北山しぐれ、か――年末年始京都行 二

降るともなく、止むともつかず、しかし、たしかに降っていることに違いない、雨。

落ちる速さがあってまっすぐ降っているので、小糠雨というにはふさわしからず、小雨というほどの粒の大きさもなくて……。あるかなきかの頼りない雨。

ホテルで朝食のために部屋から出たときは気がつかなかったが、戻って窓の外を見ると細かい雨が降りしきっていた。

「最終日は雨か。ま、いい。四日間のうち一日くらい降るのも興があるというもの」と思うことにした。

この日の予定は、至ってのんびりしたものだった。前日、お参りしたものの、ご朱印をいただくところが混雑していたので諦めてきた六波羅蜜寺に、早い時間に行くこと。そして、幾度行ってもヒト気がなく本堂が開いていない、新京極の安養寺。そのあとは帰路につく新幹線の時間まで、適当にお寺を回り、居酒屋で時間を過ごそうという、「時間ゼイタク、カネ倹約」の計画。

朝一番のバスに乗る停留所に行くあいだに空が晴れ、陽が差してきた。しかし、雨は依然として降っていて、盛大な天気雨といった趣きがあった。狐の嫁入り。豪勢な嫁入りだ。関東の天気雨は、降り残っている雨が名残惜しそうに、申し訳なさそうに降って、止んでゆくものだが、京の地の天気雨は堂々として、いつ止むともしれない。

祇園の南、六波羅蜜寺に行く途中、傘をさすかどうか迷うほどの細かな雨が落ちていた。毛糸の帽子をかぶっていればその場は済むが、長々と濡れていれば差支えがあろうと、その上にマウンテンパーカーのフードをかぶった。しかし、しばらくすると止んで、フードをはずしているとまた落ちてくる細かな雨粒……。

昼さがりの大徳寺。幾棟もの寺院が立ち並ぶなかの小道をたどる間も、その奥の今宮神社に抜け、帰りのバスに乗るまでも、降りみ降らずみ、傘を手放すことはできない。どんより曇るなか、時おり差す陽に浮かぶ松の木の影が貴重に見える。

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新京極の古い居酒屋兼食堂〔スタンド〕のカウンターに座ってちびちびと飲んでいると、斜め前の常連客が、「北山しぐれ、言うんや」と教えてくれた。そうか、これはやはりこの地特有の天候なのか、この日ばかりではなくて――。

「はっきりしてくれ!」。詮方ない叫びをあげたくなる京都の天気。その昔、京都の貴族たちは、位は高くとも、じつは経済的には常に困窮していて、賄賂によって生活していた。その行動に基準はない、定見はない。ただ右からもらえば右に便宜をはかり、左から頼まれて金をもらえばそちらに味方する――と聞いたことがあるが、そうした「どっちつかず」の性格は、この雨の降り方に通じるものがあるのでは……などという空想も湧いた、雨の一日。




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