ここ二、三日は桜を撮れずにーー鎌倉辺りであちらこちら

寒さのせいか、父の葬いに係る用事に追われるせいか、桜の木が目に入らない。たまに見えても写す気がしない。

予定では、今日から身延の桜を観に行くはずだった。

初めて入った鎌倉大町の蕎麦屋『東京亭』の奥さんに、何処を回って撮ってこられたのかと問われても、葬儀場で打ち合わせの帰りと俄かには応えにくい。結局いろいろ話すうちに三本飲んでしまい、あとは帰宅の道々、大船から野毛へと渡り歩いてちょうど二万歩。

そういえば忙中の閑、久しぶりに大船のフラワーセンターに立ち寄っていたが、はたして何を撮っていたものか、すでに酩酊していたとみえ、よく覚えていない。

たしか、奇しくもこの直前に大町で、時宗のお寺の本堂の前に咲いていたのと同じ木があって、利休梅といったか、純白の五枚ほどの花弁と鮮やかな黄緑色の若葉が目に残っている。

若宮大路の段葛の桜が若い木に替わっていると、弟が言っていた。

きょうの告別式が終われば桜が見え、撮れるようになるのだろうか。

***

ここ数日の写真は整理できていないので、数年前に身延山で見たものを……。

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桜の便り 3 @神奈川辻堂・3月22日

蕾が蕾であったのは、まだおとといのこと。荷風先生なら日記に「暴暖」と記されるような今日、同じ樹が一気に六分から七分咲きとなりました。

激変する体調の下、老父の精神は、意識がある時はきちんと筋が通っています。親族、親戚を思いやる気持ちは変わらず、近く結婚する孫への祝い金に気を回し、義妹の病状も心配するほどなので。

そしてなんと、今朝になって、入院したいと言い出したのです。先ごろから風邪を引きながら面倒を見てくれる老妻を思い、またおとといから交代で詰めている息子たちの諸々の気遣いを慮ってのことでしょう。

もともと死に対する覚悟は強く、かねがね周囲に語っていました。延命の措置は受けないことも明言していたところです。

そこで入院を自ら申し出て、家族と施設による介護から離れるというのは、死地に赴くことの最終決断をし、周囲との縁を絶ったといえるでしょう。

その申し出を聞いて病院との調整を受け持ったのは、本日の当番であった弟で、その際の父の表情はわかりません。が、冷静に自分の生命を計った上での父らしい判断であり、特別な表情を浮かべることもなかったものと思います。自分の父親ながら、大したものです。

その間こちらは何をしていたか。鵠沼の海岸に沿って江ノ島までの二キロ弱、解放された気分でぶらぶら歩きながら、波乗りに集まる老若男女の多さに驚き、何が面白いのだろうといぶかりながら、波乗り板を運ぶための器具をつけた自転車やバイクの写真を撮っていました。暢気なこと、この上なく…。

宿を出る少し前に弟から発されたメールに気づいたのは、四時間後。江ノ島のヨットハーバーを見物し、帰りのバスの中でした。驚いてそのまま病院に直行したという次第、まったく冷や汗ものでした。

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夕桜。横浜小机の雲松院ーー今年はこれきり、また来年…生きているなら

禅寺の奥まったところに枝垂れ桜の大木があって、昨年はたまたま二十五日の午後早くに訪れたところ、実に見事な咲きぶりをみせてくれた。世の人に知られぬお寺の桜。

この春は染井吉野の開花が昨年より遅れているとはいえ、父の見舞いの行き帰りや用足し、そして何よりこの身が歩くことを厭うようになり、つい億劫で訪ねられぬままうち過ぎてしまった。

溜まっていた家事を片付けるうち、すでに夕刻。明日はまた朝から老母の元を訪ねねばならない。この日を逃せば雲松院の桜は今年は見られぬだろうという惧れから、腰を上げた。

堤の道。傾きかけた陽の光に菜花が眩しい。

お寺にたどり着いてみれば、桜は今を盛りと咲き誇っているのに、陽はすでに裏山に隠れかかり、華やぎはない。枝先の一部に辛うじて光が宿るのみ。

これはこれで良さを見つけることにしよう。ちと苦労はありそうだけれど。

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桜の便り 2@神奈川辻堂・3月21日

私事を書き連ねる見苦しさをお赦しください。老父は危篤状態を脱しました。とはいえ当然、先は見えているお話です。

意識の戻った当人は今朝「あのまま眠っていたかった」と真顔で語っていました。が、ほんとうにその時「眠っていたい」と思ったはずもありません。「振り返ってみれば残念なことだった、またもや生き延びてしまった」という感慨なのだと思っています。本人は嬉しいと思っているのか悲しいのか、分かりません。

