友と京都で 1ーー初日はひとりで街なか彷徨

予定していた京都行きの一週間前、勤めはじめた頃から世話になっていた先輩が亡くなった。

春以来、父に始まり従妹そして叔母と、月ごとに身内の死が続いていた。そして先輩、ときたものだ。

お弔いの日程が気になっていたところ、はたして、京都行きの三日目が通夜との連絡が入った。

予定を中止すべきかどうか、かなり悩んだ。世の仕来りからすれば、取りやめるところだろう。

しかしよくよく思えば、先輩とは毎月の飲み会が十年以上続いており、このたび倒れられる直前にも、じつはご一緒していた。一方、京都での会合には、学校を出て以来四十年ほども会っていなかった友が幾人も参加する。死者への礼儀を尽すか、いつまた会えるかわからぬ友との交誼を重くみるべきか…。

こうして結局は予定どおり、京都に向かうのだった。

……。

指定席というのが、どうも性に合わない。飛行機や連れがいる場合など、よほどの必要がないかぎり、あらかじめ時間を定めず、その日その時の気分で列車を決め、適当な自由席に乗っている。

故郷白河に行くときは、東北新幹線「なすの」の郡山行きが空いているし、京都のときは新横浜始発の「ひかり」が気をつかわずに済む。

というわけでこの日、京都には朝八時に着いてしまった。

翌日以降の友人たちとの付き合いを控え、終日ひとりで拘束なし、予定もなしという有り難さ。フウテンの限りを尽せる。

とはいえ、足の向くままなのは結構なのだが、その「足」がすでに頼りなく、日に一万数千歩が限界というのが情けない。

で、地下鉄の四条駅で降り、まだ観光客がほとんどいない錦小路をゆっくり抜けて、天満宮に突きあたった。

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さて、どこに行こうか…。天神様の裏、居酒屋の『たつみ』は正午の開店。それまで時間をつぶさねば。

時おり降ってくる小雨に傘をさしたりすぼめたり、厄介なことこの上ない。

河原町通と新京極の間、北に延びる裏寺町通。お寺の門の下でぼんやりと行き先に考えをめぐらせる。

この時期に花を見るなら蓮だろう。そういえば、いつか「洛陽三十三所観音」を巡った時、その名も大蓮寺という寺があって、蓮を植えた大甕が庭いっぱいに置かれていた。さほど遠くはない。

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しばらくのあいだ蓮を拝見し、広くはない境内の奥にある寺務所で変ったお守りをいただいた。明治から大正にかけて「大蓮寺の走り坊さん」と親しまれ、寺に訪れるのが困難な妊婦に安産弥陀如来の宝号を、日に十五里も走って届けたという。

蒸し暑いのには閉口した。分かってはいながらも……。


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振り返ってみればこの日、朝から麦茶を駅で買ったのみで、何も腹に入れていなかった。

ロの字型のカウンターは地元の方もまばらで、前の週に行われていた祇園祭の前祭を受け、束の間の静けさを味わっている風情だった。

椅子席の端にお店の旦那さんだろうか、たぶんいつも見かける七十代後半の先輩はあいかわらずの健啖ぶりで、鱧の天ぷらやドボ漬けなどを注文して途切れない。

こちらはといえば、しみったれて小鰯の煮付け、鱧の皮、芋茎の酢の物でヒヤの日本酒二本と、およそ朝昼兼用で口にする食べ物とは言えない。まあ、旅先の勝手として許していただこう。

いつも感嘆するのは、調理場を仕切っている禿頭で痩せたトッツァンで、この日はおそらく若い女性の助手と二人で、無数ともいえる酒の肴を供している。

この地で昔からごくふつうに食されている和食全般のほか、納豆オムレツやら明太子ご飯、また揚げ餅など、呑み助にはありがたい短冊の品書きが、季節に応じて張り出される。

今回は三日目だったか、店の脇を通りかかったら偶然にもその調理人さんと擦れ違ったのだが、自然と頭が下がってしまうのだった。

『たつみ』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26002374/


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一合瓶の酒を二本もらっただけで調子づいてしまい、近ごろは観光客ばかりになっているので足が遠のいていた京極の『スタンド』にノコノコと入ってしまったのは、普通のラーメンをもらって『たつみ』での昼呑みを締めようとしたからに違いない。しかし……。

『京極スタンド』https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26000665/














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