思いがけずアジサイに会う――観音様のお導き

ことしはもう,アジサイを撮影することはないだろうとあきらめていた。時期が遅い。去年の真夏を思い起こすほどのここ幾日かの暑熱の下,アジサイの花はしおれているにちがいない。

それに,花を撮るために暑さをおしてどこかに出向くことがおっくうでならない。わたしには珍しいことに,今年はまじめに仕事をしているせいかもしれない。鬱の具合がこのところ治まっていることもあって――。

思えば,アジサイの花は毎年毎年撮っていて,外付けのハードディスクにすこしずつ蓄えられている。

古いものも最近のものも,絵柄はいずれも似たりよったり。上達の跡は認められない。

目で見て美しいと思った色調で写るように,露出の組み合わせ,コントラストの強弱を調節し,花びらと葉,影の部分の構図と色,形の配合を考えながら撮っている(と思う)のだが,会心の作といえるものはない。毎年毎年,「ま,こんなところかな」と自分ひとりで納得してファイルを貯めている。

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今回撮ったのは,「坂東三十三観音霊場巡りバスツアー」で訪ねた茨城の観世音寺のお地蔵様の前に咲いていたもので,濃い木陰になっているところに背が高い一株があったもの。大ぶりの花びらの深い紺色に惹かれてカメラを向けた。所定の露出を思い切り二段暗くして撮ってはじめて色調が整った。また,コントラストを強くして影が黒く落ちるようにした。

まことにウカツなことにメガネをバスの中に置き忘れ,集合時間も迫っていて,余裕がなかった――といって,不出来の言い訳にする。

なお,そのお地蔵様,もともとは山門から本堂への参道を真横から見る向きにあったものが,このたびの震災で斜めに向きが変り,山門を入ったばかりの者をまっすぐ見守るようになったとのこと。よくぞ倒れることなく,しかも,人々をやさしく迎える位置に落ち着いたものだ。

地震ついでに,我々一行の先達の披露した話。先年,四国八十八箇所を巡っているとき知り合った五十歳台の男。老母の介護のために保険会社を早期退職した。しかし,辞めて一週間して母親は亡くなってしまった。何のために退職したかわからなくなり,四国を歩き始めた。以来,先達と彼は折々のやり取りをしていた。先の地震のあと,一月ほど連絡がとれずにいたが,最近ようやく便りがあり,家は高台にあったので無事であったという。しかし,彼が勤めていた石巻の営業所は海から程近く,元同僚は幾人か亡くなっている。もし彼が退職していなかったら,同僚たちと同じ運命を辿っていたことだろう。彼の命は,亡くなった母親が守ってくれたといえないだろうか……。

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