しぶとい爺さまです。ここ十年ほど、幾度死にかけていることか 、その時々を思い返しています。旅先に掛かってきた母からの電話、頸椎の手術後に身動きできぬ身の口に運んだ粥の匙……。

父が妻子の写真をと所望するので、蕾が昨日ほころんできた桜の樹の下で撮りましたが、印刷できるのは自宅に帰ってからーーあ、もしかして今どきはカメラ屋のようなところでできるのか?

きょう昼前にあわてて駆けつけたこちらの家族はその顔色を見、言葉を聞いて一安心したものです。父の元を辞し、共に久しぶりの食事を蕎麦屋でとったあと、別れてまたひとり、両親宅から程近い鵠沼海岸の宿にたどり着きました。明日午後にでもまた訪ねるつもりなので。

安楽椅子を平らに倒し、窮屈な思いをしながら眠れぬ一夜を過ごした昨夜に引きかえ、きょうはゆっくり眠れるだろうと、安堵しています。

(と、この原稿を打ちながら、さっそく眠りこんでしまいました……)

窓の外の景色はありませんが、街中の三流ビジネスホテルと変わらぬ宿代で、広さはほぼ二倍。母からもらった恥ずかしながらのお小遣いで、宿代のほか、駅前にあった牛スジ洋風煮込みとラーメンが旨そうな居酒屋での晩酌代まで賄えそうなのも、嬉しいことです。

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桜の便り 1@神奈川辻堂・3月20日

先ごろ90歳になった父が昨日から起き上がれない。ずうっと寝ているとの電話が、朝早くに母からあった。食も極端に細くなったという。

「これは…」と慌てて握り飯を作って腹に詰め込み、通勤電車に乗るのは久しぶり。

着いてみればまあ、さほどの事もない。声掛けてみれば、ふと目覚め、ふつうに話ができる。

薬の飲み方を確認したら、先週処方された鎮痛剤による副作用とわかった。「傾眠」とある。

ひと安心して昼の弁当を買いに出ると、桜のつぼみがもう開きそう。

iPad で撮り、すぐ父母に見せてやる。ふたりの顔もほころんだ。

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帰り道はいつも寄り道。野毛『福田フライ』は久しぶりーー横浜本牧行 3

本牧通りが賑やかだったという話は聞くが、いつの頃だったか、どのような風俗が繰り広げられていたのだろう。

伊勢佐木町の伝説になっている居酒屋「根岸家」が栄えていた頃と重なるのか、売春禁止法施行の1958年あたりまでだったのか、それともグループ・サウンズが流行った頃までだったか、とすれば、こちらが中学生時代以前のことだから、分かるわけもないか……などと想像する。

関内のバー『道』で諸先輩から伺っていたとも思うが、なにせヘベレケで聞いているので、頭に残っていないのが悔しい。

小学校の遠足で三溪園に行ったのだろうか、金網の柵が通り沿いに延々と続いていたおぼろげな記憶はあるが、あれは米軍の接収した住宅地だったのだろう。

この通りをずっと南に下った根岸の丘の上に米軍のキャンプがあったのはよく覚えている。「日本の中のアメリカ生活」を覗き見に行ったのは何十年も前のこと。なだらかにうねる丘全面が芝地で、平屋のアメリカ式住宅が点在していた風景は、今はどうなっているのだろうか。

ーー昔話をし出すのは歳をとったということだなと、つくづく思う。

今を語ろう! などといっても、本牧で草木の写真を撮った後は飲み屋の与太話しかできないのが何とも寂しい無教養。

翌日が年に一度の健康診断というのに、したたかにやってしまった。

寿司と蕎麦の『江戸清』に入ると、勘定場にいた顔なじみのお嬢さんに目顔でコンニチワをし、すでに時分どきを過ぎていたので、空いていた奥の四人席に座らせてもらう。

ぬたで一本、ふきのとうの天ぷらでもう一本進めるうちに、空きっ腹への燗酒の効きはすさまじく、頭のタガが完全に外れてしまい、盛り蕎麦とともにもう一本お願いしたかどうか、この店は料金明細を出すようなゲンキンなところではないので、分からない。

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帰りは桜木町までバスで戻るほかなく、とすれば立飲み『石松』に寄るしか道はない。

