盛りだくさん安旅 1――飛騨から金沢へ

欲張りなツアーがあって、早朝の上越新幹線で上田まで行き、バスに乗り換えて飛騨の高山、白川郷を経て金沢に着くまでが第一日。二日目は終日フリー。最終日は金沢からバスで上高地。そして上田からまた新幹線で夜更けに帰京という強行軍。それで2万1000円というお得は、貧乏人の夏休みにもってこい。

ホテルは歯ブラシだけをチェックインのときに渡される三流宿だったが、シャワーを浴びて静かに眠られるならそれで足りる。ひげ剃りは二日目にコンビニで買った。100円の使い捨て髭剃り(ま、数回使うけど)が気軽に使えていい。

あまりにあちらこちらに立ち寄るので、朝方に寝床でウトウトとしているとき、「オレは今どこで何をしているのだろう」と、前日の行動をしばらくかかって思い出さねばならなかった。

高山。街の古さがそのままにさりげなく残されているのが貴重な土地だが、その中心街の狭い通りに観光客がごった返していたのには往生した。しかたがないか、自分もその一人なのだから。通りから逃げるように抜けだして、川沿いの道と家々のよく手入れされた植木、歳月を経た商家の看板などを眺めながらゆっくり歩いた。陽射しが強い。ちょうど昼飯時。宮川のほとり、欅の木陰で、東京駅で買った駅弁「深川めし」の紐を解いた。

購入した物。『真宗大谷派勤行集』和綴じ129頁300円。春慶塗の箸は、長さと軽さが手にやさしく馴染む。また、骨董屋店頭の大かごにどっさり入れて売られていた古民具の糸巻き600円。10センチほど隔てて置いた六角形の板2枚それぞれの角を、両端が細くなった棒6本がつないで、筒状になっている。径は10センチ、長さは17センチほど。侘びた色合いと無駄のない形にほれ込んだ。ミニ観葉植物の置き台にするという名目できめた。

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バス旅行でいつも思うのは、こんなところにまでと思うほど整備された道路がいきわたっていることで、風景の中をスピードを上げて走りぬけることのぜいたくさを常々感じている。その道がなければないなりに不便さをかこちさえすればいいではないか。しかし道路を作る行為は人々の仕事を生み、その暮らしを支えているという現実。

また中部山岳地帯に目立つのは、山の背に沿ってある高圧電線の鉄塔。周りに何もない山の中にどうやって資材を運び、それを建てたのだろうと、素人頭を無駄に使ってしまう。

さて、バスは走る。次にたどり着いた白川郷のたたずまいは、東北の山奥育ちの小子にとっては何ら珍しいこともない。なぜこんなものが世界遺産なのか。いぶかしい思いをしたことだった。五十年前に住んでいた我が家と変わらぬ萱葺きの家がポツリポツリと建っているばかりの村。

山中の村に人が暮らしてゆくことの厳しさは、この時代にはすでになくなった。あらゆる場所が道路でつながれ、自動車がやすやすと生活を運ぶ。昔は駅との間を日に何往復かするバスに頼るしかなかった。そんな不自由が懐かしくもある。静かな村だった。その村だけで完結した社会だった。

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金沢の繁華街、香林坊は、高校の修学旅行で通ったはずだが、何の記憶も残っていない。日本のほかのいずこの街とかわらない。ただ、日本海の幸を食べられそうな料理屋が目立つようだった。そんななか、にわか仕込みの知識で通りの末のほうにある〔赤玉本店〕という居酒屋を訪ねてみた。店の様子を窺いながら、あちらこちらの小路に入っては出、行っては戻りを繰り返した末のことではあったが。出版社の営業畑で長く全国の書店めぐりをしている友人から〔寺喜屋〕を勧められていた。が、この日は定休日だったので。

瓶ビールに続いて鯵の刺身800円を注文する。大したものだった。尾かしら造りにされた頭や尻尾はもちろん、身の一片一片がみずみずしくきらめいてまぶしいほど。口にすると、冷たさと清新さのあとに魚本来の生き生きとした味が追ってきた。それ以上のものは望めない貴重な味だった。時間をかけて、薬味を変えながら大切に味わい、惜しみながら最後の一片を食べ終わった。酒は芋焼酎のロックに変えていた。そのあとは、おでんを頼んだ。昆布と白滝。薄味に仕立てられて洗練された味わいで、深く酔うことをやさしく戒めてくれるような品があった。

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夜更け、裏町をほろ酔い加減でうろつき、弱いフラッシュを使った写真をいたずら撮りしながら駅行きの最終バスが来るのを待った。

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