旧東海道神奈川宿散歩ーー埋立地の貨物駅、消えた市民酒場から街の中華屋までまで

風呂釜の調子が悪くて二晩ほど湯に浸かれず、全身がだるいので、横浜港東神奈川の岸辺にある日帰り湯を久しぶりに訪ねてみた。

屋内ではあるが外壁が半ばなく、露天風呂ともいえる温泉は、東京から神奈川にかけての海浜部に特有の緑褐色の湯は滑らかで心地よい。

スポーツジムを併設するこの施設は客も少なく、この近隣のベイエリア(イヤな言葉だ)の住民が多いとみえ、一様に常識をわきまえた人間ばかりで、ふだんピリピリしながら街を歩いている当方にとっては、貴重な居場所といえる。

……。

温泉に浸かっては屋上で風に吹かれ、平日の昼間は営業していない食堂で、だれにも邪魔されずに時を過ごしたあと、施設を出れば、入口前のデイゴが元気なこと。
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送迎バスに乗るのもシャクなので、昼食場所を探しがてら東神奈川駅に向かって歩き出せば、すぐに貨物線の駅。「ハマの場末感」が強い。
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外来の草花ではあろうけれど、こんな場所にはふさわしく。
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埋立地が続くこの一帯。情趣もへったくれもないものの、年月が経てばそれなりの味は出てくるもので。
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三階建ての工場の向こうにチラと頭が見えるのは、ランドマークタワー。
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歩くうちに、「そういえば、昼過ぎから開いているあの居酒屋はどうなっているだろう」と、まだ一度しか入ったことがない店を思い出し、向かってみることに。
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ーーと、行き着いてみれば、組み写真右上の状態。影も形もなく、駐車場と化している。二年ほど前に撮った写真を探し、往時を偲ぶ。この時はちょうどお盆で休店中だった。

ごく簡単なツマミで爺さまと婆さまが安く飲ませてくれたと記憶する。

こういう店があると教えてくれたのは、いつも世話になる関内のバー『道』のお客だった。ママさんと中学が同級という彼とは、その後は出会っていないと思う。互いにそれほど常連とはいえないから。

人を待っている風でもなく、ただ道端にしゃがみこんでタバコをふかしているオッサンがいたので、いつ取り払われたか尋ねたところ、二、三か月前かなぁと、ぼんやりした応えだった。
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車道と歩道を隔てる植え込みが一部崩れたのか、土留めとみえる板に、掲示意図が不明な張り紙があった。

よく見ると、細い字で下書きしてマジックインキで清書している、入念な作りなのだ。

水と心を比べて、妙に納得させられる文言。また「正 = 『一』 + 『止』」という字解にも感服してしまった。

加えて興味深いのは、張り紙の破れを止めるために貼り付けられたとみえるパック容器の表示シール紙。拡大して解読すれば、道明寺桜餅四個入りのパックなのだった。

筆跡や内容などから推察して、高齢のおばあさんの作ではないかと。
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梅の実が熟し、根元にいくつも転がっているが、いずれも傷ついており、拾って持ち帰る気がしない。
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『みのかん』跡の近所、橋のたもとにある『土橋寿司』は定休日。仕方なく京浜急行の神奈川駅方面に向かう。駅近くに中華屋があったはず。また、夜は安居酒屋だが昼飯も出す店があったような気もして。

しかし、すでに時間が遅く、どこも開いていない。

歩き回るうちに、これもすでに昼の営業時間は過ぎているが、格好の献立と価格の寿司屋があったので、記録しておいた。勤め人の皆さんが一段落した一時過ぎに行けば、トンカツ定食でビールをゆっくり飲めるだろう。

昨年秋、ある銀行の融資関係で世話になった女性が、この近くの法律事務所で働いていることを思い出した。

銀行での手続きの合間に雑談をしていると、駅前の安居酒屋があることも知っていて、彼女はもちろんまだ入ったことはないが、興味ありげな口ぶりだった。

かなりイケル口のようで、話がはずむうち、驚くべし、この方の実家は以前こちらが住まっていた家のすぐ隣であることが分かるのだった。何たる奇遇。当時、彼女は中学生。今や立派な司法書士さんになっている。
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神奈川駅付近はすべて空振りで、仕方なく東急東横線の反町駅方面に足を延ばす。食事が目的なら、すぐそこの横浜駅付近にいくらでも店はあるものの、人に会いたくないこの日なのだった。

