飲んでばかり――月に三回〔喜む良寿司〕
先の金曜の夜は、かねて約束していた後輩の男女ふたりと、年末に五十余年の歴史を閉じる東京三田の〔喜む良寿司〕https://www.yamato-sys.com/nb/kimurazusi.html で飲んでいた。
コハダが丁寧に仕事をほどこされている店だったのに。惜しい。「あした行くよ」と連絡を入れておくと、いつも程よくそれを用意してくれていた。つまみにして、握って、しみじみと旨さを噛みしめる。魚の味と酢の加減が相俟って、鮓という食物の成り立ちさえ考えさせてくれる。奥さんが焼き網で温めてくれる穴子も文句のつけようがなく、それ以上の出来上がりは知らない。煮上げたままよりも少し炙ったものの方が、やわらかみが戻って良いと思う。鮪の赤身も仕入れたばかりでなく、寝かされてちょうどよい具合のを出してくれる。程よい厚みに切られた赤身はしっとりと落ち着いた舌触りで、かすかな渋みを感じさせて深く、すりおろした山葵が効く。
しかし、店を続けろと無理を言うことはできない。親方は齢七十八、引退するのは遅すぎるほど。これからは平日にゆっくり好きなことをできると静かなほほえみをうかべて喜んでいる。踊りの稽古は続けるそうな。自転車は止めて散歩を毎日してねと老人を諭す。
……もっと通っておけばよかった。後悔は先にたたない。
この晩、四年制大学の卒業なのに顔立ちには幼ささえうかがえる、勤めてまだ日が浅い同行の女子は、当日の勤務中に仕事ぶりを注意されたことを嘆いて、終始べそをかいていた。隣席、間近に見る彼女の肌は、あまりにもみずみずしく、神聖なほどに穢れなく、ふたたびその顔を見やることは、ためらわれた。小子と同様に口数少ない男とふたりで何とかなだめようとしたが、その効き目があったかどうか分からぬうちに酔いが回っていた。男は寿司屋に通いつけているのか、シマアジ、タコ、鮪をたのみ、付け台に彩りよくのせてもらっていたのには、かすかな妬みを覚えた。(そのシマアジを一切れ食べたかった!)。勘定を済ませて奥さんから歳暮の品をもらい、いったん店を出た。しかし、我々のあとに店にやってきていた、大学の教授を務めている先輩とまだ満足に話してなかったことに気づいて足は止まって戻り、教授に説教されたその後の記憶はない。泣きのナッちゃんはどうやって帰っただろう。冷たい男たち、と悔やんでも遅い。
この節の忘年会のうち三回は〔喜む良寿司〕の世話になっている。
初回は仕事でつながる大学出版会の友人らと、月初めの金曜に訪ねた。テーブルで四人。中年から初老の男と女の話は仕事のことから食べ物のこと、病気のこと、昔のこと――語り尽きない。男同士の意地の張り合いあり、戯れあり、意見開陳あり、賛成反対ワイワイと愉しいときを過ごした。刺身の盛り合わせにはコハダがつんもりと盛られていた。大皿ひとつ味わいつくしてまだ足りず、「いま盛られてなかったものを」とお替りをたのみ、終盤は巻物で腹を落ち着かせた。小子は焼酎をほぼ一瓶空け、壮年の男は、いつもどおりビールを呷り続けていた。奥さんの心づくしのシジミ汁がその一晩を締めくくってくれた。
おまけがついた。店を出ても皆と別れがたく、通いつけている立ち飲み居酒屋〔二合半〕に誘ったが、出版会の女性しか乗ってこない。この人とは先年いちどだけ、初対面というのに二人だけで小料理屋に行ったことがある。先刻までとはうってかわって互いの深刻な家庭事情を語り、再会を約して別れた。
残るはあと一晩。相手は英文学担当の女性の教授と出版社編集部の女性。両手に花だが、この身はすでに男女の情から隔たって久しい。どのような話題がでて、鮨はどのように頂くことだろうか。単純に、楽しみではあり、しかし予想のできぬことへのたじろぎもあって、三日先。
