友と京都で 5ーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、同地に数日滞在することが決まった時に連絡すると、昼食時なら会えるという。まだ現役勤務の身なのだ。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の御膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。写真のほかに米茄子の田楽の熱いの、そして食後の水菓子としてよく熟れたメロンがあとから供され、ビールを頼んだことを後悔することとなった。食べ残し、飲み残しは嫌なので。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、口に良く馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行であることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

(『篩月』http://www.tenryuji.com/shigetsu/


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友と京都で 4ーー街なかフラフラと祇園の裏へ

宇治の競技場から途中退出し、まずは山鉾の見物に。

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山鉾ごとに御朱印のような、何か書き付けを頂けるようで、主に婦人が列をなしている。こちらも以前は神社仏閣でマメに御朱印をいただいていたが、それが流行りとなり、列ができるようになってからは、照れくさいので止めた。

不勉強で歴史も苦手な身としては、祇園祭の由来も理解できず、山鉾のしっとりした美しさや意外な色形をただ愛で、趣を味わうのみ。

試合を終えた学生たちとの酒席を楽しみ、応援歌を合唱したあと、同輩の爺さんたちとも駅前で別れた。今回の京都訪問の目的の大半は終えた。が、明日も一つ、別の友人と昼食の約束があった。

その間に区切りが欲しく、落ち着ける場所を求めて夜の祇園裏道を歩く。

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一軒、こちらのような懐具合でも、なんとか入れる店に出逢えた。次はいつになるか知れないが、また訪ねることになるのだろう。

ごく小体な店で、『よしみ』という。ご亭主は控えめで物腰柔らか。注文は献立にこだわることもない。ヨコワとイカの刺身を少量と、あとで漬け物をすこし出してもらった。

大阪からよく足を運ぶらしい常連さんとも話が弾む。

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この夏、故郷にて 3ーー須賀川で円谷幸吉さんを偲ぶ

東北本線の須賀川駅で途中下車して改札口を出ると、壁に懐かしい姿のポスターが張られていた。「第37回円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が10月20日に開かれるという。

須賀川が円谷選手の出身地であったことを半ば忘れ、といおうか、知っていたかどうかも定かではない。さっそく改めて検索してみると、彼を記念する展示室が市の体育館にあるという。行ってみよう。

前の東京オリンピック。マラソンのゴール前200メートルほどのところでイギリスのヒートリー選手に抜かれたまま、力尽きてゴールで倒れこんだ姿が忘れられないでいた。さらにその後、周囲の期待に押しつぶされるように自殺された際の遺書において、両親はじめ親族や上司一人一人に残した真率で実直な言葉も。

須賀川アリーナの にある「円谷幸吉メモリアルホール」は訪れる人もほとんどないのだろう。冷房装置もなく、猛烈な暑さの室内。

彼が陸上競技を始めたきっかけから練習の内容、競技に対する姿勢、腰の持病、婚約者への思い、そして自殺にいたる人生が、こと細かに語られる。ゆかりの品や写真が展示され、必死に陸上競技人生を生きていたひとりの人間の有りようが十二分に伝わってきた。

ヒートリーに追い越されたあの時、彼は抜かれた意識がなかったと聞いていた。ゴールを目前に、すでに意識が薄れていたことはあるだろう。

しかしその実態はこのたびの展示を観て、わたしの裡で明らかなものとなった。

それに先立つ数年前のある試合のあと、厳しい父親が彼に「後ろを振り返るものではない。それは自信のなさの表れだ」との戒めを与えていたとのことだった。彼はその教えのままに己の力を振り絞ることのみ思って走った。ヒートリーが背後に迫っていることなど、何ら意味のないことだったのだろう。

もともとトラック競技の選手で、5000m、10,000m
が専門。マラソンはこの時が3度目であったという。

100mや200mの短距離走者と同じく、自分の力を出し切る。いつも自己新を目指す。勝負の駆け引きなど問題にしない。ーー円谷選手のその姿勢にあらためて深く共感した。このオリンピックで彼は10,000mにも出場し、6位に入賞している。オリンピック陸上の長距離界において、これは驚異といえないか。

そもそも勝者は一人だけという勝負の世界で、それ以外の選手が求めるのは、常に記録なのだ。ことに二流三流の選手は自分を高めることだけしか眼中になく、勝ち負けなど問題にしていない。そもそも、優勝することなど、まずありはしないのだから。

さて、遺書の文言については、かねて読んでおり、または歌で聞いてはいたが、実際にそのペン書きの便箋を目の前にすると、あらためて涙がこみ上げてくる。

人の誠、真情の粋を至極単純な言葉で直截に語って、心に迫る。

彼の責任感の強さ、実直さを貶す人は少なからずいることだろう。もっと賢く生きていけよと。それはそれで結構だ。

しかしその純粋さに強く打たれ、自らの生き方と比べようとする者も、少なくとも一人、ここにいる。

なお、須賀川アリーナは歩いて行ける距離ではなかったので、電話でバス便を尋ねた。しばらくすると、あちらから掛かってきて、◯◯廻りはアリーナの前を通らないとの訂正と詫びであった。勤め人として当たり前ではあろうが、その語り口の丁寧さに頭が下がる思いがした。先頃、東北本線の列車に置き忘れたカメラを黒磯駅で保管していただいたので、お礼の菓子を送ったところ、駅長さんから丁重な電話を頂戴した時と同様に。