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石松で濃いウーロンハイをもらった後に野毛小路をふらついていると、串揚げの『福田フライ』には珍しいことに客が入っていない。

まだ夕方四時過ぎなので準備中だろうな思いながら、カウンターの中の兄さんに尋ねると、どうぞと言う。ありがたし。

あさりとポテトを二本づつ「辛いの」で頼む。ニンニクと唐辛子をうんと利かせたソースで、苦手なら「ソースで」と注文する。

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以前は店先に置いていたフライヤーが奥に変わっていて、その前に立って瓶のビールをちびちびやっていた。酔い覚ましのつもりだったかどうか。他に客も来ないので、揚げ場担当の店主に「もう何年もご無沙汰してんだけど、お母さまはお元気で?」と尋ねてみると、三年前に他界したという意外な返事だった。

この店は初め、おっかさん一人で揚げ物も酒出しも勘定もこなしていた。凄い店だった。大変なおっかさんだった。暮れの大掃除には今のご店主もその中にいたであろう息子たち娘たち総出で、にぎやかに店全体を洗い上げていた。

改装して今の構えになり、店員の構成も献立も道具の配置も少しずつ変わり、おそらく現在のまま続いてゆくのではないかという気がする。店主と若者の二人、フライものを中心にして、現店主がはじめ力を入れた刺身類も少し提供するという形で。

客は一頃ほどではなくとも、いつも一杯の様子。なぜなら、いつも入店する気になれないので。だから奇をてらうことはない。普通のものを普通に吟味して出してくれればいい。

この夕方、店主は揚げ油に浮かぶ揚げカスを、神経質と思えるほどに小まめにすくい上げていた。それで良いのだと思う。

むかし、おっかさんは夕方の開店前に大量のラードを揚げ鍋に移していた。ラードだけで揚げていた。はたして今も同じなのかどうか、今の店主に確かめられる日が来るのかどうか分からない。

帰り際に代金の釣りの中から一枚、「包まなくて失礼だけど、お線香代に」と渡すと、素直に受けてくれたので、おっかさんの顔が近くなった心持ちになれた。

ーーと、これでまた頭がおかしくなり、バー『道』が開くまでのツナギに、蕎麦の『利休庵』に寄ってしまい……ついには当然ながら、翌日の健康診断は延期する破目となる、毎度ながらロクでもない午後であった。




茶室の春草廬、三溪園早春ーー横浜本牧行 2

先日伊豆の伊東で古い旅館跡のゲストハウスに泊まって以来、どこへ行っても和式の建築物が気になるようになった。

三渓園には紀州徳川家の別荘、重要文化財の臨春閣をはじめとする多くの古建築が移築されている。
https://www.sankeien.or.jp/guide/

この中で今のところ興味があるのは茶室など小体な建物で、その作りの細やかさ、材質の侘びた風情に惹かれている。お寺の立派な塔やお堂などにはない和らぎと親しみやすさに。

このほど目についたのは、春草廬と蓮華院の雨樋の端から地面に雨水を導く「綱」だった。

樋はもちろん竹を割り裂いたものにしても、屋根から樋に流れ落ちた雨水はどうやって地表に落ちるか。寺院などでは金属の鎖だが、侘びた住いには似合わない。

今まで全く気がつかなかったのは迂闊であったが、これらの建物では細い紐を荒く編んだものを雨樋の端から垂らしているのだった。蓮華院では、垂らした先端に漬物石のような石が、紐でくくられている。綱の先の紐が石をくるみ支え、石が綱全体を支えている。この柔らかな緊張関係にしばし見惚れていた。

これら古建築を取り囲む木立にまだ春の色はあらわれていないが、流れる水のきらめきは春の光に違いなかった。

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ハクモクレンの並木道、午前午後ーー横浜本牧行 1

横浜元町から本牧通りを南下し、本牧三之谷にさしかかって大きく右に曲がると、また真っ直ぐの道がしばらく続く。右側の広い歩道には白木蓮の木が連なっていて、この時季には見事な眺めとなる。

この通りには電柱がないので空が広く、晴れていれば青空を背景に純白の花がくっきりと浮かび、曇り日には和らいだ花の白さと雲の灰色のなだらかな対比が楽しめる。

見頃は3月の10日過ぎなので、この冬は暖かかったから少し出遅れたかと、気を急かせながら出かけたのが、去る12日のこと。

バスの経路を気にしながら乗っているうちに、本来の目的を忘れて三溪園に行くつもりになっていた。

本牧の停留所に着き、左折すれば三溪園だと思った時、バスの前に伸びる道に白い花が咲き誇っているのが見えるではないか。「あ、いけねー」と目がさめる思いで、運転士さんに声を掛けて待ってもらい、慌てて降り立つのだった。何とも愚かしい。足の向くままの散歩や成り行きまかせの旅ばかりしているせいに違いない。