いつもの『菊家』はすでに時間外。さんざん歩いても、適当なところがない。反町駅近くにラーメン専門店は何軒か並んでいても、カウンターで他の客と一緒に同じラーメンをすするのには耐えられない。

厄介なジジイになってしまった。

あきらめて、バスに乗って帰り、自宅で何か作ろうと、とぼとぼ歩いていると、国道から細い道に入ったところに、赤地に白抜きで「ラーメン」という、よく見る旗が立ててある。

マンションの一階に頃合いの中華屋があって、オヤジさんに「いい?」と目顔で尋ねると、「どうぞ」と言う。

ようやく落ち着ける店にたどり着き、躍る気持を抑えて瓶ビールを頼むのだった。
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アジサイさんぽ・6月15日ーーカメラ紛失の顛末

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どこで失くしたか分からなかったカメラを保管していてくれた東北本線黒磯駅の皆さんにお礼をと、ハマ名物(かどうか知らないけれど)某洋食店のレーズンサンドを送った帰りのこと。

過日、故郷での法事のあとに酔っぱらい、カメラはそこに置き忘れたと思っていたところ、じつはローカル線の座席にあったのを、清掃担当の方が見つけて、駅での保管に回してくださっていた。そうなるとはツユ知らず、その方には降車の際に挨拶をしていたことを今になって思い出す。

最後に撮った一枚は、田んぼだと思っていたが、列車内で写した切符だった。

カメラが見当たらないのに気づいたのは、翌朝の温泉ホテルで朝食の記録を撮ろうとした時。

……。

それがこの手に戻って数日。小雨が続く薄暗い公園のアジサイを撮ってから、調子は奮わないながらしばらく歩いていつもの地元民用居酒屋『うさみ』に寄ってみたら、土曜日なのに客がいないのは、雨のせいだろう。めずらしくレモンサワーで少酌し、おとなしく帰宅。

同じイカ納豆でも、野毛立飲み『石松』の客まかせのひと鉢とは正反対で、手のこんだ作り方。まあ、口に運んでしまえば同じようなもの。

焼物はさいきん豚カシラを塩で焼いてもらうだけ。

ーーなんの変哲もない午後。

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木の俣川を渡り、温泉場へダラダラ歩きーー板室温泉だより 2

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日に何十キロも歩いていたのは昔のこと。そのつもりになれば、速歩、長距離歩行もできるのだろうが、今はのろのろと歩きながら目にとまるものをトックリと眺めるのが常となっている。

「どこかへ行く」ことよりも「目の前にある興味深いものを見逃してはもったいない」という気持ちが勝っているのか、歩くのが辛くなっているのか。いや、どちらも当たっているのだろう。

宿を出たのは十時をだいぶ回った頃。たぶん朝食の後にまた湯に浸かっていたとみえる。記憶も記録もない。ほかにすることもなかったはずだから。霧雨の中、古くからある板室温泉に向かって歩き始めた。

人家は宿の先に並ぶ二軒ほどで絶えた。商店の看板は立派なアルミ製でも、シャッターはずいぶん前から閉じられたままのようだ。

バスの停留所で時刻表を見ると、平日は六便、休日は四便通っている。我が故郷の村行きの二倍の本数があるのは、行く先がこちらは温泉地、我が方は古い関所の跡であるから、相応だろう。もっとも、いずれも客は何人か乗っていれば良い方なので。

静かに濡れる杉林の地表に低く茂る草に目がゆく。子供の頃、祖父に連れられて林に入り、枯れかかった下枝を掻き取る作業のまねごとをしたことが忘れられない。

整備された道路、まれに往き来する小型トラック。その先はどこに通じているのか、見当がつかない。那須か、その先は南会津ということか…。

遠くに聞こえる軽いエンジン音は何かと思いながら歩いていた。街中であれば草刈り機の音だが、と。しばらくすると、原木を載せた大型トラックが山を下りてくるので、チェーンソーの音だったと知る。

