「味の大西」のラーメンあれこれーー湯河原行き 1

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湯河原駅近く『大西』の普通ラーメン。男達がリキを付けに通っています。ワンタン麺も有名のようです。

ほんとうは転居すべきアパートの部屋を探しに行った湯河原の最終日の正午前。どうしてもシッカリしたラーメンを食べたい気持ちが強く、胃袋にちょっとムリさせて、一杯いただきました。

思えばラーメンというものは、別々に仕上げた数種の材料を、提供する直前に初めて丼の中に合わせる料理ですが、その一つひとつが念入りに作られ、しかも調和した上に「力強さ」を現出するという、大したものでした。

煮豚やワンタンを食べきれなかった青年に、店の兄さんが優しくパックを渡してくれる。「あまりお金使っちゃダメよ。食べられる分だけね」と、ビールから焼酎に切り替え、冷やし中華を追加しようとした爺さま(わたしじゃありません)を諭す姐さん。

地元の高校出身で、出張先からの帰りに何年ぶりかで寄ったという中年サラリーマンと、まるでこの店のラーメンのように腕っぷしの強そうなご主人との「アイツは今さぁ……」といった開けっぴろげなやりとりも、じつに微笑ましくも頼もしく、生きている歓びみたいなものさえ伝わってくるのです。

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すべて豪快でやさしい。

しかし、老人の胃袋にはすこし負担がかかるのが悲しいところです。偶然入った初日は、外に漂い出る煮豚の匂いと豚骨出汁の香りに引かれてふらふらと扉を押したのですが、前座であるべき瓶ビールとマカロニサラダでお腹いっぱいになってしまいました。つきだしに一皿くれた胡瓜の和え物がたっぷりあって、もうこれで十分なほどだったこともあり。

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以下はダソクと個人の偏見です。お読み飛ばしください。

大西の近所にあるスーパーで、滞在中の酒やツマミ、カップラーメンやヤキソバ、その具にするモヤシなどを仕入れていると、なにやらとても高価な(一食入り200円くらいだったかと思って、ただ今検索したら450円だって!ドヒャー)。地元のラーメン店らしい「◯◯商店」というところの即席麺が大量に並んでいて、「なんじゃこりゃ。こんな高いの、誰が買うのかいな」と、当然のこと素通りです。売れないからワゴン売りしてるのだろうと憐れみながら。

たまたま数日後の夕刊紙にその店が載っているのを見ると、超のつく有名店で、朝早くから予約券を手に入れるのに行列ができるという…。そんな店、ゼッタイに行かんよ。即席麺の450円って、冗談じゃねえよ。ハマでは町の中華屋で立派な一杯のラーメンをを作ってくれるのさね。おれがいつもウチで「うめえうめえ」と食っているマルちゃんの醤油ラーメンなんて、三食で185円だぜ!

値段も味のうち。それをどう解釈するかは両極端あり。またいずれ考えてみよう。

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『味の大西 本店』https://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141002/14003351/


























友と京都で 1ーー初日はひとりで街なか彷徨

予定していた京都行きの一週間前、勤めはじめた頃から世話になっていた先輩が亡くなった。

春以来、父に始まり従妹そして叔母と、月ごとに身内の死が続いていた。そして先輩、ときたものだ。

お弔いの日程が気になっていたところ、はたして、京都行きの三日目が通夜との連絡が入った。

予定を中止すべきかどうか、かなり悩んだ。世の仕来りからすれば、取りやめるところだろう。

しかしよくよく思えば、先輩とは毎月の飲み会が十年以上続いており、このたび倒れられる直前にも、じつはご一緒していた。一方、京都での会合には、学校を出て以来四十年ほども会っていなかった友が幾人も参加する。死者への礼儀を尽すか、いつまた会えるかわからぬ友との交誼を重くみるべきか…。

こうして結局は予定どおり、京都に向かうのだった。

……。

指定席というのが、どうも性に合わない。飛行機や連れがいる場合など、よほどの必要がないかぎり、あらかじめ時間を定めず、その日その時の気分で列車を決め、適当な自由席に乗っている。

故郷白河に行くときは、東北新幹線「なすの」の郡山行きが空いているし、京都のときは新横浜始発の「ひかり」が気をつかわずに済む。

というわけでこの日、京都には朝八時に着いてしまった。

翌日以降の友人たちとの付き合いを控え、終日ひとりで拘束なし、予定もなしという有り難さ。フウテンの限りを尽せる。

とはいえ、足の向くままなのは結構なのだが、その「足」がすでに頼りなく、日に一万数千歩が限界というのが情けない。

で、地下鉄の四条駅で降り、まだ観光客がほとんどいない錦小路をゆっくり抜けて、天満宮に突きあたった。

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さて、どこに行こうか…。天神様の裏、居酒屋の『たつみ』は正午の開店。それまで時間をつぶさねば。