この二日前、住んでいる新横浜の公園でオカメ桜がよく咲いていたので、本牧通り裏手にある図書館の玄関先の桜も同じだろうかと、まず確かめにゆくと、はたして満開の状態だった。いつも白木蓮と同時期かと問われると、自信はない。

着いたのは十時過ぎ。これ以上の咲きかたは望めなかった。穏やかな天気が続いていたので、はなびらの傷みもない。

ひとわたり観たあと三溪園に移り、通りに戻って遅い昼食をとって、帰りのバスに乗る頃にはすでに陽はだいぶ回っている。木の反対側が日に当たっているので、はじめ来た時と見え方も違う。

また撮影することになるが、すでに歩き疲れ、蕎麦屋でもらった酒も効いていたので、早々に切り上げるほかないのだった。

停留所のベンチに腰掛けていると、小学生たちが目の前を通り過ぎてゆく。戯れながら行ったり来たり、付いたり離れたり、また話しこみながら、もちろん一人の子も。

この時間からして高学年なのだろう、いずれも足どりは頼もしい。ランドセルの色も服装もさまざまで、いつも見慣れている中学高校の一律に無表情なドブネズミ供とは、まるで違う。

そういえば、この停留所でバスを待っているといつも子供達の帰り姿を見るような気がしていた。

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友へ。帰宅の前日、ようやくお伊勢参り

神宮にお参りする心の準備が整わず、体調も奮わない。「こんな身ではとても神様の前に立てんよ」と鳥羽に引きこもって二日半をウダウダと過ごしてしまいました。帰途につく日になってようやく気が上向いたか、JR鳥羽発6時37分の初電に乗り、ふつうにお参りを果たせました。あの低迷は何だったのかというほど、ごく平静に。

外宮そして内宮へ移り、鳥居をくぐりながらも、べつに神様を尊崇する心がさほど篤いわけでもないので、樹木の写真ばかり撮っていたのは、これまでと変わりません。ただ、一人でのお参りはおそらく初めてなので、手入れ行き届いた神苑の松や梅の木、鬱蒼たる杜の樹々、参道にそびえる杉や橘などの巨木を存分に眺めとることができたのはありがたいことでした。馬酔木が純白の小さな花房を垂れているのが目に残ります。

鳥羽に着いてから撮った写真を取り込む順序の都合により、神宮ほかのご報告は後日に譲るとして、今夕お世話になった名古屋地下街、ビアホールの銀座ライオン系列にある蕎麦居酒屋『安曇野庵』での「どて煮」のみ取り出し、 アリバイ写真として掲げておきます。

モツのどて煮が滅法美味くて、八丁味噌の底力に感服しました。ハマの串揚げ屋でいつももらっていた大阪風どて焼きとは別次元。そしてこれまで名古屋で注文したどの土手煮より重厚な味わいに圧倒されたことです。フランスパンできれいにぬぐって食べきりたかった…。(そういえば、今日のデンプンは朝飯の伊勢うどんだけだったな。伊勢市駅前で早朝からおばちゃん一人で切り盛りしている『若草堂』)

そのあとのおつまみカキフライも大したもので、三日前に鳥羽でもらった三つ500円の生牡蠣がそのままフライに仕立てられたようで、ソースなど無用。揚げたままをかじったりタルタルソース少しのせるのが最高でしょう。塩が一番かも。

ーーで結局ひと晩延泊。朝飯つき4千くらいで済む名古屋のビジネスホテルに居ります。日本人ばかりで、とても静か。よく眠れそう ^_^ーーと思ったら、真夜中過ぎに姐ちゃん二人がけたたましいChina語で喋りたてながら隣の部屋に入って来よった。🎵ああここもやっぱり、土砂降りか~。

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早春日記〈2019年3月10日〉ーー税務署へ。帰りは寄り道、早いお花見

いつも税務署から送られてくる確定申告用の書類の中に、今年からは提出用の封筒が入っていないようでした。開封後にずいぶん経っていたので失くしたかと思い、あちこち探した末によく見たら、小さな文字で「今年度から、郵送提出用クラフト封筒は…」という説明があるではありませんか。

