温泉をハシゴしてゲストハウスにーー「日帰り温泉」のはずが……その3

午後もまだ二時前。いつもの日帰り湯、一の湯本館に客の影はない。

昔の温泉の姿がそのままに残る浴室は、今どきの温泉とは趣が異なり控えめな広さであるだけに却って、ひとり静かに浸かっていると、じつに落ち着いた心地になれるのが有り難い。

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湯から上がって身支度し、大きな囲炉裏のあるロビーでいつものように缶チューハイをすすりながら、これからどうしたものかと思いを巡らせると、蕎麦屋『はつ花』での酒も効いてきて、想像妄想こもごもにたくましくなり、この日は近所にあるゲストハウスに泊まることにしてしまった。いつもの「帰りたくない病」が顔を出したのだろう。閉まっていた洋食屋『スコット』を翌日に訪ねてみたいという思いも手伝ったのかもしれない。

時間の余裕は気持ちの余裕。帰宅せねばという制約を解かれ、箱根での滞在時間が一日分増えたという解放感は大きい。旅に出て旅程が伸ばせるとなったときの嬉しさは、こたえられないものなのだ。

昨年の秋のこと、この囲炉裏端で休憩していると、向こうに中国からと見える娘さんがスマホを操っている。チェックインできる時間まで待っていたものだろう。聞けば、前日に成田に着き、横浜に宿泊したという。片言の中国語と英語、そしてタブレットを使ってのたどたどしい会話のため、互いの自己紹介と翌日の行き先の話くらいで別れるのだった。はじめ学生と見ていたのが、普通の勤めをしているというのが意外だった。

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湯本駅までなだらかな坂を下ってゆくと、湯の町には場違いにも見える靴屋があり、履きやすさに重きをおいたものをそろえているらしい。何に惹かれたものか、店内をひやかしながら先刻『はつ花』蕎麦店で貰ってきた天かすを店番の奥さんに差し上げたりして雑談が弾んでいた。と、気まぐれに試した軟らかそうなスリッポンが驚くほど足に合い、気に入ってしまった。ふだん購入する靴の三倍ほどの値札がついている。

ここ五年ほど癌が転移し、入退院と抗癌剤治療を続けている四十年来の友がいる。不思議なことに彼とはこれまで、横浜の下町の鄙びた商店街をウロついている時に出くわすことが三度ほどあった。ある時その男が裸足のまま履いていた靴が、そのようなスリッポンだった。彼を哀れみ悲しむ思い、心地よい履き心地、それをほろ酔い気分が勢いづけたのだろう、包んでくれるよう頼んでしまうのだった。

駅に着く手前に、日帰り湯のできる一の湯新館への案内板があった。急な坂道が続き、日暮れも迫っていたが、時間のあるのを幸い、訪ねて見ることにした。間も無く期限切れの入浴券が、あと二枚残っていたので。

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今度は近頃の旅宿泊施設らしい温泉で、露天風呂もあり、折から数名いたハイキング帰りの方々とは特に話を交わすこともなく、また身体を温めることとなった。

火照った身を落ち着け、外に出ればすっかり闇の箱根となっている。宿泊客は大きなトランクケースを引く外人が目立った。

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暗い林の細道を無人の塔ノ沢駅までたどり、そこから湯本駅までの一区間を電車で下ると、閉店の早い商店街は降りているシャッターが目立った。

夕食を摂っておかなければならない。

観光色のない所でと思っても、そのような店は、スコットをはじめ、居酒屋『鈴鹿』、中華の『日清亭』いずれも開いていない。仕方なく、さして食欲はなかったが、焼肉『山賊ホルモン』への急な階段を上るのだった。

じつはこの店、二度目の入店で、先の仙石原ススキ見物の際も昼食時に訪ね、ホルモン定食を食べていた。炭火での網焼き方式。以前はお粥の店だったが、二年ほど前に造り変えたとのことだった。使用している椅子が我が家の食卓のものと同じで、調理担当の寡黙な奥さんと素直な店員さんたちが気持ちよかったのを覚えていた。

店内はほぼ満席だったので、吹きさらしのテラス席にひとり陣取ることにした。店員さんがしきりに寒さを心配してくれるので、身体は温泉で十分に温まっている。それに酒で内側から温めれば大丈夫とうそぶいて笑わすのだった。

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