また進むと、川の向こう遠くの方にほんの一部、切り開かれた杉林が望まれ、「ああ、あそこにまた杉の苗が植えられるのか」と思い巡らせると同時に、あそこからどういう人たちが何人くらいで、何処をどういう作業を経て運び出し、さっきのようにトラックで搬出するに至るのかと考えてしまうのだった。自分が働いていた頃の習性が抜けていない。

下り道が急に曲がり、上りに切り替わるところに橋が架かっていた。木の俣川というらしい。そういえば宿近くの停留所は「木の俣」であった。流れの幅は、およそ十メートルほどか。

この辺りに整備された園地は、居心地の良いことこの上なかった。元々あった川原の木立から適当に樹木を除き、土をならしただけの区画で、そんなところは一年も経てば「自然」の土地になってしまい、すでに「人工」を感じさせなくなる。

すぐ脇の斜面のどこかから水が地を伝って流れているが、小川というまでにも至らない。この雨が上がれば消えるのだろう。

どれほどのあいだ、この緑にひたっていたことか。徐々に激しい降りになってきて、傘を支えながらカメラを濡れぬように構えるのも辛くなってきたので引きあげたが、そうでなければいつまで撮り続けていたに違いない。

道をわたって反対側の園地の入り口で、進もうかどうか迷っていると、傍に小さな立て札がある。昭和天皇が那須の御用邸にお越しの際、時々おいでになっていたという「オオバヤナギ」の群生地があるとのことだったが、次回に訪ねることにした。体も冷えてきたので。

なだらかな上り坂が続き、平らになると、ようやく「歓迎 日光国立公園 板室温泉」の表示壁が見えてきた。続いて那珂川に沿って今度は下ってゆくと、連続して「熊出没 注意」の掲示が電柱に付けられている。

「どう注意すればエエんじゃい!」と半ば怒りながら、熊鈴を持参するのを忘れたので、時々「おーう、おーう」と唸りながら歩いていた。

やがて建物が見えてくる。平日だからというわけでもあるまい。温泉場は静まりかえっていた。

店舗はただ一軒だけ、新しそうな構えの蕎麦屋があって、ちょうど昼どきのため適当に客がいた。数少ない営業中の旅館の客が他に行き場もなく、ここに来ているのだろう。

前日に故郷の蕎麦屋で叔父が打っている蕎麦や天ぷらを、今年も日本一の福島の地酒とともにタラフクいただいていたし、こちらのような今風で洒落た店は好みではないので、昼食は宿に戻ってからにすることにして、寂れた温泉場の風情を吸い尽くそうとしていた。

歩く人はほどんど見かけず、むろんのこと外国人がいるわけもない。有り難や、ありがたや……。

……。

同じ道を辿って戻るのは好まぬのは、いつものこと。すでに疲れてもいたので、帰りはバスに乗ることに決め、時間つぶしでは失礼とは思いつつ資料センターに入ってみれば、受付の中年男性が手持ちぶさたのようながらも生真面目にカウンターを守っておいでになる。この辺りの人たち、みな真面目なのだ。駅前でタバコをふかすハネ返り高校生がいるのは、何処も同じだが…。

終着の停留所で折り返しのバスに乗りこみ、発車まで運転士氏と話していると、この温泉で一番高級なのが、目の前にある D屋と、角にある新しい宿で、いずれも二万三千ほどなのだという。「独りじゃ泊まれねぇべな」と笑いとばすと、それができるらしい。「オレぁとても無理だよ」と、しおれるばかり。

そういえばもう一軒新築中の所があった。どうせこちらには縁がないだろうが、この温泉場も遅ればせながら代替わりを迎えているのだろうか。

ひとつ解せないことがあった。こちらが乗ろうとしたバスから、意外にも一人、降りる客があって、粋筋かとも見える女性なので。

運転士氏と話す間にフロントガラスの向こうに彼女がいる。たしか先刻は持っていなかった赤いカートを引いて歩き、あちこち写真を撮ってから、高級旅館に入ってゆくではないか。