電子申告が増え、封筒の必要性が薄れたということなのでしょうか。半ば安堵し、半ば自分に腹を立てたことです。細かな注意書きが目に入らない。変化に対応するのが億劫になる……年とともに。

いろいろと事件が重なって長らく手がつかなかった事務作業も、心の準備と体の調子さえ整えば案外スラスラと進みーーというのは大ウソ。もともと税金の仕組みをわかっていないので、前年に提出した申告書に倣いながら記入するのですが、自分の収支状況が変われば、税制改定による書式変更もある。あれこれ見比べ、説明書を読み、考えるうち、自分が今なにをしているか分からなくなる。それを幾度繰り返したことでしょうか。

半日かかってようやく仕上がり、ようやく全体が理解できるものの、一年経つとまた振り出しに戻ってしまいます。来年も同じ思いをせねばならないのか。哀しいものです。

ーーとこうして翌朝に清書し、天気も良かったので散歩がてら税務署まで川沿いに歩くことにしました。日曜なので「時間外収受箱」に放りこめば、切手代が浮くし、混雑した税務署に入らずにすむし……。

行き帰りは気楽なものです。裏道を行ったら、通り過ぎてしまい、バス通りに出てから戻ることになりましたが。

予想もしていませんでしたが、川沿いの公園にオカメ桜がちょうどよい咲きぶりでした。

横浜本牧にある市立中図書館前の通りにも、この桜の並木がありますが、その近くの白木蓮より早めに咲いたかどうか。

……あの場所の花の時期は、写真のファイルを調べればすぐわかることではあれ、パソコンの起動があまりに遅くて腹がたつので、明日にでも出向いてみることにします。なに、本当は三溪園への入り口にある寿司と蕎麦の『江戸清』でちょっと飲みたいだけです。

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早春日記〈2019年3月9日〉ーー買い物帰りに公園で

すっかり春めいた日差しの下、川沿いの公園でぼんやり。しかし、いまひとつ草木には春の気配が見てとれません。こちらの見る目が濁っているのでしょうか。

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S&G の “Old Friends” のようにベンチでじっとしていたわけではないのですが、写っているのが木の陰や薄汚い地面ばかりで、我ながら苦笑してしまいます。

サボっていた確定申告。医療費控除のまとめをしなくてはと、滅入っていたのかもしれません。その気になれば、苦労しながらもすぐに終わるでしょうに…。

税金のことは午後いっぱいでケリをつけ、明日は若草を探しに出かけましょう。

……。

だいぶ前に伊豆下田から買い帰ったフキノトウが痛みかかっていました。わかっていても料理する気が起きなかった…。

めずらしく早朝に寝床で空腹を覚え、米を炊きつけた後に蕗味噌にして頂きました。久しぶりの鮮烈な香り。

ひところは酒の肴として多めに作っていたのが、もうあまり飲まないので、ご飯の香の物がわりに蕎麦猪口の半分に満たぬほど。これで充分。フキノトウ購入以来の顛末はまたいずれ。




友へ。いま帰り道ですーー東海道新幹線は「こだま」に限る〉

新大阪発こだま、東京行きの自由席は名古屋を11時59分に出たところで一両に10人も乗っていません。この30分後の名古屋始発にするかどうか迷ったのですが、無用な心配でした。

新横浜まで約2時間半。のぞみなら1時間10分くらい。窮屈な思いをしてそんなに急いで、どうなるものか。

「そんなに急いでどこへ行く」と言うことはあっても、「狭い日本…」という枕言葉は絶対に使いません、わたしは。日本が狭いなどとはけっして思わないから。この国の土地の広さと多様さを知らず、土地ごとの人々の暮らしの実態をわかろうとしない、頭デッカチ野郎の作ったいい方に違いないのです。

もっとも、皆さまビジネスマンが急いでくださるおかげで、こだまの席に余裕があるのですが…。

途中、豊橋で5分の待合わせ時間に買った助六寿司550円の味加減は、煮た干瓢や油揚げも、また酢飯もしっかりと濃いものの、しつこくなく、じつに結構なものでした。のぞみ新幹線では浜松の鰻弁当も手に入りません。あ、車内販売はあるのかな?

