半ば復活、復帰――パソコンとのお付き合い事情

胸のつかえがようやく解消した心地がしています。新しいパソコンが使えるようになりました。いやはや、その動きの何と滑らかで速やかなこと。

これまでは画像解像力の薄弱なノートパソコンに絶望して、分不相応の高機能モニターを買い足して組み合わせていたところ、先ごろ購入したタワー型パソコンにそのモニターをつなぐデスクト型に切り替えたのです。遠出することが少なくなった今、パソコンの使い方はそれに応じて、移動式 iPad から固定パソコンに重心を移すことになります。

伊豆の歓楽街のはずれにある古くて怪しげなマンション。パソコンの回線がつながっているはずもないので、今週初めに工事が入り、昨日、パソコンの初期設定作業をしてもらいました。いずれも隣町のスーパーマーケットに行ったときに偶然見つけたパソコン修理屋の主人に頼り、任せて、ようやく作業が終わりました。

トロいノートパソコンを操るたびごとに覚えてきた最近二、三年のもどかしさと憤り。スマートフォンを介してしか動かせず、データ使用量を気にしながら iPad を使うほかなかった、伊豆転居以来ここ数か月の不自由。そこから解放された嬉しさ、そして道筋のついた先々への期待感の中にあります。

パソコンがないと精神生活まで成り立たないというのは情けないといわれましょう。しかし、仕方ありません。

仕事の上でパソコン――というよりずっと前、ワープロの最初期から原始的な事務作業用コンピュータからネットワーク時代までずっと付き合ってきました。というより、必死についてきました。

文書を作るやり方でさえも、仕事に就いた頃には、白紙に鉛筆やボールペンで文章を書き散らし、つぎはぎしたものを原稿用紙に清書していたのが、今や文書ソフトがないと作文はできません。

ましてや現在の "職場" はフェイスブックとブログとしているので、コンピュータネットワークの存在は自明です。

とはいえ、そこで有効に使われるべき写真が、昨年の中盤以降、ほとんど整理されていません。

去年の春に父が逝ったあと、心身ともに慌だしい日々の中、写真は相変らず撮ってきました。記憶力が弱くなってきてもいるので、メモとして残すことも多くなっています。

ところがその膨大な写真を取捨選択し、磨き、整理し、文章とまとめて発表する作業をするゆとりがありませんでした。ましてやそれを担う道具としてのパソコンが満足に動いてくれないときたもので…。

この先は写真の整理作業と並行して、従来通りに折々の事物を自分なりにまとめて発出してゆこうとしています。


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