人生はいろいろあって不可解。だから面白い、のかも。


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ーー部屋の窓から。

朝食も丁寧な調理でありがたい。薄味で煮られた大根と薩摩揚げが一枚づつ重なっているのに感心する。なんでもない煮物ながら、いまどき貴重。
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木が人か、人が木か。どちらでもよし。
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むこうの山の懐に温泉街がひっそりと
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崖の縁に緑鮮やか
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ようやく人里に。しかし人影は稀で…
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町営駐車場の奥は緑の闇
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いつころ描かれた案内板か、この中で残っているのは「加登屋旅館」だけ
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投宿していたのは、地図左下「木ノ俣」の文字がある所の集落
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(ダソクながら昼メシは、宿の食堂がすでに閉まっていたので、シーフード・カップヌードルですませることとなった)
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電池が切れた、カメラ失くしたーー板室温泉だより 1

ノブさんへ こちら栃木の板室は雨降りの朝で、ちょっと寒いほど。

金曜に故幸子の寂しい納骨に立ち会い、それを口実に那須と日光でぶらぶら撮影の火曜日までなんだけど、ケータイの電池が切れちまった。何と充電器を持ってきていない。ついでがあったら、おっかさんに伝えてください、心配するといけないから。

木曜の晩に酔っ払って帰宅し、ええ加減に身じたくしたもので、忘れ物やトンチンカンばかり……。

喪服を収めて戻ろうと、せっかく衣服ケース(っていうのか?)をアマゾンで安く買ったのに、荷物に入れ忘れたり、こちらの気温を考えない半袖シャツばかり詰めてあって、まあひどいもんだ。一日中、寝間着の長袖Tシャツを着てるよ。

泣き面に蜂。シゲあんちゃんの店でうまい蕎麦や天ぷらをご馳走になったあと、どこかに記録用カメラを置き忘れて、途方にくれている始末だよ。どこに置き忘れたか見当がつかない。参った。花撮りカメラがあるので何とか用は足りてるけど。あんちゃんに捜索依頼中、なさけない。

ほんでは、おっかさんに宜しう………

**

那須と塩原の間にある板室の温泉は辺鄙で周りに店がなく、素泊まりできないのが辛い。二食ついて8600くらい。飲み屋でやると思えば、おんなじか、かえって安いけどな(笑。

とはいえ何故か、鮪中トロと鰹の刺身が目がさめるほどの上質だった。それに負けぬほどツマがすばらしく、白髪大根の上に青紫蘇の繊切りをパラリと振りかけているだけなのだが、その簡素と上品が、おれには好もしかった。そのほか煮物や焼き物も、温かいものは温かく、当たり前であることが珍しい当節だから、感心している。老人向きの薄味と量で結構結構。

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薔薇から紫陽花にーーYokohama English Garden 6月3日

梅雨入りの前でも後でも、紫陽花は雨に濡れていてほしく、薔薇は弱い日差しの下で愛でたいのですが、ままなりません。

ことに毎年楽しみにしているヤマアジサイが、すでに花期を過ぎたのか、梅雨入り前の暑気に打たれたせいか、楚々とした風情がみられず、残念なことでした。

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我が楽園『豊年屋』ーー梅雨前の午後、行き場なく

横浜鶴見の馬場花木園で散策休憩ののち、いつもの蕎麦屋に。暑さを感ずるこのごろは冷や酒しか飲めなくなった。ビールが腹に合わないので。

ヤマト運輸の下請け配達をしている蕎麦屋のオヤジさん、今日の分は終えたらしく、新聞に目を落としている。おかみさんは買い物に出たという午後三時過ぎ。

そういえば昼メシがまだだったので、いちばん手間がかからない玉子丼のアタマだけこしらえてもらった。麺類は湯を沸かさねばならず、天ぷら油を温めるには時間がかかる。こちら一人のために申し訳ない。