時おり降ってくる小雨に傘をさしたりすぼめたり、厄介なことこの上ない。

河原町通と新京極の間、北に延びる裏寺町通。お寺の門の下でぼんやりと行き先に考えをめぐらせる。

この時期に花を見るなら蓮だろう。そういえば、いつか「洛陽三十三所観音」を巡った時、その名も大蓮寺という寺があって、蓮を植えた大甕が庭いっぱいに置かれていた。さほど遠くはない。

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しばらくのあいだ蓮を拝見し、広くはない境内の奥にある寺務所で変ったお守りをいただいた。明治から大正にかけて「大蓮寺の走り坊さん」と親しまれ、寺に訪れるのが困難な妊婦に安産弥陀如来の宝号を、日に十五里も走って届けたという。

蒸し暑いのには閉口した。分かってはいながらも……。


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振り返ってみればこの日、朝から麦茶を駅で買ったのみで、何も腹に入れていなかった。

ロの字型のカウンターは地元の方もまばらで、前の週に行われていた祇園祭の前祭を受け、束の間の静けさを味わっている風情だった。

椅子席の端にお店の旦那さんだろうか、たぶんいつも見かける七十代後半の先輩はあいかわらずの健啖ぶりで、鱧の天ぷらやドボ漬けなどを注文して途切れない。

こちらはといえば、しみったれて小鰯の煮付け、鱧の皮、芋茎の酢の物でヒヤの日本酒二本と、およそ朝昼兼用で口にする食べ物とは言えない。まあ、旅先の勝手として許していただこう。

いつも感嘆するのは、調理場を仕切っている禿頭で痩せたトッツァンで、この日はおそらく若い女性の助手と二人で、無数ともいえる酒の肴を供している。

この地で昔からごくふつうに食されている和食全般のほか、納豆オムレツやら明太子ご飯、また揚げ餅など、呑み助にはありがたい短冊の品書きが、季節に応じて張り出される。

今回は三日目だったか、店の脇を通りかかったら偶然にもその調理人さんと擦れ違ったのだが、自然と頭が下がってしまうのだった。

『たつみ』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26002374/


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一合瓶の酒を二本もらっただけで調子づいてしまい、近ごろは観光客ばかりになっているので足が遠のいていた京極の『スタンド』にノコノコと入ってしまったのは、普通のラーメンをもらって『たつみ』での昼呑みを締めようとしたからに違いない。しかし……。

『京極スタンド』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26000665/














蓮の花は四日の命ーー横浜三溪園盛夏

梅雨が明けたかとも思えた日曜日、横浜本牧の三溪園の様子を窺いに。青空を背景に百日紅(サルスベリ)でも見られればいいかと、ぼんやり思いながらバスに乗っていた。

本牧に着くとすでに正午すぎ。朝食が遅く、レトルトカレーを温める同じ鍋で半熟卵を煮てカレーに割り入れ、食パンをとっていたので、『玉家』のサンマーメンも『江戸清』のちらし鮨にも気持ちが動かない。

園に入ると、蓮が盛りを迎えていた。蓮のことが頭になかったのは、うかつと言うしかない。

この時間となれば、朝に開いた花もまた閉じかかっているが、まあいい。目についたものだけを撮っておいた。

ものの見方は無限にあるので、飽きるまでその花と葉の様子を眺めていたら、けっこうな枚数になってしまった。

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信州奥蓼科あちらこちら ③白駒の池・苔の森ーー陰から陽、陽から陰へ。そして風邪を引き……

旅の記録を探してみると、ここは三年前の同じ頃、一泊バス旅行の最後に立ち寄っていた。もっとも、正確にいうと、この時は白駒の池には行っていない。いや、そこまでたどり着けなかった。

陽が差しこまず、湿気にみちた森がおどろおどろしいほどに生命にあふれているのに畏れを覚えながらも引きこまれ、撮影するうちに、集合時間がきてしまったので。

倒木におびただしい種類の苔が生え、朽ちて崩れるところに新しい木の芽が鮮やかな緑を見せてくれる様に圧倒され続けた。死もなく生もない。時間の前後もない。この森ではすべて同じことだった。

それをよく覚えていたので、今回は、池へ上って行く途中の森には一切目をくれぬようにして通り抜けることにしていた。まずは池を見てみよう、と。

白駒の池は鎮まりかえっていて、対岸の樹々とそれを映す池の面がまったくの対称像をなしているのには、目眩を覚えるような気がした。見あげる青空と白雲がそのまま、池の水の中にあった。

帰り道、時間を気にしながら苔の森の木道をたどりながら立ち止まっては写真を撮っているうちに雨が降り始め、バスに戻るころには本降りとなっていた。

山の天候は天気予報ではわからない。そうは分かっていながら、前夜遅くまで飲んでいたズボラな頭で、「長野県は曇りのち晴れ」という予報を鵜呑みにした。雨合羽やジャンパーはおろか傘も持たず、ふだん街を散歩するのと同じ出で立ちだった。