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名古屋は晴れていたのに浜松あたりから雲が多くなり、いま三島では雨降りです。何が「狭い日本」なものでしょうか。

浜松のあたりでは白木蓮が咲きはじめていました。横浜本牧の咲き具合が気になります。

〈三年前の3月12日、横浜本牧にて〉
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横浜・大倉山公園梅林ーー今年の梅は、これにて打ち止め

余計なお節介でギックリ腰になった事件から半月。助け起こしてやった爺さまのその後を区役所の老人援護担当に確認に行ったところ、状態は宜しくないが、入院はしているとのこと。脚のむくみが尋常ではなかったから…。とはいえ、動けないままの孤独死は避けられたので、良しとします。わたしとしては一件落着としました。

安心して、その足で今年初めての大倉山公園に向かいます。

平日のため、見物客はご同輩の皆さまばかり。心穏やかに過ごせたものの、体調芳しからず、写真を撮る気になれないのが歯がゆく、もどかしいことでした。

これまでなら何とか一枚シャッターを切れば、あとは続けて撮れたのが、ぜんぜん興が湧かない。艶やかな花を見ても、苔むした古梅の幹が雨に濡れて絶妙な色合いなのはわかっても、それを写しとる作業が億劫でならないのに困じ果てるのです。身体の調子なのでしょう。仕方ありません。

この春は茨城日立在住の友人に会いに偕楽園に行く予定もないので、梅の見納めということになるでしょう。

辛うじて数枚ーー。


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ーーと、結局はいつもの飲みパターンに落ち着くのではありました。

菊名駅近くの蕎麦屋『ほてい家』は昔ながらの通し営業をしてくださるのが飲んべえ爺いどもにはありがたく、前回はじめてお会いして意気が合ったご近所在住の先輩 I さんがお出でだと良いなと期待していたのだが、おかみさんによれば「昨日いらしてたんだけどねぇ」とのこと。





















ゲストハウスは国の文化財。木の艶に開眼ーー現実逃避行、東伊豆 3

「今夜どこか安く泊まれるところはないか、伊東か熱海に」と、下田駅近くにあるスーパー中庭のベンチでナムル4種詰めとパックご飯、それに缶酎ハイの朝昼兼用飯を食べながら検索したところ、伊東のゲストハウスで共用の和室に3千円くらいで泊まれるとわかりました。予約終了が12時10分。

雑魚寝には慣れています。歩きの大会の時など、体育館にずらりと敷き並べられた布団一枚分の広さが自分の城だったものです。埼玉の東松山や長野の飯田には幾度泊まり込んだことか。

河津に途中下車して桜を一巡り見物し、電車で伊東に向かう道すがら、あらためて予約確定書を読むと、最後の方に「ドミトリー(共用部屋)の使用は16~50歳」とあり、参りました。「年寄りはダメよ」というわけです。予約を入れるとき、そのような条件は書いていなかったか、気づかなかった……。年寄りは普通はそういうところを希望しないということなのでしょう。

途中駅で電車の交換待ちの間、宿に電話を入れてみると、ちょうど狭い個室が空いていて、料金は6千ほどというので、頼むことにしました。

「ケイズハウス伊東温泉」https://kshouse.jp/ito-j/index.html

百年の歴史と由来、隣接する同様の元老舗温泉旅館「東海館」との関係はよくわかりません。古い館内案内図によると三階につなぎ廊下があるようでしたが、非常通路なのでしょうか。

それはともかく、長い歳月を経た旅館の建物には深く感じ入ってしまいました。本来の旅館業務を行っているなら、こちらのような貧乏人はとうてい泊まれません。一泊二食付きなら2万円は下らないでしょう。

極めて良質の木材そのものの魅力の上に、大工、建具師の技、そして百年に亘って磨き立てられてすでに美術品といっておかしくない天井や床、柱、板扉、障子の格子などの作りと奥深い艶には、心底惚れてしまいます。

また半地下式の浴室では、もったいないほどに常時、源泉が溢れています。毎分100リットル湧出するのだと。3、4回入浴して毎度独り占め。板壁と天井ばかりか桶も腰掛も同じ材料で、塗りものなのかどうか、赤褐色に沈んだ光沢で、しかも天井から冷たい雫が滴ることもないのには、感嘆してしまうのでした。

今度伊豆に出向くときにには必ず立ち寄ることでしょう。泊まれなければ温泉だけでも。

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熱海梅園。一週間前は2月20日ーー現実逃避行、東伊豆 5