おかみさんが仕入れから戻ったところで酒をもう一本もらう。

テレビをぼんやり眺めながら、おふたりと冗談口を交わす。この日は南海キャンディーズの山ちゃんと女優さんの結婚話が格好のネタに。

……。

それ以上の飲み食いはできず、締めて千二百円。夏至の前、まだ日は高く、行きどころもないが、ヨタヨタとバス通りに出る。

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時季外れにてーー桜、福島の三春町 4/遅い昼酌、夕べの桜

16時台の列車は出たばかり。次のはやり過ごして18時26分発に乗ることにすれば、ゆっくりできる。なに、郡山まではふた駅。そこから福島までは普通列車で30分ほどだから、心配は要らない。どこかでラーメンを食って寝ちまえば、今日はお終い。

ーー食堂『おかもと』で冷や酒を啜りながら時刻表を見て思うのだった。むろん他に客がいるはずもなく、「きょうはご飯は終わってますけど…」と、はじめにおかみさんから言われている。

この日はお店の娘さんたち若いご一家の集まりだったようで、そのご亭主やお子さん達が賑やかに二階から降りてきた。そのうちひと組の姉妹とお婆ちゃんの写真は何年前のものか、巻紙の献立書が張られたカウンターに置かれている。新聞紙や花瓶、殺虫スプレー、また「人生は ひまつぶし 綾小路きみまろ 2017.7.8」と認めた色紙などとともに、じつに雑然たるありさまで、こういう食堂が大好きなのだ。

「家庭的な、あまりに家庭的な」食堂、というところだろうか。自分がそうではないだけに、とても心温まる気分。なんとも身勝手ではあるが…。

地の野菜の塩もみを肴に酒二杯いただいた後、蕎麦を茹でてもらい、表に出ると、すでに夕暮れが迫っている。風はないものの、日も差していないので、肌寒い。肩掛けカバンの口をだらしなく開けたまま立ち去ろうとすると、おかみさんが「ちゃんと閉めねーとダメだよー」と追ってきて、チャックを閉めてくれるのだった。こちらとさほど歳は変わらぬはずなのに、母親のよう。

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時季外れにてーー桜、福島の三春町 3/城山裏の桃源郷

にわか茶店の婆さまたちに「また来年くっから、元気でね~」と別れを告げ、頂上の広場に上り詰めると、思い描いていた桜の様子と少し違う。

おかしいな…と写真アルバムをさかのぼって確かめると、判明した。五年前にここから南、栃木県北端の芦野という山奥の村を訪ねた折、そこの城跡の広場と勘違いしていたのだった。芦野の「桜ヶ城跡」を訪れる者などあるはずもなく、小鳥たちが啼き交わす声をビデオに収めていたのが、頭の底にあった。

三春の城跡には城郭好きと見える方が目立ったが、桜を探しにきた当方と興味が異なれば、話のきっかけがあるはずもない。

驚きまためずらしく興奮したのは、裏手に回って下りかかると、桃源郷ともいうべき平地が広がっていることだった。丈がごく短い草は緑やわらかく、そこに高低、種類さまざまな桜の木が「各自思い思いに」という風情で点々と配され、枝を存分に伸ばしている。

元は桑畑ででもあったのだろうか、私有地のようなので他所者が入りこむのもためらわれ、お城側の土手の上から桜の園の全体を見渡してうっとりするばかりだった。

あとで立ち寄った写真館の若い女主人は当然地元の方で、この場所を知ってはいたが、元はどう使われていたかはご存じなかった。なお職業写真家の彼女からは、様々な季節と角度から見た滝桜の写真とその撮り方について伺え、たいへん興味深かったものの、「とてもマネはできないや」と舌を巻くばかりだった。その根気と手間をかけることにおいて。

通りに出る手前に置かれた石板が泣かせた。終生この地で過ごされたおふたりの言葉。いま書き写しながら、その単純素朴の底にひそむ深遠さに改めて心打たれ、涙が溢れるにまかせている。

「お城山の麓に/うまれ/しろやまを/かけめぐりてあそぶ/城山のみえる丘に/うずもれん/一九八三年/よしお はな」

ーー。

役場のある大通りに戻ると、バスの停留所に老婦人がひとり立っている。聞けば、郡山行きのバスが間もなく着くだろうと。

この町に入ってくるところで目に付いた食堂で遅い昼飯がてら冷や酒を少しもらおうかと思っていたところだったので、大いに迷った。食堂へ、さらにその先の三春駅まではちょっとした道のりがある。しかもこの日の宿を取った福島駅はまだまだ先なので、早く町を出なければならない…。