朝から次第に晴れ上がり、かえって暑いほどになっていたところ、最後の最後で山の恐ろしさを味わい、翌日からしばらくは、風邪で苦しむことになる。

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本格の精進料理、ご馳走になるーー柄にもなく京都嵐山天龍寺『篩月』にて

半世紀以上も経て、小学時代の同級生と再会したのがこの春、恩師をお招きした会でのこと。おたがいに一目でわかる。

色々話せば、長く京都在住という。これは好都合。

このほど、所用で同地に数日滞在することになったので連絡すると、数時間なら会えるという。

口数は必ずしも多くはない。深い事情あって、昔から苦労している男なのだ。こちらも冗舌とは言えないからちょうどよくて、気が楽だ。

商売の関係で、嵐山の天龍寺に出入りしており、昼の膳を用意してくれていた。

幾種類かある献立のうちいちばん軽いものではあっても、こちらにとってはかなりの量。

友が訥々と語るところによれば、そのうちの漬物、胡麻豆腐の材料、そして果物を納めているそうな。

朱塗りの椀と皿。適度な厚みと曲面のために、すべてが手に取りやすく、馴染む。

しぜん、本来の和食の作法でゆっくりと椀皿を手に取り、箸を上げ下ろしすることになる。

料理はいずれも手間ひまをかけたものでありながら、奇をてらわぬ穏やかなもので、深く感じ入った。

禅僧にとって食事を拵えること、それを食することも修行の一つであることを改めて思う、まことに有り難いひと時だった。

………

天龍寺『篩月』
http://www.tenryuji.com/shigetsu/

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円谷幸吉さんが食べたもののことーー福島県あちらこちら

Hさん 故郷での寂しい法事を済ませ、翌日は例によって県内の温泉に行ってきました。県南に位置する我が白河から、県北福島の手前、安達太良山の入り口に岳温泉というところがあるのです。

まだ時間が早かったので、どこかに寄り道しようと、東北本線を北上しながら路線図を見ると、郡山以外には須賀川くらいしか、何かありそうな街は見当たりません。どこかで適当に下車し、木や花を求めて当てもなく歩き回る気は、とうてい起きず、梅雨明けと思える酷い暑さでもあり。

列車に揺られながら検索してみたところ、須賀川ゆかりの人物として、特撮の円谷英二、陸上競技の円谷幸吉が浮かんできました。

ウルトラQにはお世話になったけれど、ウルトラマンはどうもなぁという世代であり、たまたま先週あたりに新聞の連載でマラソンの君原健二さんが取り上げられていて、円谷選手との関わりを読んだばかりなので、迷わず「円谷幸吉メモリアルホール」を目指しました。

先の東京オリンピックのマラソンで、国立競技場にアベベに続いて2位で入ってきたものの、あと200メートル程のところでイギリスのヒートリーに抜き去られた場面は忘れられないのです。その後の自殺のことも。わたしが小学6年の時でした。
https://m.youtube.com/watch?v=3iYvrxH4bMw

Hさん、岡山の方のご丹精の結晶である白桃、そして亡き恋人との桃にまつわる甘美きわまりない思い出をフェイスブックに綴っておいででしたね。

それとは全然かけ離れ、色気のない桃の思い出です。小学生の頃、夏休みに帰省すると、舗装などしていない駅前のバス乗り場近くに農家の方々がたくさん来ていて、竹籠に入れた桃を並べて売っていたような気がするのです。休みのはじめには桃、ひと月経って、嫌々ながらに横浜に戻る頃には、青リンゴにかわっていたかもしれません。こちらより一回り歳上の同県人、円谷選手の桃体験は如何だったのでしょうか。

彼がふるさとを最後に訪れたのは、その中にある「三日」という一語と自殺した日、ご馳走になった品目からして、正月だったかと推察します。

遺書で父母兄弟宛に繰り返す「美味しうございました」には、とろろ、干し柿、ブドウ酒、リンゴ、しそめし等が挙げられていて、周りに誰もいないのをよいことに、読みながら涙滂沱でした。

この遺書に関して川端康成、三島由紀夫が絶賛する辞も掲げられていました。ふたりの感想はまた、円谷幸吉という人、あるいは人間という存在の根底を指し示してくれる、これまた深い言葉なのでした。

老生にとっての「命の源」は、祖母や母に作ってもらった、円谷さんが有難がっていたような、質素な食べ物です。いつも申しているように、子供の頃は苦手だった芋柄を干し上げたものなど、今はその材料を探し求め、手探りで調理法を試しているほどです。(もっとも、今回の小旅行最後の昼メシは、酷暑の郡山でみつけた食堂『三松会館』でのトンカツとラーメンでしたけれど!)
https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7005266/

暑さは当分続くのでしょう。ご自愛ください。

/T. K.生 拝


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