自粛のご時世――花見始末記

花見の時期が目前に迫ってきた。横浜でも暖かい日が続き、ソメイヨシノが咲きはじめている。

常の年ならば上野公園、千鳥ヶ淵、浅草公園等などに人々が集い、打ち興ずる画面が7時のニュースで流れるところ、今年はそのような場面は放送されないだろう。石原さんも、花見などトンデモナイとおっしゃっている。

賛否分かれるところだ。例年どおり花見に行くべきか、自粛して控えるか。「控える」とは――動作などが度を越えないように、内輪にする。自粛・遠慮をする――とある。(岩波国語辞典第四版)

避難されている方々の窮状に接するたびごとに、涙を誘われ、身を正される思いをしている、ここ3週間。また、見慣れてしまった、この日々。

3万人になんなんとする死者・行方不明者、避難者が17万3000人を超える事態に直面しては、粛然たらざるを得ない。その大災害に対してどれだけの日にちの服喪が必要だろうか。

今年の花見は無し、とするのが順当か。“半年間、歌舞音曲禁止”の令。正論だろう。現に、例えばテレビのCMは「AC」のものばかり。民放局の営業はどうなるのだろう。

このごろになってようやく、番組入れ替えの時期なのか、歌番組が、回顧ものを中心に復活してはいるものの、おハシャギ番組、馬鹿ネタ番組……地震と津波がやって来る前までの勢いはない。

「こういうときこそ、明るくやって、縮みきった身をほぐそうではないか」。これもまた納得がいく意見。

言うまでもなく、正論で世のすべてが満足することはありえない。花見の客を見込んで一年の家計を算段する屋台の商売人、芸能に身のたつきを得ている人々、居酒屋の主人と従業員。みなさん、世の方々の遊びと心のゆとりのお手伝いをして、それで自らの生計を立
てている。“駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人”ということもある。

そんなこんなで、熟慮の末、しめやかに、死者を弔い、我らが生きてここに在ることの幸運に感謝することを旨として(少なくとも自分としてはこのつもりで)、ことしの花見は……決行することにした! 「明日は我が身」と、心を引き締めながら。

――しかし、である。花見に出席できるのは10人ほどの仲間のうち3人だけ。天気予報では、日曜は寒いといっている。気が折れた。相談の結果、ふつうのチェーン居酒屋で時間指定の宴会と相成った次第である。(ブザマ! お邪魔しました)






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