天災の度ごと、また日ごと夜ごとに思うにはーー山の辺の道をふりかえり見て

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「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほど無常といふ事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。」ーー小林秀雄『無常といふ事』から

むずかしいことは分からない。小林さんの真意は知らない。この結語の前に、どのような論が展開されていたか、覚えてもいないし、今また読み返す気も起きないというこの怠惰。

それでも昔々から自分なりに「常なるもの」そして「無常」とは何かと思い求めつづけて、いつの頃からか思い定めたことはある。基本となる考え方は、般若心経から頂戴した。

それを話せば、「なーんだ、当たり前じゃないか」と笑われるに違いない。でも、いいのだ。自分はそう思い込み、それで心の安定を得ていられるのだから。

もったいぶらずに言ってしまおう。「常なるものとは『無常』ということ」、その一事なのだ。変わらぬものはない、このことだけが変わらない。

何といっても同じこと。生もなければ死もありはしない。生きているときはそのままシッカリ生き、病むときは病むように病み、痛むときはこれは痛いのだと諦め、死ぬときはただ死ぬまでのことだ。

ーー妻へ娘たちへ。まだ書き終わっていない遺書の一部として。

・・・ ・・・

さて、山の辺の道歩きは、先日の奈良京都放浪の第三日目のこと。

奈良の都から見て陽が沈む方に位置する二上山に託された大津皇子の悲しい運命は、折口信夫『死者の書』で知り、以来、この地を訪れるたび毎に、若いころにはその登山道に分け入り、ふもとの当麻寺にお参りし、このほどは平野の反対側に伸びる山の辺の道から遥かに眺めることとなった。

それから十日ほど経って、また大きな不幸が日本を襲った。九州熊本の皆様のご苦難を思うものの、敢えて突き放した物言いをすれば、地球の自然に慈悲などあるはずもない。

いま、自分の怠惰に呆れながら、撮りたまった写真を整理していると、「山邊道」の道標が小林秀雄の手によるものであったことを思い出し、その呵責のない厳しい筆致に、『無常といふ事』の一節が浮かんできて、これを書き残そうと思いたった次第。

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とはいえこの山辺の道は、あくまで穏やかなのだ。


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目を東に転じれば、御神体としての三輪山。その姿はお優しいが、神様は常にそうであるとは限るまい。よくわからないが。


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草木は何も考えないから、尊い。時がくれば芽が吹き、茂り、枯れて散る。



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檜原神社の鳥居から遠く望まれる二上山の姿は神々しく、また、悲しかった。その向こうに日が沈むありさまは、想像するだに畏れ多い。

椿は神社の南、大神神社に続く道に戻ると咲いていた。


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れんげ草、お久しぶり。

幼いころ暮していた山あいの村落。川向こうの田んぼでアンちゃんと遊んでいたことが思い出された。


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このたびの歩き始めは、JR 奈良線の柳本駅から。崇神天皇の御陵を廻って振り返ったときに見えた二上山。このあとずっとこのお山を目の片隅に置いて歩き続けることになった。


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どう見ても “偽り” がない。それでいて微妙、細密の世界。


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道は続く、分かれてその先、また分かれてその先、道は続く。


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小林秀雄の筆になるもの。この場所の写真、入江泰吉の写真にあったと思うのは、思い違いか。(これを綴っている今また別の旅先にあって、確かめるすべがなく…)


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言うことなしの空の広さ、青さ。


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鳥居をくぐって一礼。今回のこの道は、これまで。

くたびれた。

このあと、三輪駅手前の『万直し寿し本店』で遅い昼食。バッテラ一人前は大ぶりのが9貫も盛り込まれていて、しかも種が食べごたえある締め加減。実に味わい深くて、驚くべし650円!

大神神社は酒造りの神様というのに、この後、友人と京都で会う約束があったので、お清めはオアズケ。
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なんでもないこんな野っ原が有り難い。




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