

自分で考えろよ。

立民党の逢坂が「感染の実態をつかめ」と言っているけれど、そんなの、無理だろうが。PCR検査も抗体検査も確度が曖昧なのだから。

アメリカの抗体検査試行では、「より正確な感染者(経験)者数」は、PCR検査で判明した感染者数の10倍で、それからする致死率は、通常のインフルエンザと同じらしいよ。だったら普通のインフルエンザでしょうに。何で騒ぐのか。あちらの地域事情はべつだけど。

得体がわからないから、現場は四苦八苦でお察しするけれど。でも、それが戦の最前線の苦しさでしょうに。

医療の目的は感染者なる意味と定義が不明の言葉に振り回されず、とにかく死者を減らすことしかない。

おれだって、昔の一時は病院の地下室で裏方として大変な日々を送ったよ。その間、医者や看護婦はご自分らの所轄を忠実に保って崩さず、兵然と業務されていらしたのよ。今この時に当って弱音を吐くんじゃありません。

一番頭にくる言説は「何もしなければ死者は(東京で?)42万人死ぬ」という学者さんのご説というやつ。それに対する事実の裏付けなし、実数と乖離していることの理由説明なし…。

何よりも、「何もしていなければ」という、その時点での架空の言い逃れを使うことによる逃げの姿勢は腹立たしくてならない。ただの煽動にすぎんだろうが。それを利用する奴は、加えて犯罪的だろう。

同様に抱く強い不満は、ほんらい政府側がすべき真っ当な事実と方針の説明が全くと言ってもいいほどに表さなされないことで、これが絶望を倍加させる。対国民感情、職業人と、難しさはわかるけれど、まともにケンカして傷を負って自分の職責を果たせと言いたい。

ーーこの根っこには、官界が政治家を次の選挙までの一過性のものとみて、自分たちの安寧と権益を第一とする伝統と体質があるのだろうね。

東京のグラフを見れば、新規感染判明者カーブはすでに峠を迎えているのは、一目瞭然だ。なぜその意味を読まないのか、伝えないのか不思議。

おれはもう、いい加減な戒厳令は解くべきと思う。様々な撤退法はあるだろう。

そもそも通常年のインフルエンザ感染者数、そして肺炎での死亡者数を頭の底に置いて、この事態を考えるべきだろうに。「インフルエンザ死は、去年は3千、肺炎は毎年10万くらい」じゃなかった? ジジババがこの病気で累計400人、日に20人死ぬのが、何がニュースなのか。まったく解せない。


ーー長々と述べたこれらの根底にあるのは、現今の日本の死生観のなさだと思っている。

ヒトとして当然の死を、みな「シンジラレナイ」ものとするこの時代は、あまりにおかしすぎて、アタマがくらくらする。この世は漫画かよ。一瞬後には死ぬかもしれぬのに、常々誰もそれを思わない。「死の覚悟」なんて、死語。ーーと言っているオレは血も涙もないって馬鹿にされてっけど、いいのさ……。

ほんじゃ、次のネット飲みナ。おれ正直に言って、江戸に出向いて飲むよりこの方が合ってるわ。カネ、ネェし…。

(脱字や誤字、あったらごめん、。酔っ払ってきた)






伊東便り 6 ――お江戸とはネット飲み、地元では……

十年以上続けてきた月例飲み会「ガケップチ」。いくら猛者どもとはいえ、今月はさすがに中止にしたので、今どき流行りの遠隔飲み会を宵のうちからしてみました。結局サシ飲みでしたが、気楽でいいものです。簡単な肴を用意しながらも話は続けられるし。

独居ご隠居の会話は、本日はこのほかに、波止場近くの干物屋のオッチャンからイワシの味醂干し(小さくて脂の乗ったもの八枚三五〇円)をもらった時の軽いやりとりだけでした。生来の無口モノは、このくらいで充分です。

ほとんど人通りのない川沿いや海岸をマスクを着けずに散歩することは、前々から変りません。そういう外出を責める方は責めるのでしょうが、根拠を教えて欲しいものです。エスカレーターの右側を空けながら左側に行列する理由と同じように。

飲み屋さんは、当節この街でもほとんど休店です。いつもお世話になっているような不良供が集まる店は開いていますが、このところはくたびれるので敬遠しているのです。

散歩の帰り、そのうちの一軒から出てきた旧知のヘベレケ二人とバッタリ。ひとりはごく普通にバイクでご帰還、ひとりは「胃が痛えヨ、カネがねえや」と顔をしかめながら、砂浜の手前にあるアパートに戻って行きました。愛すべき連中です。

