つむじ風――老いの就職活動、敢えなく撤退<Dさんへ>
迷うというのは辛いもの……。久しぶりにそんな気分のもとに沈み、悩んでいた。心定まらず、落ち着かず、そのこと自体がまた苦悩を深くした。
元はといえば、ささいなこと。アルバイトの職に就くかどうかの問題であった。
退職してこのかた、失業手当を受けている。支給打ち切りまであと二か月。受け取るためには、職業安定所に提出する失業認定申告書に就職活動の実績を記入しなければならない。安定所の相談窓口に顔を出すのも「実績」に数えられるが、それも度重なり、「本当は働きたくないのに働く意志を見せかけなければならない」という捻じれた状況が、重く、耐えがたい負担となっていた。
そこで次回の申告にあたっては、心苦しい窓口には行かず、募集企業に履歴書を送付することのみを実績として、失業申告を間に合わせようとしていた。就職する気は、ハナからないのである。イケナイ失業者……。
そもそも、正式の定年を前にして、精神的にも肉体的にも働けない状態となり、ようやく定年の扱いを受けられる条件に達してスレスレで辞めた身に対して、これ以上、別の会社で別の仕事をせよというのは、どだい無理な話。いっぽうで、失業手当は受け取りたいと思うのは、人情だろう。
とはいえ、めったやたらに履歴書を送りつけるわけにはいかない。応募実績の申し訳が立つような、いかにも自分が就きやすそうな職場でなくては。
新聞の求人広告から「履歴書送付」の文字を探す仕事が始まった。二週目にしてようやく適当な職が見つかった。
警備員の仕事。学校の出入り管理、保安業務というもので、週に二回の勤務という。日給は八千円程度。
かなり魅力的な仕事に思えた。かつて勤めていた職場と同じ業態。この一年間ダラけた身と心にとって、フルタイムは到底無理だが、週に二日ならば負担は少なく、適度な刺激になるだろう。気分は俄然、就職に向かい、高揚していった。
学校の守衛という仕事。見知っている限りでは、そうそう常に緊張を強いられるものではない。かつての事務職は、四六時中パソコンの画面に集中し、職務の質と正確さ、そして速さを追い続ける。同時に部下と上司の目を量って時に争い、なだめ、調整していくことが要求された。それと比べれば、たしかに平日は朝七時半から夕方六時までの長時間勤務だが、それだけ仕事は“待機”が長いはず。さしたる事件も起こらぬに違いない。単独勤務で、人間関係もさほど複雑ではなかろう。さらに、休日はそれよりだいぶ時間が短い。週にそれを一日ずつの勤務という。
坦々とした仕事。仕事が終えたのちの解放感。馴染みの飲み屋を見つけて、帰り道にちょっと一杯……。いいではないか。老後の軽い仕事。あたらしい、堅実な生活が始まる。何か、これまで予想もしなかったものが見えてくるかもしれない。良き友を見つけられるかもしれない。新しい人生が待っているとも見えた。
また、軽勤務だけに収入はさほどではないが、おのれ一人のつましい生活の大部分は賄える額である。つねづねパソコンで試算していた将来の資金計画表に、あらたに給与収入の項目を設け、試算し直した結果、これまではギリギリであった計画にかなりの余裕ができることも分かった。
――。
しかし、進取的かつ能動的な夢はほんの一日ほどで淡く潰えた。就職面接の当日、迷いが生じたので。
朝起きると気が重い。「これは何だ。昨日と違うこの気分は何だ――。働くのが、嫌になっている」。
煩悶と自己観察が交互に出たり引っ込んだり、午前中いっぱい続いた。同時に資金の試算も再度綿密に確認した。心の安定と資金の基盤。恥ずかしいかな、臆病な己にとって、これは人生の両輪である。
その結果、日々の安逸を求める心が、このたび生じた新たな冒険の魅力に優っていることを覚らざるを得なかった。有り体に言って、収入を得ることと引き換えに生ずる心の葛藤、負担は、とうてい、その金額に見合うものではないと判断されたのである。
またそれ以上に、職務への忠誠、その遂行上の危惧等々、働くことによって生ずるすべての心の負担は、己にとってすでに耐えられぬものとなっていたことを、あらためて認識させられた。先の退職時に、それらに対抗する力は消耗し尽くしていた。一年経た後も、力が戻っていることはない。ひとかけらもない。
あらためて思えば、しょせんこの度の事態は、職安に申告する書類から生じた瑣末な問題から発したものだった。そこで、おのれの本来の志向とは異なるものを、本気ととらえてしまった錯覚により懊悩し苦悶していたのであった。
平穏な日常のうちに、些細なきっかけで起こってしまった、いわば心の“つむじ風”のようなものだが、幸い、その通過したあとには何ら破壊されたものはなく、返送されてきた履歴書が机の上に放り出されてあるばかり……。Bruce Springsteen の歌、“County Fair”の中で鳴く虫の音の、か細く侘しいこと。
