昼下がり、豊年屋――春は近く
大寒もすでに末候。春が迫っている。ふと気づけば、日射しは強まり、吹く風は冷たいものの、南からの風は、どこかやわらかく、優しい。
きょう1月30日、横浜の日の出は6時43分、日の入りは17時7分。冬至のころの日の入りは16時半頃だったのに。
旧友からの知らせで、馬場花木園の蝋梅(ロウバイ)の花が開きつつあるという。所用を済ませたあと、ふと気が向いて足を伸ばし、久方ぶりに訪ねてみた。
なるほど――。
去年はこの花を見たかどうか忘れた。来年、見られるかどうか分かりはしない。
園をめぐれば、山茶花が赤く咲いているのみ。山茱萸(サンシュユ)も満作(マンサク)もつぼみはまだ固そうだ。
昼時は過ぎているが、腹も減っていない。朝は小さなミカンを二つ食べたきり。
「酒でも飲んでいくか……」。飲みたくはないのだが、すっと口に流れ込む酒を弾みにして、何か腹に入れなくては。病人の食事みたいなもの。
西寺尾建功寺の前、いつもの豊年屋。
威勢よく「いらっしゃい」と言って、オヤジさんがテレビの前の席を空けてくれる。彼がその席に座っていたのもおかしな話ではあるが、とにかく客が来ないのだから、無理もない。
石油ストーブの温度設定を14度に上げてくれた。以前来たときは、電燈がしばらく消えたままのこともあった。きょうはオヤジが新聞を読んでいたので、明るい。
この「ゆっくり感」が、好い。
店が開かれたのは昭和49年だという。彼と奥方は、その年ごろからして、二代目と見える。
近所に住む中学時代の友によれば、「お化け屋敷」と呼ばれているという蕎麦屋。物の価値をわきまえない連中だ。もっとも、かく言う己が変人なのか。
暖かくなりつつあるといっても、頼むのは、まだ燗酒。
このグラス、重みと大きさのバランスがとれ、じつに飲みやすい形。小さすぎれば、たびたび注ぐのが面倒だし、ガラスが薄いと酒が冷めやすい。
突き出しの白菜の漬物が、いつものように、うまい。この味の変わらなさからすると、漬物屋から仕入れているのだろうか。
何を食べよう……。
玉子丼、ご飯半分――ご飯はそれでも食べられそうもない。かといって、アタマだけでは味が濃すぎる。五目そば、具だけ頼んだら、嫌な顔をされないかな。天ぷらなんて、高いし。たぬきそばは500円と安いが、油ものは、やはりダメだ。たぶん、天かすが溜まっていることもないだろうから、それだけをこしらえるために、わざわざ油の鍋を沸かさなくてはならない。わずかな天かすを作るために、手間と時間を掛けさせてしまっては申し訳ない。では、けんちんうどんの「うどんヌキ」にするか……。
単純に「もり」か「かけ」で飲むという手はもちろんあるが、本格的に飲みたくはないのだ。なにか食べて、栄養をとらなくては。
それにしても、蕎麦屋の献立表というもの、読んでいると面白い。材料を選び、調理法を按配してつくりあげられる品々。その過程を想像する。
「天南蛮」など食べたことはないが、エビの天ぷらを揚げ、薄切りまたは細切りの葱をかけ汁でサッと煮る。それらを、茹であがった蕎麦の上に載せ、かけるのだろうか。
かきたまうどん、あんかけうどん。かきたまうどんに、トロミはついているのだろうか。中華の玉子スープはたいていトロッとしているが。とすれば、あんかけうどんは、玉子なしのかきたまうどんで、かわりに何か具が載っているのだろうか。
「五目」と「おかめ」はどこがどう違うのか。
まだある。この献立表では、「花巻そば」といい、「あんかけうどん」と呼ぶが、「花巻うどん」「あんかけそば」が在りえないはずはなかろう。でも、花巻(焼海苔のせ)は蕎麦が合い、あんかけが似合うのは饂飩だからそう記しているのだろう。
いっぽう、「おかめとじ」といい「天南ばん」といって、蕎麦か饂飩を示していない。
――今風にいえば、「突っ込みどころ満載」の献立表。だから、読んでいてオモシロイ。
したがって、蕎麦屋の献立は、選ぶのに迷う。食欲のないときは、なおさら。
――決まらない。まだ、いいや。テレビを見上げると、フジテレビ「ごきげんよう」が流れている。なぜかNHKの若い男性アナが映っている。フリーになったのか。おまえ、いくつだ、早すぎるだろう! ま、勝手だけど。
「肉南蛮そば、ください」――とつぜん、口に出していた。何の考えもなかった。葱が食べたかったのかもしれない。酒のみの心理は、我ながら解せない。
奥さん、蕎麦がチトやわらかいのは、わたしの好みなのでよかったけど、汁の方は、ちょっと煮すぎたんじゃないかな。でも、熱いのは何よりのごちそう。
すこし豚バラ肉の脂が溶け出た、締まった味の掛け汁と燗酒の組み合わせは、日本の酒飲みだけが味わえるものだ。
勢いに乗って二本目を頼んでしまった。「多かったな…」とは感じつつも。







"昼下がり、豊年屋――春は近く" へのコメントを書く