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熱田の杜で

愛知、三河湾の日間賀島で会おうと前々から計画されていた学生時代の運動部同期会が中止となったのは、先月下旬のこと。

しかし、同地近辺在住の幹事とヤクザな当方は、「せめては名古屋でチョット飲もうや」と、その夕方集まって一酌することにしていた。

静岡の伊東から名古屋まではさして遠くもない。夕方まで待つことなど到底かなわないので、名古屋に着いたのは午前も半ば。大体の目算はついている。

熱田神宮へのお参りと周辺での昼飯。

武漢ウイルス禍の当節とあって当然のことながら、外国からの観光客はおらず、さほど多くはないお宮参りの家族が目立つほどの静かな境内だった。


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熱海の梅、ひと月前

日々ぼんやりと打ち過ごしているつもりはないのですが、あれこれ中途半端にやり掛けるばかりでまとまらず、今になってようやく熱海梅園の様子を…。去る2月14日のこと。

この前の週にも訪ねたのですが、午後も半ばすぎになると園は日陰になってあまりに寒いので、早々に退散。海岸に近い初めての居酒屋でお湯割焼酎をもらって人心地つき、散り残った熱海桜を見物しながら駅への坂をゆっくり上るのでした。最寄りは来宮駅ながらも坂が急で、とても向かう気になれません。次からはバスに乗って帰ろう……。

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大島暮し、ミニ体験版――娘へのメール

サクちゃん 気を遣わせてトイレ紙を送らせてしまってスマヌね、助かるよ。冗談半分の Facebook を見てくれてたんか、お恥ずかし。

伊東-大島間のジェット船、往復3000円っていう6割引きの切符を使って、今朝から大島に来てる。

泊りは若い連中がやってる民家を改造した気楽なとこ。素泊り2泊で11千円。自分で勝手に肴やメシが作れるのが何よりもありがたいよ。

元は蕎麦屋だったらしく、調理場にはデカい鍋やレンジばかりで、自分が料理人になったように錯覚してしまう。お湯がすぐに沸く強力ガスレンジには恐れいった。調味料や出汁の素、粉や油などは、前の宿泊客が残したもので十分足りるし。

高級旅館高級ホテルより、こういうところの方がずっと休まるのよ、おれにとっては。相客は居らんし。

無人販売所でもらってきたアシタバ150円は、半分は塩炒めで缶酎ハイの肴に。残りは茹でて甘酢に浸し、若い管理人とその友達連中に分けてやった。潜り(モグリじゃなくて diving)の仲間が集まってるみたい。この連中、仕事は様々。町役場の職員やらデザイナーやら。酒は一人しか飲んでいないのが不思議だね。

日曜に獲ってきて寝かせておいたというハマチをすこし分けてもらった。居酒屋の刺身が食えないおれにも極々旨かった。

送ってくれたXO醬で炒飯をこさえてやろうじゃないかい! ありがと〜〜

ふるさと納税のトイレ紙返礼は、富士市も岐阜のどこかも休止らしいよ 笑

この伊豆大島は人口8500。食堂『稲本』の婆ちゃんによれば、島内の小学校は3校。昔は6地区それぞれにあって、生徒数も何倍もあったそうな。日本の田舎は、どこに行ってもこんなものだ。

町中に人通りはない。スーパー店内の狭い通路を譲り合う際のあいさつも皆きちんとしているし、知り合いと出会っても大声を上げることなく、慎ましい。

都会ではこういう光景は見られないよね。ガキは店内を走り回り、オバさんは新しい納豆を探してほじくり返し、散らかしたたまま。その末に、一度取り上げた品物を投げ捨てるように戻すじゃないか。

前後左右にクルマの影がない交差点で、母子連れがマジメに青信号を待ち、手をあげて横断しているのが微笑ましいーーというか痛々しいと言うべきか……。

そういえば、前回訪ねた時、島内観光バスの運転士兼ガイド氏が説明してくれたことを思い出した。

離島に赴任する警察官が言い渡されることの一つは、スーパーの品物は手前に置かれて賞味期限の迫ったものから取るべし、というのだと。船便はいつ止まるか分からないからね。島の人々は仲間を思いを寄せながら暮している。それだけに窮屈なこともあるのだろうけど…。

おれが最後に落ち着くのは、この島かもしれないね。

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なんてこったイ!

お江戸ではマスクをしていないと白い目で見られる。ラジオで聞きました。人前で咳をするなど、もってのほかと。ーー来週末、田町での飲み会に持参すべきマスクを持っていません。

こちら伊豆の伊東のスーパーやドラッグストアでも、マスクや紙類の棚はカラです。拙宅のトイレ紙は、残り1巻きしかありません。ティッシュ紙は今あるだけ。無くなったら、尻はお湯で洗って手拭いを使います。当然です。

先日2万で購入したBSしか視られないテレビ。バラエティ嫌いの老人はそれで十分なのですが、NHKの国際ニュースを眺めていたら、タイのある街の郊外で、使用済みのマスクを普通の洗濯機2台で洗い、アイロンをかけ、新品としてかなりの量を売りさばいて、警察の聴取を受けたとのことでした。このたびの武漢ウィルスにマスクは有効ではない。信頼できるかどうか怪しい WHOがそう言っておるとです。

昨日、ルーターの設定をしてくれたパソコン修理の兄ちゃんは、作業後に「ティッシュペーパーもらえませんか」という。「花粉症なのだけれど、マスクがなくて参っちまって」と嘆きます。仕事はよくでき、純なヤツなのです。でも、鼻水をかんだ紙くずは、台所の屑かごに投げ捨てられたとです。奥さんへの手土産に、先日はハマの中華街で買ってきた乾麺、今度はドリップコーヒーと椎茸を分けてやったのに。礼儀知らずのパカヤロ〜、ポッケに入れて持ち帰らんかい!

