〔明治屋〕再訪

白い綿雲がいくつもいくつも浮かぶ青い空。風鈴が心地よい音色で鳴り続けている。家中開け放ったなかを吹き抜ける風がありがたい。雲たちはじっとしているようでも、少し目を離していてまた見ると、その位置と大きさを変えている。青空に白雲であることに変わりはないが。

二年ぶりにおとずれた大阪阿倍野の〔明治屋〕のことを思い返している。焼酎の酢水割りをちびちび啜りつつ。

冬瓜のあんかけ、きずし、うの花と酒二本で過ごした貴重で愛しい時間。

壁の上に、カウンターの中に置かれているもの、目に見えるものすべてがそれぞれに店の歴史を語り、役割を果たし、過不足ない。磨きたてられ、様々な度合いの褐色が秘めた光を宿す。

黒板の品書きに並ぶ文字は流麗で見飽きることなく、しかし明瞭で、はっきりと意味を伝えてくれる。ああ、その「きずし」の「す」の字のなんと伸びやかで屈託なく、おのれを主張し、しかし両脇の品書きと重なったり、偉ぶることのないことか。自信ある曲線。流れる文字の連なり。かつお刺身、うるめいわし、水茄子…それらが書き連ねられた一面がひとつの作品にも見える。

その黒板はカウンターの右手と左手に等しいものが掛けられ、客は店のどの位置に座っていてもこの日の肴の数々を知ることができる。それを目で追い、値段を読む、そして出来上がりを想像する、そのこと自体が肴になる程に充実したひと時。

酒を頼むと、大きな「ちろり」から一合升に移して量を確かめ、そのまま漏斗の形をした注ぎ口に流し入れて、内部には細い管が走っていてそれを銅壺で温めるのであろう燗付け機に通し、下で燗がついた酒を受け止める。それが極薄い透明の徳利に注ぎいれられ、客の前に出される。徳利には磨りガラスで「明治屋」の文字が刻まれている。銅壺といい徳利といい、この店独自のものに違いない。しかし、目新しさの棘はなく、こなれた色と形で、しかし、独特であるという不思議。それが酒を飲む者の神経にあえかな、心地よい刺激をあたえてくれる。

冬瓜を食すのは何年ぶりだろう。子供のころに母親が料理してくれたのを覚えているだけ。味わいは昔初めて口にしたときとおなじようだった。あるかなきかの冬瓜の風味、薄い出汁のあんかけ。それを際立たせてくれる、おろし生姜の風味。このようなものが注文するとたちどころに出てくるという調理の仕方が知りたい。

しかし、「きずし」は期待はずれだった。前夜に東京三田の〔きむ良寿司〕で味わったコハダの過不足ない繊細な締め方と比べると、劣っていたと言わざるをえないのが残念だ。鯖の生臭さが、好みもあろうが、全然消えていなかった。

この店で特筆すべきは、店員さんの気働きと応対の良さだろう。満席の状態でも注文がすぐに通る。目配りが利いているのだ。気持ちが真っ直ぐに客のほうに向いている。その清清しさが飲む者の酔いを正しい方向に導いてくれる。悪酔いはしない。したがって、客の質も良い。みな好い気分で飲んでいられる。

それにしても大阪に住む人が羨ましい。洗練され、気取りなく、愉しい酒場に通える人たちが。

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