梅田駅にて――ねじれた空間

またもや陥ってしまった。酩酊した挙句の閉所恐慌状態。

夕刻の大阪梅田。天王寺から地下鉄に乗って、降りるまでは問題なかった(と思う)が、梅田の駅からどうしたら外に出られるか分からない。人の流れが目に入らず、駅の表示が見当たらず、どちらに進んでも駅から出られない。視野が狭まるのだ。見えるものは目の前にあるものばかりで、それさえもたしかに見えているのか、そして理解しているのかも怪しかった。自分ひとりが迷路の中に閉じ込められてしまった感覚。ほとほと困った。

過日、東京で地下鉄の電車を降りたものの改札口が分からず、どの路線に乗ったら横浜方面に行けるのか、駅の表示を認めても判別することができず、さらに、それを尋ねるべき人間も見当たらない。迷って右往左往する間に、ようやくホームに駅員がひとりいたので助かった――という出来事があったばかりである。

梅田の地下鉄構内をしばらく歩き回った末に、駅員の詰め所――そこが改札口で、切符を機械に入れれば外に出られるのに、その状況が把握できない――に行き着いた。

「どうすればこの駅から表に出られるのでしょうか?」。恐る恐る、自らの恐怖感を隠さぬ口調で尋ねた。

「この改札を出ればいいのですよ。切符は持っていますね」

「ありません。失くしました」。ポケットを確かめもせず、即座に。無意識のうちに自分の存在をおとしめ、何も持たない、何も判断できない弱者と見なしての反応であろう。

少しやり取りがあって後、駅員氏も相手にならぬものと見てか、あきらめて、追徴料金もとらずに出してもらったという次第。

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この出来事、老化の兆しなのか。あるいは、通常の精神状態では起き得ないことが、アルコールの作用により、精神の或る部分の規制が外れ、その部分が司る認識と判断が出来なくなるというような状態なのだろうか。またはもっと根深いものか。

とはいえ、後になって振り返れば、その精神状態は愛すべき存在なのかもしれない。ふだんは有り得ない自分の姿。罪のない、回復可能な窮状とでもいえようか。夢の中で宙を飛ぶことを実感するような体験。

翌日の夜、横浜に帰宅してレシート類をそろえていると、ズボンの左ポケットから「21.9.5 16:02 天王寺―230円区間」の切符が出てきた。

さて、次はどのような時に追い詰められるのか、楽しみといえば、楽しみである。その恐怖を追体験したいという気持ちがあることは否定できない。その時自分はどのようにモノが見えるのだろうか。

もっとも、思い窮するあまり、電車に飛び込まぬようにしなくては……。肝心なのは、その状態になったときに自分を客観視できるかどうかだろう。「あ、また来た」と思えれば成功である。失敗したときは、と問われれば、流れに任せるのみと応えるしかない。はて、次の宴会は……。

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