しかし結局のところ、空腹と休憩したい気持ちが先に立ち、「ま、なんとかなるだろう」という自己無責任により、食堂『おかもと』へ向かうのだった。

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Yokohama English Garden/薔薇は真っ盛り

この時期は見物客が多くて横浜駅からのシャトルバスには乗り切れないものと見きわめ、相鉄線に乗ってひと駅。そこから園まで400メートルほど。たどり着くまでにすでにくたびれてしまったのはなさけないが、あの炎天下では仕方なかったかもしれない。それにしても足が弱った。

がんばって2時間弱滞在して、けっこうマジメに写真をとっていた。

まっすぐ帰ればよいものを、横浜駅まで歩く途中で新発見の中華料理店(ラーメン350、サンマーメン500!)のあと、伊勢佐木町の刃物屋に回って包丁の研ぎを頼み、野毛、関内と行ったり来たりして3軒寄ってしまい、深夜の帰宅。

そのため今日はほとんど寝ころがっていたので、早々と整理がついたというワケで。とり急ぎ前半、濃い色のバラを集めた区画から白一色の区画まで。

来週の前半は雨模様らしいので、もっとやわらかな色が見られるだろう。再び挑戦してみようか…。


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時季外れにてーー桜、福島の三春町 2/城山まで

アマノジャクの自分であることは否定しないものの、人が溢れかえる高名な瀧桜に足を運んで得られるであろう、ただ「滝桜を見てきた」というだけの空虚な満足感、達成感よりも、町役場裏手の高台に位置する歴史民俗資料館周辺で見られるみごとな桜の下で思うさま写真を撮る行為を選びたい。

横浜磯子にある居酒屋『三春』のおかみさんは、たしかこの町にあった旅館のご出身と思ったが、「あそこは町中が桜なの」と言うように、人家のまわりやお寺も小学校も川原も山の斜面にも様々な種類の桜が眺められる。

城山に上がる途中のお宅ではこの時期になると、庭先で地元の農産物などを並べながら、おいしい茶を淹れてくれる。今回は芋柄(里芋の葉柄を干したもの)と干し柿を手に入れてきた。干し柿はずっと昔に生まれ故郷で食べたのと同じ、硬くて強烈な甘みがあり、帰宅してから薄く切って少しずつ有り難く頂いた。

前回は町の入り口となる川のほとりに生えていた枝垂れ桜から法蔵寺、また『三春』のおかみが通っていたという小学校の入り口で見た桜までを掲載したが、そのあとの写真は、諸々の用が重なって余裕なく、整理できずに延び延びとなっていた。この程なんとかまとまりがつきかけてきたので、間延びしたものの、三春桜の中盤を……。


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時季外れにてーー桜、福島の三春町 1

明日こそは亡父七七忌の帰りに居酒屋『三春』を訪ねて報告せねばと、先日訪ねた福島三春の町でみた桜を、意を決してーーと言えば大げさだがーーまとめ始めたものの、未だ半ばまでもたどり着かない。

身体に力なく、気持にゆとりなき日々が続く。次回はいつになるとも知れず……。

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福島の飯坂温泉花ももの里・速報板

会津若松の桜が見頃と昨夕(4月22日)の天気予報。しかし福島からの帰り道ではあれ、途中の郡山から会津までの往復二千円余はチト負担なので、往復フリーと入浴券付きで千円の「飯坂温泉湯ったり切符」で終日過ごすことになりました。

終点の飯坂温泉で降りた観光客は、わたし一人。あとは途中から自転車とともに乗ってきた老婦人、そして温泉場に勤めている様子の若者ひとりだけ。

駅から歩くことしばらく、北に開けたなだらかな斜面に四十種ほど、数百本の花桃が咲きそろっています。これは見事なもので、きのう訪れた時期外れの花見山公園の比ではありません。