元はといえば、ささいなこと。アルバイトの職に就くかどうかの問題であった。
退職してこのかた、失業手当を受けている。支給打ち切りまであと二か月。受け取るためには、職業安定所に提出する失業認定申告書に就職活動の実績を記入しなければならない。安定所の相談窓口に顔を出すのも「実績」に数えられるが、それも度重なり、「本当は働きたくないのに働く意志を見せかけなければならない」という捻じれた状況が、重く、耐えがたい負担となっていた。
そこで次回の申告にあたっては、心苦しい窓口には行かず、募集企業に履歴書を送付することのみを実績として、失業申告を間に合わせようとしていた。就職する気は、ハナからないのである。イケナイ失業者……。
そもそも、正式の定年を前にして、精神的にも肉体的にも働けない状態となり、ようやく定年の扱いを受けられる条件に達してスレスレで辞めた身に対して、これ以上、別の会社で別の仕事をせよというのは、どだい無理な話。いっぽうで、失業手当は受け取りたいと思うのは、人情だろう。
とはいえ、めったやたらに履歴書を送りつけるわけにはいかない。応募実績の申し訳が立つような、いかにも自分が就きやすそうな職場でなくては。
新聞の求人広告から「履歴書送付」の文字を探す仕事が始まった。二週目にしてようやく適当な職が見つかった。
警備員の仕事。学校の出入り管理、保安業務というもので、週に二回の勤務という。日給は八千円程度。
かなり魅力的な仕事に思えた。かつて勤めていた職場と同じ業態。この一年間ダラけた身と心にとって、フルタイムは到底無理だが、週に二日ならば負担は少なく、適度な刺激になるだろう。気分は俄然、就職に向かい、高揚していった。
学校の守衛という仕事。見知っている限りでは、そうそう常に緊張を強いられるものではない。かつての事務職は、四六時中パソコンの画面に集中し、職務の質と正確さ、そして速さを追い続ける。同時に部下と上司の目を量って時に争い、なだめ、調整していくことが要求された。それと比べれば、たしかに平日は朝七時半から夕方六時までの長時間勤務だが、それだけ仕事は“待機”が長いはず。さしたる事件も起こらぬに違いない。単独勤務で、人間関係もさほど複雑ではなかろう。さらに、休日はそれよりだいぶ時間が短い。週にそれを一日ずつの勤務という。
坦々とした仕事。仕事が終えたのちの解放感。馴染みの飲み屋を見つけて、帰り道にちょっと一杯……。いいではないか。老後の軽い仕事。あたらしい、堅実な生活が始まる。何か、これまで予想もしなかったものが見えてくるかもしれない。良き友を見つけられるかもしれない。新しい人生が待っているとも見えた。
また、軽勤務だけに収入はさほどではないが、おのれ一人のつましい生活の大部分は賄える額である。つねづねパソコンで試算していた将来の資金計画表に、あらたに給与収入の項目を設け、試算し直した結果、これまではギリギリであった計画にかなりの余裕ができることも分かった。
――。
しかし、進取的かつ能動的な夢はほんの一日ほどで淡く潰えた。就職面接の当日、迷いが生じたので。
朝起きると気が重い。「これは何だ。昨日と違うこの気分は何だ――。働くのが、嫌になっている」。
煩悶と自己観察が交互に出たり引っ込んだり、午前中いっぱい続いた。同時に資金の試算も再度綿密に確認した。心の安定と資金の基盤。恥ずかしいかな、臆病な己にとって、これは人生の両輪である。
その結果、日々の安逸を求める心が、このたび生じた新たな冒険の魅力に優っていることを覚らざるを得なかった。有り体に言って、収入を得ることと引き換えに生ずる心の葛藤、負担は、とうてい、その金額に見合うものではないと判断されたのである。
またそれ以上に、職務への忠誠、その遂行上の危惧等々、働くことによって生ずるすべての心の負担は、己にとってすでに耐えられぬものとなっていたことを、あらためて認識させられた。先の退職時に、それらに対抗する力は消耗し尽くしていた。一年経た後も、力が戻っていることはない。ひとかけらもない。
あらためて思えば、しょせんこの度の事態は、職安に申告する書類から生じた瑣末な問題から発したものだった。そこで、おのれの本来の志向とは異なるものを、本気ととらえてしまった錯覚により懊悩し苦悶していたのであった。
平穏な日常のうちに、些細なきっかけで起こってしまった、いわば心の“つむじ風”のようなものだが、幸い、その通過したあとには何ら破壊されたものはなく、返送されてきた履歴書が机の上に放り出されてあるばかり……。Bruce Springsteen の歌、“County Fair”の中で鳴く虫の音の、か細く侘しいこと。
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