ーー以上、ヒロシ風に。

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伊豆の下田の爪木崎へ 3ーー茶店にて婆さまたちと横浜川崎の話を

御製の歌碑に涙を落としたあと、水仙や砂浜、また灯台がある岬の端に向かう途中で茶店の老婆に呼びかけられたが、まだ休憩には早い。「帰りに寄るからね〜」と空返事をして通り過ぎる。

あちこち見巡り、だいぶ時間が経ってから人も絶える頃に浜からあがり、行きがけに言った通り、その店に腰を落ち着けることになる。

昼どき過ぎても腹は空いていないので、おでんもうどんも欲しくない。店先の冷蔵ケースから勝手に缶ビールを取り出して席についた。グラスは要らないよ、と言いながら。お茶だけもらうわけにもゆくまい。伊豆特産の地海苔を皿に出してくれた。採った海苔を漉かずに、ただバラして干しただけのもの、だろうか。

婆さま一人が相手だから、気楽でいい。昔は横浜の市電の終点、山元町に住っていたという。その辺りはこちらもよく知っている。学生のころには職を探し、また仕事をサボっては、さまよい歩いていたものだった。丘の上には競馬場の跡があって、辛夷(こぶし)の大樹が三月になれば白い花を無数につける。

そのうち地元のお馴染みさんが入って来る。はじめは爺さまだと思って話していたら、婆さまだったのが可笑しい。

素人ながら川崎のお大師様の近くでご亭主と食堂を開いたところたいそう繁盛して、空気の綺麗な下田に部屋を借り、無理しても毎週通っていたという。高度成長時代で、川崎鶴見の大気汚染がひどい頃だった。こちらは小中学生の時代で鶴見に暮していたと言えば、話は弾む。

ご自身のことを振り返って、周囲が良くしてくれたと、耄碌した様子は全然なく、心から感謝していると見える幸せなお年寄りだった。

帰りのバスの時間がきたので二人とお別れするとき、ありがたいことにお店の婆さまが茶菓子をたくさん包んでくれた。海水浴の時期にでも何か持ってまた様子を見にゆかねばならないだろう。

まだ明るいのでバスは途中で降り、たしか昨年の梅の頃に訪ねた街中を少し歩いてみるつもりだった。

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伊東便り 6――ワシはなぜ競輪場に行くのか?

海から昇る十六日か十七日の月を感に堪えながら眺め、珍しく何処にも立ち寄ることなく戻り、我が家の下の鰻屋を何気なく覗くと、近所の居酒屋で知りあった男の背中が見える。

戸を開けると、奴さん、ナイター競輪最終レースの着順を熟考中です。この日は5レースに賭けて、珍しく4レース当てたと喜んでいました。もっとも、300円ずつの掛け金なので、儲けは大したことありません。

互いにお湯割の麦焼酎をやりながら聞けば、「毎日やってるオレが言うのもおかしいけど、競輪なんてやめといたほうがいいよ、ぜったい」と真顔です。去年還暦で、ゴルフ場に勤務している彼。

もちろんこちらは、賭ける気はありません。しかし今は、各選手のこれまでのレースぶりについて、考えうるすべてのデータが見られ、「傾向」がつかめるので、ある程度の「予測」をつけることはできます。例えば、それまでの各節における日毎の戦績を見ると、その選手のクセが見えてくることがあり、そこが興味深い。

もっともそれは彼のスマホで見られる詳細なデータでのこと。こちとらのようなトーシローには、レース場に置いてある出走表で見られる大雑把な戦績だけが手掛りです。

先日戯れに、競輪場で予想らしきことをしていました。よほど暇で、頭の調子も良かったのでしょう。これまでの戦績から上位3人を選んで、1〜3着の着順を予想するという、最も常識の線に沿ったものです。「実力」のある選手を自分なりに客観的に選ぼうとする作業。

初回の第8レースは、そのうち2人が3着までに入りました。ところが次のレースでは、同じような基準で選んだつもりが、予想した3人は何と、ドンケツにまとまってレースが終わることになるのです。笑ってしまうではありませんか。それが穴レースであったかどうかまでは、関心がないので忘れました。

彼に言わせると、大筋ではその考え方で良いとのことでした。が、加うるに「その日の流れや運がある。それをつかむことが必要」との玄妙なご託宣が…。とてもついていけません。まして車券を買うなど、思いも及びません。

とはいえ、また天気の良い日には、駅からの送迎バスに乗って競輪場に遊びに行くことでしょう。素人予想もするだろうし、軽く昼の外食をとるにはちょうど良いのです。豚汁もラーメンもかなり美味いし、焼き鳥と酒だけで済ませることもできますから。

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