駐車場には福島ナンバーと会津のみ。あまり有名になってくれるなと、飯坂温泉観光協会の方には申し訳ないのですが、思ってしまいます。

(例によって iPad による速報板で、詳報はいつになるか不明です)

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三春の桜、四年前

脚全体が重くてダルく、寝ているのも辛い。用足しや付き合いのための街歩きに飽き飽きした。

今、朝の五時。埼玉浦和の新しい街なのだろう、美園という土地にある駅前の東横イン。ふたつ年下の従妹が急逝し、泊りがけでお弔いにきたもの。

先月に逝った老父の後片づけも終えきれぬというのに、参った参った。

景気づけに福島三春の桜、ただし四年前のもの(笑)でも眺めよう。ここを先頃訪ねたことを横浜磯子にある『三春』という居酒屋のおかみさんに報告しようとしても、写真が整理できないので、以前のデータをパソコンから取り出したので。

この時は滝桜まで足を延ばしていた。もう行けない。人が多すぎて。町役場の裏山やお城山の周りの方がずっと趣きあって気が休まる。

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昨夕からさっきまでーー放浪メシ、外と内

年金事務所でのあまりに低次元で能率の悪い事務の進め方に腹を立てたものの、なんとか我慢を通し、鰻の『竹葉亭』から流れ流れて憂さを晴らしての帰り道。

横浜・東神奈川の中華料理店、その名も『李白』では北関東弁(わたしの “生まれ言葉” とほぼ同じ)が通じるので、これからも足を運ぶことだろう。

……。

このごろは夜の風景ばかり撮っているような気がする。

服喪中の現状逃避福島行!の桜や花桃の写真は多すぎて、整理がつかぬまま。



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この鰻の老舗で蒲焼をもらったことはなく、肝を浅く煮たものを初めていただく。ごく割安に楽しめる。いつになったらうな重が食えるのだろう…。


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東神奈川で日替わり百円の肴がある寿司屋『和可奈』を覗いてみると、連休前のせいで珍しく混みあっている。仕方なくさらに裏に進み、先日見つけたごく普通のラーメン屋さんにいってみると、悲しさや、閉店の張り紙が。


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で、初見の中華屋さんは遅い時間ながらも近所の方々が酒盛りの様子が窺われ、「いい?」と聞けば「どうぞ」と。シュウマイは肉を包丁で荒微塵に切ってこの日に作ったところで、アタマにはとろろ昆布。紹興酒10年ものグラス半分とタピオカミルクは、おまけ。


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夜中に帰宅してから翌日にかけて、食事はラーメンばかり…。洗い物が少なくてすむので。

深夜の醤油ラーメンには何かの残りで新玉ねぎを刻んだものを。明けて、宿酔のままつくる正午過ぎの豚骨ラーメンに目玉焼きで栄養をと思ったら、黄身二つの卵に当たる。煮豚が欲しいが、高くて買えぬ。

おやつは、硬くなりかけていた小豆餡に牛乳とバターを加えて軽く温めながら練ったものを焼きパンにのせたら、これがウマイ。小倉トーストだがヤ 笑。


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鎌倉・鶴岡八幡宮神苑の牡丹、4月19日。その2(付 牡丹園まで)

気まぐれと成りゆきでの宿泊のあと、夕方にある友人達との飲み会まで時間つぶしをどこでしようかと考えあぐね、江ノ電の駅で見かけたポスターから「そうだ、(京都!じゃなくて)鎌倉ボタン園、いこう」と思い立ったまでのこと。

その前に途中の江ノ島に立ち寄ったものの、階段を上る神社やその先にある庭園、また相模湾に面して並ぶ趣きある食堂まで足を進める気にならないのがナサケナイ。

結局、このあいだ見つけた洒落たヨットハーバーやその近所の食堂で海の空気と開放感を味わうことになる。

半月以上前の『文佐食堂』は大陸の隣国人により惨憺たる様相を呈していた。店内で人さまのすぐ脇に望遠レンズを向ける振る舞いに、穏和なわたくし(笑)が怒鳴りつけ、その連中の食い残しの酷さには店主のオバちゃんが眉をしかめ、さらにその後やって来た同国の家族が席につき、しばらくして黙って出てゆくのには、店の皆さんそろってアングリと口を開けるのだった。まさに「塩まけ、塩!」状態。

