初夏京都行 三

二日目午後……洛北から五条手前までバスで下り、裏町をたどって清水寺に行こうとした。どうして清水寺で、知恩院ではないのかという問いは空振りに終わる。「ただ何となく人が集まっていて、土産物屋が並んでいて、町の風情があるかな…」という程度のミーハーなのだから、こちらは。

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お寺のだいぶ手前でバスを降りて町並みをそぞろ歩くと、古びて美しい板壁、漆喰の壁が見事だった。手仕事の美しさ。しかし正確な仕事。年を経てにじみ出る寂びた味わい。そのような建物が並んでいるのがこの町の魅力だろう。その中で暮らす人々の暮らしぶりは、普通の都会ののマンション住まいの人間たちとは、かけ離れているに違いない。着実で、地味で、品のある…といったら、「それは思い過ごしさ」と笑われるだろうか。

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モノは、それから離れてこそ見える。「清水の舞台」は、その台に乗っている限り見えない。見えたのは対面する丘の頂にある古い塔である。京都を訪ねてから日を経た今にして思えば、その塔には自分が立っている建物が反映しているように錯覚していたのかもしれない。鬱蒼とした木々に囲まれた中に自然に生い立つようにある塔の侘びた姿に呆然として見入っていた、そんな自分は何だったのだろうか。何を思っていたのだろうか。ひたすらにその塔を、木々を見ていた……。しばらく後、とにかく見えているものを確かめようとしてか、遠い先にあるその塔を写真に撮ろうとして躍起になっていた。

ひとしきりして舞台の奥の方から回りこむ道に進んだ。そこからは舞台の横顔が望まれる。巨大な木組み、年を経て変わることのない姿が。しかしそれは自分にとって見慣れた光景であった。そこに見えたのは、中学校の修学旅行のときに写真を写したときのままの姿かたちだった。あらかじめ予想され、これまで幾度となく観光ポスターや本や新聞で見てきたもので、何の驚きもなく通り過ぎた。自分で見つけたものしか見ないぞ、と粋がっていたのだろうか。そんなものなど有りはしないのに……。

にぎやかな四条通に戻り、またもや〔スタンド〕に向かった。満席に近く、カウンター席に座るしかなかった。幅四、五十センチのカウンターを挟んで向かい側には見知らぬ男が座っている。以前、場末の飲み屋でこのようなところがあったが、古いこの町にもあったのかと、一驚する。

向こう側の男は自分と同じような貧乏旅の途中の客なのか、千円だかの生ビールセットを頼んでいるらしい。こちらは意地を張って、また瓶ビール。牛スジとコンニャクの煮込みはたとえようもなく豊かで艶やかな味だった。残念ながら、早々に退却。

同じ通沿いの寿司屋〔乙羽〕で助六寿司の折詰を作ってもらい、ホテルに持ち帰った。

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