伊豆の下田の爪木崎へ 3ーー茶店にて婆さまたちと横浜川崎の話を

御製の歌碑に涙を落としたあと、水仙や砂浜、また灯台がある岬の端に向かう途中で茶店の老婆に呼びかけられたが、まだ休憩には早い。「帰りに寄るからね〜」と空返事をして通り過ぎる。

あちこち見巡り、だいぶ時間が経ってから人も絶える頃に浜からあがり、行きがけに言った通り、その店に腰を落ち着けることになる。

昼どき過ぎても腹は空いていないので、おでんもうどんも欲しくない。店先の冷蔵ケースから勝手に缶ビールを取り出して席についた。グラスは要らないよ、と言いながら。お茶だけもらうわけにもゆくまい。伊豆特産の地海苔を皿に出してくれた。採った海苔を漉かずに、ただバラして干しただけのもの、だろうか。

婆さま一人が相手だから、気楽でいい。昔は横浜の市電の終点、山元町に住っていたという。その辺りはこちらもよく知っている。学生のころには職を探し、また仕事をサボっては、さまよい歩いていたものだった。丘の上には競馬場の跡があって、辛夷(こぶし)の大樹が三月になれば白い花を無数につける。

そのうち地元のお馴染みさんが入って来る。はじめは爺さまだと思って話していたら、婆さまだったのが可笑しい。

素人ながら川崎のお大師様の近くでご亭主と食堂を開いたところたいそう繁盛して、空気の綺麗な下田に部屋を借り、無理しても毎週通っていたという。高度成長時代で、川崎鶴見の大気汚染がひどい頃だった。こちらは小中学生の時代で鶴見に暮していたと言えば、話は弾む。

ご自身のことを振り返って、周囲が良くしてくれたと、耄碌した様子は全然なく、心から感謝していると見える幸せなお年寄りだった。

帰りのバスの時間がきたので二人とお別れするとき、ありがたいことにお店の婆さまが茶菓子をたくさん包んでくれた。海水浴の時期にでも何か持ってまた様子を見にゆかねばならないだろう。

まだ明るいのでバスは途中で降り、たしか昨年の梅の頃に訪ねた街中を少し歩いてみるつもりだった。

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