うって変わってこの日は、地元の漁師やおばさんが集って実に和やかな雰囲気で、いつまでも居られる状況ではあったが、そうそう飲み食いできる体調でもなく、シラスおろしとビールだけで朝昼兼用の食事とせざるを得なかった。

それはそれとして、記録用のカメラで撮った牡丹の花を補正するーーわたしの場合は「そのとき目に映ったように直す」ーーのに苦心惨憺。

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あのときのアサリ、今年のアサリ

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いまを去る4年前のことーー。4月14日。

昼メシ。おととい購入のアサリの一部をつかって酒蒸しに。

三つ葉はなんと5束100円だったのもの。たっぷり入れて。

桜ご飯は失敗して塩がキツすぎたので、軽く雑炊風に。

芋がらを干したのは、戻して軽く下茹でしたものを、味噌を加えてから弱火で少し煮たもの。子供の頃田舎で食わされたこの味噌汁はイヤでしょうがなかったけれど、この歳になると実に美味いもので…。

このほかに大根の糠漬け。娘から送ってもらった包丁が良く切れて、至極快適。

……。

そして今年の4月14日ーー。

友へ

独り住まいとなった老母を訪ねるとき、昔ながらの蕗味噌や若竹煮、また薩摩揚げと野菜の煮物や煮豆、漬物等々をこしらえては持ってゆき、前回持参した容器の空いたのを持ち帰る生活となりました。

介護に重きを置いた住まいでは、調理器具もロクになく、ここ数年は父のためのお粥程度のものしか作らず、自分の食べたいものも食べられなかった母が不憫でなりません。

料理は上のようにこれまでどおり。自棄の外飲み、落着きのウチ飲みも変わりませんが、それをまとめること不能。草木を見ても花が咲いても興がわかず、写真も極少なくて……。

亡父にかかる諸々の事務手続きで手いっぱいのこともあり、当分は低迷が続くでしょう。

ーーご無沙汰のお詫びと近況ご報告まで。





夜道、夜桜

言うに言われぬ事情あって心ふさがれ、憔悴しての帰り道、横浜線小机駅前交番のお巡りさんにコンニチハと声掛けられたのはかたじけなく、涙あふれる思い。通ぜぬ思いに打ちひしがれていたので。

町はずれの居酒屋『うさみ』のウーロンハイとヤキトリーー豚のカシラ(タレ)と鶏のボンチリ(塩)ーーで何とか安らぐ。いつもここで会ってバカ話を交わす新聞配達のご常連は、駅から歩いてくる途中、バイクに乗っているのとすれ違っていた。

ようよう気が晴れたあと家路につくと、夜の桜に出逢う。そういえば八重桜の時期であった。

夢中になって夜空を背景にした桜をとらえようとして、気がつけば小半刻。ようやく我にかえる思いだった。

……満月の少し前のこと。

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ーーと、この道に入る前は……
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で、家に戻ればハラが減っていて、竹輪とモヤシで味噌ラーメン。
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「長屋の花見」ならぬ「寝床の花見」で親の死を思う

たくあんを玉子焼きに見立てたのを「大家さん、玉子焼きとってください……尻尾じゃないとこ」というのが長屋の花見なら、くたびれ果てて寝込み、近所の公園に出かけることもできず、去年撮った写真を iPad で眺めて「寝床の花見」をしています。今年は窓の下に見える染井吉野もまだだいぶ散り残っているので、線路向こうの枝垂れ桜たちもまだ去年のこの頃、まだ四月に入ったばかりと同じくらいだろうかと想像しながら。

さかのぼって調べてみたら、この後は義母の危篤、また葬儀であちこち出歩くうちに機会を失い、まだどこにも掲載していないので、忘れぬうちに載せておきます。

ーーそうか、ちょうど一年前も同じように、親の死に直面していたのか、ずいぶん前のことのように思っていたけれど…。

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