相性悪くて弁財天――年末年始京都行 五

「己の常を失っていた」のだろうか、常とは違う場であるお寺の中で。……小銭入れを失くした。

このお寺、六波羅蜜寺。ご本尊の観音様のほかに弁財天が祀られている。そもそも前日から相性が悪い。縁が薄かった。

七福神巡りの終盤、こちらのほか近所の神社で巡り終えるというところ、なかなかたどり着けない。夕闇が押してくるなか、その寺からの帰り道、たぶんそのお寺でいただいたのであろう稲穂を手にした人々が歩いてくる道をさかのぼってお寺を探したが、人通りが途絶えて迷ってしまった。小雨ともつかず、小ぬか雨ほど軽くもない雨が降ったり止んだりしていた。
 
やがて、あらためて地図を調べなおし、ようやく目印の中華料理屋がある曲がり角に行き当たった。

寺は参詣人でごった返していた。本堂への入り口に7、8人の行列ができていて、何やら縦に回す、直径20センチほどの石づくりの輪を回していた。何らかのご利益があるのだろう。

「面倒だな、こんな訳の分からぬ輪ッカのために並ばなくてはいけないのか」――順番を待つのが嫌いなこの身である。長くかかりそうなので一礼して通り過ぎ、本堂に進んだ。

ご本尊が見えないまま般若心経を唱え、ご朱印を頂こうと靴を脱いで堂内の窓口に向かったが、大変な人ごみで、列もなく、数十人の人々がもみあっていた。何を待っているかも知れないのは最前の「輪ッカ」と同様。さりとて、ご朱印をもらうのはここの他には無かろう。しばらく様子を見た。しかし、人の群れは、いっかな動かない。辛抱ならず、撤退することに決めた。

「こういうのは神仏がお許しくださらないだろうな」。縁起が悪いというものだろう。が、しかたがない。「弁財天様、金運には、今年もあいかわらず縁が無いということだろう」と覚り、諦めて寺を出た。


この日、思ったのだが、同じ七福神なのに、なぜこうもお寺や神社によって人出が違うのか。神様によって人気不人気があるのか……。訪ねる時間帯にもよったのだろうか。午前中の東寺(毘沙門天)、萬福寺(布袋尊)ではスイスイとお参りできたのだが、比叡山方面の松ヶ崎大黒天(妙円寺)や赤山禅院(福禄寿)は、参拝者が目立った。そんななか、夕刻迫る頃に訪れた六波羅蜜寺の人出は、七福神すべてを廻る者には異様としか思えなかった。しかし次のゑびす神社はすぐに見つかり、参拝客はほとんどおらず、何の障りもなくお参りできた。

さて翌朝一番、10時頃に再度、六波羅蜜寺を訪ねた。はたして閑散としている。この日初めての心経を唱えて、誰も寄り付いていないご朱印所に行ってお願いしたら何と、弁財天のそれは、別棟の受付でといわれ、力が抜けた。「このお堂には、いらっしゃらなかったのか……きのうは長々と時間をかけて嫌な思いまでして、何していたのだろう」。

はたして本堂の先に一棟があり、中には小さな弁財天様の像が安置されている。水に濡れたお像。銭洗弁財天。

ここで、大変なことが起きてしまった。よりによって、財福もつかさどる神様のおわすお堂で小銭入れを失くしたのである。これは凶兆か。あるいは逆転して吉兆だろうか。

思い返してみる。朱印帳を受付に預けるとき、小銭入れから300円を取り出した。続いて、「小笊(ザル)にお金を入れて水をかけ、一部をお納めし、残りを包んで自分が持っている」段階に入り、100円硬貨二つを取り出して洗った。持ち帰る銭を入れるお守りの袋およびストラップと引き換えに、手数料500円というので担当のお兄さんに1000円札を渡した。釣りをもらった。このお釣りはどこに入れたか分からない。硬貨を入れたお守り袋と、いっしょにもらったストラップ、そのほか、折り畳み傘も提げていただろう。銭のやり取りが小子にとっては複雑すぎた。

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――初めてのことで勝手が分からず、恐慌状態に陥っていた。このあとしばらくして、小銭入れがないことに気が付いたのである。「金銭交換」のお兄さんに尋ねてみたが、落とし物は届いていなかった。

近年、身の回りのものが見当たらなくなることが多い。ほとんどの場合、後になってどこかから出てくる。たとえば今回、1日500円で京都市営バス乗り放題のパスカードを毎日購入していたが、最終日のカードは途中でどうしても見当たらず、再購入した。帰宅してポケットやカバンの底からありったけのレシートや記録、パンフレット類を取り出したが、気が付けば、1月2日用のバスカードが2枚あった。失くしたと思っていたものは、どこから出てきたものだろう。あのとき、あれほどポケットを探したのに……。

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小銭入れはそれ以来出てこない。銭は大して入っていなかったので少しは安心できた。むしろ、使いやすくて良いのだが、なかなか100円ショップ「ダイソー」で売っていない財布を失くしたのがショックだった。

弁天さまの眼の前で金を失くした。前日の神仏への不誠実の報いだろう。それにしてもカネに縁の薄いことよ。ことしも借金生活が続くのか……。

それにしても、弁天堂でのお守り入れおよびストラップに対して有無を言わさず500円を徴収することこれは、サギまがいではないか? 「購買」という手続きを「銭の交換」というやり取りをからめて複雑にして、客の気づかぬうちに「自然」に金を払わせるという点において。銭入れを失くしたとて恨むわけではないが。

とはいえ、あの銭入れを拾ってネコババした者よ、「さっそく銭洗弁天の験があった」と喜んだかもしれないが、その後の運命は知らないぞよ!

なお付け加えれば、帰宅した翌日「ダイソー」に出向いたら、同型の小銭入れが幸運にも見つかったので、2つ購入したことである。年初めの財布購入は吉という(かな?)。これで今年の金運、良かれぞかし。




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