今日の南関東のような冷たい雨ならば、お客は少なかろうし、花弁の色も穏やかなことでしょう。が、無い物ねだりしても始まりません。

「まだ満開じゃないわね」と不満をもらし「もう萎れちゃってるわ」と嘆いても詮無いこと。どこに行っても聞かれるのです、こういう声が。

何百株もの梅が一斉に満開になるわけもないでしょうに。そもそも一本の梅でも「満開」といわれる頃、枝によっては萎れ始めていますよ。どうか、今咲いているものをお楽しみくださいな。あれこれ文句をつけることがお楽しいのなら、べつに止め立てしませんが。

来宮駅改札に出ていた開花状況は、早咲きが八分、中咲きが六分、遅咲きが三分ほどであったと記憶します。

先週の熱海梅園は、雨上がりの快晴。気温が高く、駅からの急坂を登った後には薄手のジャンパーを脱ぐほどでした。

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河津の桜、2月19日現在ーー現実逃避行、東伊豆 2

河津桜を訪ねてゆくとき、たいていは雨模様。とはいえ、このくらいの方が花の色は落ち着いて見える。

下田から伊東に移る途中、予報では午後は雨だったので、今回は見送ろうとしていたものの、電車の窓から見ると河津あたりはまだ降っていない。即断して途中下車した。

もちろん木によって咲き具合は違うものの、全体を見れば四分の開花というところだったか。

平日にもかかわらず、大型バスが50台ほども停まっている。休日にクルマでの河津行きはおやめになる方がよろしいかと。海沿いの一本道は渋滞必至だろうから。

河津川両岸の列植はもちろん結構だが、外国語が飛び交ってかまびすしく、クルマと通行人の争い、写真撮りで通行を妨げられる等々、街中と変わらない、むしろ酷い。売店で一杯やる気もおきず、早々にここから外れ、周りの畑や駐車場脇の空き地の桜をもっぱら眺めていた。

来宮神社の佇まいを窺おうと鳥居に近づいたところで腹の具合が怪しくなり、やむなく撤退。他日を期すことにした。離れたところから望む境内はいい感じだったのだが…。

駅に戻ろうとした頃から雨は本降りとなり、痛む腰を労わりながら道を急ぐのだった。

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マンネリ日程の円山公園、夜は疲れてホテルの食堂ーー幼な馴染み男女八人札幌行き 3

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閑話休題。そろそろ旅の仕方を変える時期が来ているのだろう。とにかく、動けなくなった。

それは同時にこの身にとって、大げさに聞こえようが、生活の目的や方法、また日々の行動内容を変えることにもなるに違いない。

この予兆はおそらく先の札幌行きの頃からあり、冬から春にかけての旅は、以前と比べてどこか内容が疎かになり、以前の旅程をなぞることが多く、実りも少なくなっているように思われる。

三月初めに予定している鳥羽への小旅行が一応の区切りとなろうか。

……。


さて、秋の記録を続ける。

(2018年10月27日 午後10:36:52、全員あてメール)
ご報告(第四・五日):くたびれた~
皆さま

ご報告遅れました(待たれてもないだろうけど… 笑)

もうほんとに動けなくなっちまって、一日に一か所、二時間ほど巡って、そのあと酒食を済ませて宿に帰ると、もうグッタリなのね。

最後の晩なんて、食堂を探すのも面倒になり、ホテルのレストランで飲み食いしたというナサケナサでした。締めのご飯ものは高かったので、近所のセイコーマートで110円のジャジャン麺買って、ホテルのフロントで温めてもらったのが美味かった。この北海道のコンビニの品揃えはスゴい。店内でこしらえている惣菜やパンもあるみたい。

四日目は地下鉄で円山公園へ行って帰ってきただけ。最終日はコンビニで握り飯を一つ買って、北大の植物園で遅い朝めしという次第。どちらも紅葉は綺麗でした。

帰りの飛行機は、往きのときにキヨちゃんが座っていた席で、十六夜くらいのお月さまがずっと見えてました。千歳発17:30だったから、ちょうど月が上って少しした頃で、当たり前だけど。

羽田からはバスで新横に戻ればいいのに、なぜか京急に乗ってしまい、もうクタクタ……

ーーという散々な後半でした。

で、反省会はするのかな? 支笏洞爺の写真、見たいな…

ではみなさんお元気で。そのうち初日のみんなの写真、送ります。あてにしないで待っててね、スンマセン、なまけもので。


〈写真は円山公園と北海道神宮〉

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下田は夕暮れーー現実逃避行、東伊豆 1

何やかやと面白くもないことが続いたので、一段落したところで伊豆に逃げ出すこととなった。

ボケの連続で、傍目から見ればさんざんな旅ではあったが、当人は呑気なもので、行き当たりばったり、出たとこ勝負の一日一日が過ぎてゆくのだった。

いかに間抜けであったか……。その一つ。「東伊豆フリーきっぷ」とやらを使って伊東と下田の間が乗降自由、往復もかなり割安で行けるはずが、出発当日に購入することができないと分かったのは、前日の夜十時に宿を予約したあとであった。はじめは軽く一泊二日のつもりでいたのが、結局はずるずると居続けることとなるのだった。