円谷選手に通ずる東北人の実直さをここに見るというと、言い過ぎだろうか。

(この稿、一部は先日の拙ブログと重複しますことをご容赦ください)
https://kogatak.at.webry.info/201908/article_1.html


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この夏、故郷にて 2ーー寄り道先は須賀川に

行程は考えていないものの、翌日の宿泊先は前もって予約を入れておいた。かねて聞き覚え、また見覚えのあった岳温泉に。

ボンネットバスが走っていた時代、生家の近所にあったバス一台用の木造車庫に、温泉の宣伝が、板か金属だったか、目立つものが掲げられていた。土湯、母畑、板室、川俣などとともに岳温泉という微かな記憶があった。それぞれが何処にあるのかも分からぬまま。

もうひとつの要因は、岳温泉をひかえた二本松の街に『玉嶋屋』という菓子の老舗があり、昔ながらの手間のかかる製法で周囲がガリガリの羊羹が作られていると、いつかテレビで知ったことだった。幼児の記憶にある羊羹の歯ざわりが蘇って、機会があれば店を訪ねたいと思っていた。

ところが恥ずかしいことに、二本松の位置関係が頭になく、県の北部福島市のすぐ手前であることをこのたび初めて知った。県の南端、白河生まれの者にとっては、会津への分かれ道である郡山あたりまでしか地理の感覚がない。

この日、二本松の最高気温は、たしか37度で、とりたてて報道はされなかったが、県一番の暑さだった。

ーーそうとも知らず、「あいかわらず暑いなぁ。途中、どこに寄ろうか。郡山の今風市街なんて見たくもない。乗り換えて三春に行っても、城址までの道を歩く気はしないし…」。

思いあぐねた末、「須賀川くらいしかないか。どこか小さな駅で降りて、日盛りに田んぼばかりも見ていられないよなぁ」と、福島行きの普通電車に乗りながら決める、行き当たりばったり。

むろん、須賀川の街の様子も何も分からない。「まあ、コンビニくらいあるだろう」という程度で、車内で検索してみると、こちらの出身者として特撮映画の円谷英二監督、陸上の長距離選手円谷幸吉という名が挙がっている。


〈白河の小峰城を駅のホームから見わたす。8年前の震災で崩壊した石垣はこの3月の末、完全復元された。無数の崩れた石を、写真資料を基に元どおり積み上げる、気が遠くなる作業。大したものだ〉
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〈須賀川に降り立つ〉
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〈乗ってきた列車を見送る。いつもながらのへたくそ撮り鉄〉
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〈ここはウルトラマンの町?〉
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〈暑し。この日、宿に着いて地元テレビのニュースを視る〉
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友と京都で 3ーー宇治は茶の街、蓮花のころ。そういえば、試合応援に来たのだった!

三日目はこの度の京都行きの本番。昼過ぎから後輩たちの定期対抗戦が宇治の陸上競技場で行われる。

その前に宇治の街を皆で練り歩く。

平等院への参道には多くの茶商が軒を連ねる。庇の下の看板がいずれも凝った意匠で、ついつい見惚れて撮影しては皆に遅れてしまう。

相手の同志社大学には近年、体育系の学部が創設されたということもあり、おととしから連敗中とのこと。

あまりに暑いので、少しの仲間を残して途中で引き上げ、京都の街に戻ることになった。

選手は炎天下で戦っているのにという批判の声はあろうが、連中はそのために日々鍛えているのだ。今は老いた自分たちだって、学生の頃はそのつもりで練習していた。(わたしは対抗戦に出ることは、できなかったけれど)

夕方行われる現役学生との反省会(という飲み会。なお学生はみな酒の飲める年齢…)を前に、祇園祭の山鉾に搭乗させてもらったりするうち、跳躍陣が踏ん張って、僅差で勝利との知らせが、競技場に残っていた元キャプテンから入った。

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ーー幸運にも昼メシは、選手・審判用に用意された鳥唐揚げ弁当(大)が余っているとのことで、お裾分けに与った。












友と京都で 2ーー鞍馬山を登りきれぬ元競走部員が二人ほど。なさけねぇ……

大学出て永らく関西系大手ホテルに勤めていた競走部の同輩が定年後に嘱託として勤めていたところ、某大学の観光学部に招かれ教職にあったが、これがトンデモ大学。学生は大半が東南アジア人。入国管理局の手こそ入っていないようだが、怪しいらしい。また日本人学生はとにかく程度が低く、質も悪いという。嫌気がさして、二年を経ずして職を辞した。

この程の同期会の幹事は、面倒見の良い彼だった。

京都行き二日目の午後、全員そろった同期会集合となった。卒業以来会っていなかったものが二人いた。しかし、話し振りも性質も全然変わっている様子がない。

夕方の宴会を控え、計画では鞍馬の奥の院へに山道を辿り、叡山電鉄鞍馬線で一つ手前の「貴船口」駅まで下る予定であったが、登り始めてから、とても無理な行程であることがわかった。

それどころか、当方ともう一人は奥の院にさえ行きつけぬという体たらく。

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