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おおかたの予想に反して、大相撲初場所では朝青龍が勝ち星を重ね、優勝賜杯を手にした。しかし、……。勝負に勝てば、それでいいのか。強ければいいのか。日を重ねるごとに疑念は増すばかりであった。 勝てば官軍――それは世の常とみえて、伝えられる町の声は、この優勝に好意的で、彼の復活を歓迎している。 印象深い一番がある。十一日目の琴欧洲戦。琴の右腕を取ったり。振り回して投げ倒した後、朝の左腕は、うなりを揚げるように琴の頭上にブン回された。翌日の新聞では「ラリアート」と称されたその左腕の動きが、目に残っている。相撲にああした動きはあっていいのか。許されるのか。飛び道具が使われるところだった。それで勝ったら決まり手は何というべきか。突き倒し、突き落とし、はたき込み。そのいずれともいえないのではないか。押し、突く――それは相撲の基本。たまには張り手という荒技とハッタリはある。しかし、そのビンタで勝負が決まることはない。 反則にもないであろう、度はずれたその動き。 さらに、ラリアートは、勝負が決まったあとに振るわれた。勢いあまって――。そう、その勢いが彼の強みだ。なりふりかまわず相手の虚を攻め、容赦ない力を神速で噴出させて倒す。それが彼の相撲だ。たしかに強い。圧倒的である。抜群の運動神経と敏捷性。しかし、それでいいのか? 再度問う。 これまでに彼のような横綱は、いただろうか。速攻の柏戸? いや、違う。柏戸はあまりに素直すぎた。一直線で攻める相撲は、横から突かれればもろかった。朝潮? 荒々しかったが、相撲の基本どおりの動きだった。そして大鵬。相手の相撲を十分に取らせて受けとめ、やおら勝ちに出るまさに横綱相撲。 不肖、鏡里以降の横綱しか見ていないが、朝青龍の動きは、これまでの力士を思い起こして、見当たらない。 暴力――と変わりがない。相撲の衣を着ていながら、中身は「勝てばいい」の精神。勝ち星を挙げればいい。勝負が決まった後にもダメ押しを出す。それは彼の取り組みにしばしば見られているところだ。寄り切った後に突き出す醜さと無残。 さらにケチを付けたい。 優勝決定戦で勝った後、万歳をした。そんな所作は力士にあってはならない。勝って驕らず、――これが本来ではないのか、相撲の。倒した相手に対する惻隠の情、そして残心。 「朝青龍は帰ってきました」――と。あいた口がふさがらない。自分を英雄と見なしている。それを誇示する。力士の吐く言葉ではない。お相撲さんはみな訥弁だった。金星を挙げてインタビューを受けたときの応えと言えば、しばらく言葉をさがしたのちに、「まぐれッス」程度のこと。 いうまでもなくこの一年余の、土俵の外でのあれこれ。すでにそれは力士の所業ではない。 若い力士達がその姿を、形においても精神においても倣うことのないよう祈るばかりである。相撲道という言葉は好かないが、相撲というもの、もともとは神事である。日本の心を忘れないでほしい。相撲は単なるスポーツではないのだ。 |
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