そのあと、店に残る日もあと三日。ひとりで行こうか、行くまいか……。
コハダが丁寧に仕事をほどこされている店だったのに。惜しい。「あした行くよ」と連絡を入れておくと、いつも程よくそれを用意してくれていた。つまみにして、握って、しみじみと旨さを噛みしめる。魚の味と酢の加減が相俟って、鮓という食物の成り立ちさえ考えさせてくれる。奥さんが焼き網で温めてくれる穴子も文句のつけようがなく、それ以上の出来上がりは知らない。煮上げたままよりも少し炙ったものの方が、やわらかみが戻って良いと思う。鮪の赤身も仕入れたばかりでなく、寝かされてちょうどよい具合のを出してくれる。程よい厚みに切られた赤身はしっとりと落ち着いた舌触りで、かすかな渋みを感じさせて深く、すりおろした山葵が効く。
しかし、店を続けろと無理を言うことはできない。親方は齢七十八、引退するのは遅すぎるほど。これからは平日にゆっくり好きなことをできると静かなほほえみをうかべて喜んでいる。踊りの稽古は続けるそうな。自転車は止めて散歩を毎日してねと老人を諭す。
……もっと通っておけばよかった。後悔は先にたたない。
この晩、四年制大学の卒業なのに顔立ちには幼ささえうかがえる、勤めてまだ日が浅い同行の女子は、当日の勤務中に仕事ぶりを注意されたことを嘆いて、終始べそをかいていた。隣席、間近に見る彼女の肌は、あまりにもみずみずしく、神聖なほどに穢れなく、ふたたびその顔を見やることは、ためらわれた。小子と同様に口数少ない男とふたりで何とかなだめようとしたが、その効き目があったかどうか分からぬうちに酔いが回っていた。男は寿司屋に通いつけているのか、シマアジ、タコ、鮪をたのみ、付け台に彩りよくのせてもらっていたのには、かすかな妬みを覚えた。(そのシマアジを一切れ食べたかった!)。勘定を済ませて奥さんから歳暮の品をもらい、いったん店を出た。しかし、我々のあとに店にやってきていた、大学の教授を務めている先輩とまだ満足に話してなかったことに気づいて足は止まって戻り、教授に説教されたその後の記憶はない。泣きのナッちゃんはどうやって帰っただろう。冷たい男たち、と悔やんでも遅い。
この節の忘年会のうち三回は〔喜む良寿司〕の世話になっている。
初回は仕事でつながる大学出版会の友人らと、月初めの金曜に訪ねた。テーブルで四人。中年から初老の男と女の話は仕事のことから食べ物のこと、病気のこと、昔のこと――語り尽きない。男同士の意地の張り合いあり、戯れあり、意見開陳あり、賛成反対ワイワイと愉しいときを過ごした。刺身の盛り合わせにはコハダがつんもりと盛られていた。大皿ひとつ味わいつくしてまだ足りず、「いま盛られてなかったものを」とお替りをたのみ、終盤は巻物で腹を落ち着かせた。小子は焼酎をほぼ一瓶空け、壮年の男は、いつもどおりビールを呷り続けていた。奥さんの心づくしのシジミ汁がその一晩を締めくくってくれた。
おまけがついた。店を出ても皆と別れがたく、通いつけている立ち飲み居酒屋〔二合半〕に誘ったが、出版会の女性しか乗ってこない。この人とは先年いちどだけ、初対面というのに二人だけで小料理屋に行ったことがある。先刻までとはうってかわって互いの深刻な家庭事情を語り、再会を約して別れた。
残るはあと一晩。相手は英文学担当の女性の教授と出版社編集部の女性。両手に花だが、この身はすでに男女の情から隔たって久しい。どのような話題がでて、鮨はどのように頂くことだろうか。単純に、楽しみではあり、しかし予想のできぬことへのたじろぎもあって、三日先。
そのあと、店に残る日もあと三日。ひとりで行こうか、行くまいか……。
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