靴下は毎晩、片方をどこかに置き忘れ、何日か後には左右異なる色の靴下で帰宅することになる。

挙げ句の果てに自宅の鍵を初日の宿に置き忘れていた。宿から知らせてくれた留守番電話を確認していなかったため、着払いの宅配便が本宅に届くまで、横浜の港近くのホテル、また本宅の妻の元にそれぞれ一晩ずつ泊まることとなり、余分な時間とカネを使ってしまった。とはいえその分、様々な風物、光景、人々の暮らし、食べ物に出会えた訳ではあるが。

ーー。

二晩目にお世話になった伊東のゲストハウスから深夜、友人たちに送った Facebook には、次のようにあった。

「きのうから伊豆に逃避しています。

米びつが底をついても五キロの米袋を持ち運びできぬ腰の状態で、二キロのは割高で買う気がしない、麺類を食べ飽きたーーというのは言い訳みたいなもので、ほんとうはメシを作る気がしなくなって、放浪癖が出たまでのことです。

下田の街なかをうろうろの昨日。雨の降り始めを気にしながら河津桜見物の今日。いずれも大して歩いたわけでもなく、12千歩ほどで足が止まっています。

その昔、下田の市街から少し離れたホテルで朝から深夜まで一週間缶詰の研修があって、宿題を早々に片付けては夜な夜な街に通っていた頃の脚力や今いずこ。もう、そのホテルまで歩いていけるかどうかもあやしいのです、情けなや」

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今日の外メシーー野毛の『萬里』にて一時間ほど

昼飯と晩酌兼用、午後一時半から横浜野毛の『萬里』にて。

「社長」がギックリ腰で休むと電話が入ったけれど、ひょっとしてここ二年ほど二番鍋を担当している兄ちゃんのこと? そういえば、ちょっとイイオトコのところが「会長」の若い頃に似ているかもしれない。ちょび髭で昔っからパーマ頭の店長さんが奮闘してました。

二杯目の紹興酒を注ぎ終わったあと、珍しくよく働く中国娘の店員さんがちょっと考えている様子でした。ん?と顔を伺うと、一口飲んでください、ちょっと残っているのを注いじゃうからと、何とも有り難きお言葉なのでした。店に入る時、彼女が店先で昼定食の看板を外していたところに声をかけたのが効いたのか知らん。

我が家の鍵を旅先の宿におき忘れて朝から行き場なく、三溪園で寒い思いをしながら一巡し、バス通りに出ると、寿司と蕎麦の『江戸清』は折り悪しく定休日という不運の半日の末、野毛で落ち着きました。

(で結局、カミさんのところに転がりこんでいます。お恥ずかしい…)

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蒸し鶏(小)510、紹興酒400(葱、甜麺醤つき)


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サンマーメン650


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(昨年11月半ばの萬里店頭)






昨日今日、東伊豆をフラフラと

米びつが底をついても五キロの米袋を持ち運びできぬ腰の状態で、二キロのは割高で買う気がしない、麺類は食べ飽きたーーというのは言い訳みたいなもので、ほんとうはメシを作る気がしなくなって、放浪癖が出たまでのことです。

下田の街なかをうろうろの昨日。雨の降り始めを気にしながら河津桜見物の今日。いずれも大して歩いたわけでもなく、12千歩ほどで足が止まっています。

その昔、下田の市街地から少し離れたホテルで朝から深夜まで一週間缶詰の研修があって、宿題と予習を早々に片付けては夜な夜な街に通っていた頃の脚力や今いずこ。もう、そのホテルまで駅から歩いていけるかどうかもあやしいのです、情けなや。

新カメラはようやく手になじみ、ストレスなしに操れるようになりました。しかし、撮ったものを選択し整理する気力なく、お葬いーーなんと、あれからまだ二日しか経っていない!ーーのあとに寄った蕎麦屋の献立にてお茶を濁します。(白子ポン酢500、牡蠣の天ぷら600、盛り蕎麦650)

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横浜市中区吉田町『角清』
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140104/14032548/